第二十二話
頭蓋骨を打ち鳴らす共鳴によって混濁した意識の泥のような闇の世界から引き上げられた。
「みこ、みこー」
「ん……あ、かぁにゃあ」
「可愛いところもあるんだねー」
「そっ!?」
声が脳を震わせるだけでなく、頬を優しくつつかれて闇は光に消えていく。無機質な野営天幕が奥にあり、その手前と少し奥にログサリッタの顔があった。
「レイ、目が」
白く濁った瞳ではなく色のついた瞳に戻っている。瞳孔もしっかり動いており虚構ではなくサカニカそのものが映っていた。
「うん。見えるよ」
「まだ二日目なのに……」
「三日目だよ?」
サカニカには瞠目した。
「兵士を労うぅって言って演舞?踊り?。それで倒れて、白い火とか赤い火が飛び散って大変だったらしいよ。色々燃えたりお酒がなくなったり」
思い出そうとしても抜け落ちている記憶の皮、頭を振っても気付けの水を飲んでも全く効果は無かった。まだリャクサの家で踊ったときの後遺症が残っていると考えたが、サカニカは一度思考を中断した。
突然立ち上がって陣幕と外を隔てる布を捲る。
眩い陽の光と新鮮な外の空気で後遺症を懐疑する思考を断ち切ろうとし、咳き込んだ。
「なに……」
燃え尽きた街が視界に移ったがサカニカは考えが纏まらず固まった。
「思い出した?」
灰の塊になった街は人が住める場所ではなくなっているのは遠目からでも理解できた。木造は燃え尽き、辛うじて立っていると言えるのは石で作られているものだけだ。
「あたしは見てないんだけどねー。将軍が“属州民を救い出せ”ってガンガン言ってたのは聞いたよ」
「私のせい、なのか?」
「どんな感じだったのか分からないから」
ログサリッタは護衛の武装奴隷に視線を送った。
奴隷は少したじろぎつつも二人あての言葉を選んだ。
「火が飛んだ……といいますか、火が踊ったような」
奴隷は続きを言おうとして口ごもった。
「怒らないよ」
「み、巫女様が、本当に同じ人間なのか……と」
奴隷の両目はサカニカを畏れていた。
体の一部が折れても踊り続けられる体をもってしまったサカニカは踊り子のような魅惑ある舞でなくとも、今の奴隷のように畏れられる踊りが出来るようだった。
しかし、どう踊ったかを思い出せないサカニカは奴隷の反応に悲しみを覚えるほかなかった。
「どう?」
「きっと私が踊りすぎた。神に捧げるこの体も、踊りについていけてないんじゃ……のだろう。記憶が飛ぶのは初めてだ」
寝込むのは初めてではなかった。以前は三日とカーニャが語り、今回は半日であるようで体は慣れ始めている。
「そんなこともあるんだねぇ」
ログサリッタは大きく身伸びをし、焦げた空気を吸い上げてしまった。
「げほっ」
間をおいて二人は微笑み合った。
サカニカは一日分の記憶がなくなっているがマリウスとトリュートの約束は覚えていた。
軍議のために集まったトリュートに組する幕僚たち、マリウスに従う幕僚たち、そして罪人のように兵士に囲まれているサカニカである。ログサリッタはバリスタの修理に向かっていた。
「今日まで街の攻略は引き延ばすつもりだったのだがな」
兵士も含めて全員の視線がサカニカに向けられ、呆れたような視線もあれば、責めるような視線も混じっている。
「火が跳ね上がって街を襲うなど普通ではありません。神殿の巫女、その力は元老院に知らされておりませんが?」
幕僚の一人が言った。
「私には、力がない。ホロラム執政官から聞いた過去の巫女にはあった能力が私にはない。あれは、それは神の御業としか」
記憶がないためサカニカは不安に襲われていた。
将軍が体を傾ける。
「人を灰にする炎も神の気分次第だったな。巫女サカニカは神と対話し機嫌をとれようか」
「できない。常にあちら側からこちら側へ、火が動いたとして私は神託でなければその意図を知るこちすら出来ない。死体を焼いた炎も同じく」
「神託であれば可能か?」
「……人との対話ではない」
「できることはなんだ」
幕僚の一人が問うた。
しかしすぐにマリウス将軍から無言で咎められ、貝のように縮こまる。
幕僚の言葉通り能動的にサカニカができることは限られていた。
「私ができるのは……神託を得ること」
それ以外はこの軍人たちに必要のないものだ。踊ることも、身を捧げることも軍団を指揮する立場の人間からすれば実務に関りがない。もしかすると士気や憐憫を得られるかもしれないが、確実ではない。
「理解したな、皆」
マリウス将軍の一言でサカニカへの諮問は終わった。
「して、トリュートよ。また剣を抜くか?」
「いいや、いいえ。この場にナーラムント家がいない理由がようやくわかりました」
「懸念は適切だ。一万の軍勢がくるやもと思うのもな」
「いたとして“他へ”向かうとは思わざるをお許しください」
「過ちを犯したのはトリュートだけではない。このマリウスも信用に足らぬ人間であった。すまぬな」
マリウス将軍とトリュートの二人が矛先を丸くしたどころか互いを信用し始めていることにサカニカは驚きを表情にださずにいられなかった。
剣を突きつけるまでに発展した意見の縺れが解消されたのは喜ばしいものの、それ以外は納得していない。
「巫女、リャクサ・ナーラムントは知っておりますか」
見かねた近くの幕僚が声を掛けてきた。
「あぁ」
「将軍は四千の兵を別動隊として、ここではない街の攻略に宛がったのです」
疑問符は尽きなかった。
「一万の軍勢、二万であれ三万であれ用意したとしましょう」
マリウスやトリュートなどが通常通り軍議を始めてもその幕僚は丁寧に説明を続けた。
「ナーラムント家の襲っている場所は内陸側、まだ信用できない情報ですが反乱軍の本拠地に近いのです。こちらは遠い。ならば軍団を送り込むならナーラムントの襲う街、次にこことなります」
「そうなのか?」
「道中で軍を集めるにせよ、本拠地に近い側から叩くのが心の理というもの」
「それなら、えぇと。同時に来た時は?」
「であるならば一万の場合は五千と五千、三千でも戦える数になります。二万兵力のときは一万と一万、反乱軍は大量の物資と輸送できる能力があると分かります」
「戦は、負ける」
口にしてはならないと言葉にした後に気付きサカニカは目を伏せた。
「港に籠ることになりましょう。ホロラム執政官どのが我らを引き上げるまで」
懇切丁寧な幕僚は話し終えると軍議に自然と参加していった。サカニカを囲んでいた兵士たちはすでに定位置に戻っており、サカニカと武装奴隷だけが取り残されていた。
彼女はバリスタの修理に向かったログサリッタを探すために陣幕の外に出る。
街を焼き出された住民が異なる街へ歩む行列が見え、奴隷には先に行くように伝えた。難民へ視線を戻したとき、彼女は無意識に祈りの形をとっていた。
「駄目だ」
手を解き、彼らから目を離す。
「きっと私がアレを望んでしまった」
遠くに兵士や奴隷と共にバリスタを修理するログサリッタが視界に収まった。
(確証はないけれど)
神殿の火がまるで目の前にあるように浮かび上がり、刹那消えた。
「確証はないが、私の」
言葉に詰まり、気付けばサカニカは真っすぐ歩けなくなっていた。ログサリッタの傍へ近づいてはいるが、必ず斜めに動いている。方向を何度も修正し、何度も歩行を遅らせた。
短い距離であるが歩き辛いために時間がかかってしまった。
集中しているログサリッタに声を掛ける前に、難民の行列を観ようと振り返った。彼らは歩みはサカニカより早く、遠くにいる。
「みこじゃん。変わったこと……あった?」
「説明し辛いが」
ログサリッタの表情が普段の明るい表情ではない。
「何があったの?」
「トリュートが将軍に――」
「――違う。目」
「えっ?」
「片目、濁ってるよ。赤く」
ログサリッタはいつになく真剣な声だ。
「なん……目?」
「真っ赤。濁ってるって言うより染まってる」
サカニカは立ち尽くした。




