第二十一話
道の途中に造成された砦で一夜を過ごしたマリウス将軍隷下三千名は翌日の朝になって悠々と行軍を開始した。
砦の兵士、特にログサリッタを慕うナーラムント家の兵士たちは寝る間も惜しんで攻城兵器の枠組みを作り上げ、そして完成させた。あとは組み立てるのみで半日でバリスタが現れるだろう。
サカニカはマリウス将軍の幕僚の中にリャクサがいないか探したが、ここにはいないようだった。それどころか覚えのある顔はログサリッタに無茶ぶりをしたあの部下一つしかない。
「みこぉ、今どこ?」
「街まであと少しだ」
「ありがとお」
ログサリッタが手懐けた馬は彼女の目が見えていないことを知っているかのようにまっすぐ歩き、落馬しないように細心の注意を払っているかのようだった。
その隣をサカニカと奴隷は歩く。
しかれども“少し”の言葉とは裏腹に街の正面に辿り着いたのは夕方だった。
「クラデンスめ、まともな地図も無しに統治していたのか?」
マリウス将軍は地図に向かって悪態を吐いた。
「防諜のためですよ将軍。どこに裏切り者がいるかわかりません」
「ハンバ・クラデンスには信用できる子飼いの議員がいないようだな?」
「……」
マリウス将軍の言葉に部下は押し黙った。
冷たい思考合戦にサカニカは後方を歩いていたことを感謝した。あと一歩近ければ部下の矛先が何もできない巫女に向かっていたに違いない、と。
「今ここで貴様らの疑義を蒸し返すつもりはない。地図を書き直せ、手早く」
「直ちに」
部下たちはマリウス将軍から地図を受け取ると簡易机を展開し地図を修正し始めた。
「計画は破棄だ。地図が信用できんのでは他の情報も信用に足るまで疑ってかかれ」
「やはりフィレネ執政官が到着するまで港を要塞化するべきでは」
「先鋒の三千が殲滅されてなければそうせざるを得なかった。しかしだ、機会があるならやらねばならん。今打撃を加えておかねばフィレネ共々数年ここで足止めだ」
ログサリッタの功績を暗に口にしたため、サカニカは僅かに笑みを浮かべた。
「この街は破壊する。クルツゴ港への橋頭保は確実に潰せ」
街に明かりが灯る。
高い壁に囲まれた街では帝国軍をみて何を話しているかは到底分かるはずもない。されども、ログサリッタが灰にした三千の兵士の中に家族がいるはずであった。
幻聴と知りながらサカニカは幼い子の泣き声が聞こえてくるようで、耳を一瞬だけ塞いだ。
*
日を跨いで街との交渉決裂、バリスタ投石による会戦と同時に始まったのは幕僚とマリウス将軍による静かな舌戦だった。
「イヴァリア族の弓騎兵はそこの学者が殲滅しました。なぜすぐに攻め入らないのです」
「あの壁に兵を登らせるには装備が足りん。ましてや反乱者どもがイヴァリア族だけだとでも?」
「それゆえに、でしょう」
他の一族や属州の反乱に乗じたかつての地方権力者が現れる可能性がある。幕僚の言葉にも一理あるとサカニカは考えていたが、マリウス将軍は異なる見解を示した。
「情報が足りん。敵の数、勢力の分布、民と反乱者の関係。ユーリリア妃……元二の妃がどの勢力と手を組んだ?知らぬだろうが」
「それは認めます。ですが」
議論の焦点ではなかった。
若い幕僚の言葉を遮り歴戦の将軍が口元に笑みを浮かべる。
「ならば敵から知らせてもらうか。この街の破壊と共にな」
陣幕に風が吹き込み、幕僚たちは思考の時間を得た。
「……危険では?我らは三千、港の守備を含めても七千に届くかどうか」
「そうだ、七千だ。充分野戦に耐える数であろうよ」
「属州の信用できない情報からして動員数は最大十万、離間工作が成功しているとして八万から五万。敵は前哨戦として三千でしたが今すぐここへ一万以上の軍団を送り込むことも可能でしょう。七千では心もとない」
サカニカは数字までは聞き取れてもその意味を理解できなかった。兵士の数が重要であることは戦いを目の前で見てきたため分かっていたが、ルシウスの率いていた五百以上の兵士となるとその規模感覚が全くの未知である。
「フェルザリンが沿岸を襲っているなら戦力は分散せざるをえまい。さして一万であればそれもまた情報、敵は我らよりも兵站を制しているとな」
「一万を撃退する技があるとでも?」
「ないことはない。敵が我らを知り得ていないのであれば」
不可能に等しい言い分だった。
「将軍、私共には攻略を遅らせる意味が分かりませぬわ」
ログサリッタに無茶ぶりをした部下が言った。今まで彼は口を開いていなかったが、ついに将軍に睨まれる側となる。
「たかが三千で一万を砕く?クディオール帝でもなさなかった“偉業”でございます。幕僚として申し上げる。無謀、犬死、愚劣。どのお言葉がお好きですかな」
「無謀なる戦、このマリウスはクディオール帝と戦地を巡った将軍ぞ」
サカニカはマリウスを凝視した。
「では一万の雑兵に踏み潰されるがよいわ。しかだか我トリュートなら愚劣なるマリウスを挿げ替えても大差ない!」
マリウスの部下トリュートは腰から剣を抜き出し老将軍に突き付ける。他の投合していた幕僚と兵士も剣を抜き身にしてマリウスと迎合しなかった陣幕の人々の首筋に近付けた。
サカニカとログサリッタは武装奴隷によって守られたが、一触即発の状態が生まれてしまった。
「くっはっははは!」
「何がおかしい。マリウス、“無謀”を止めるのも我らの役割なるわ当然の事」
「敵を騙すには怪しい味方からやらねばな」
「……我らを疑うか?!」
対立している様子にサカニカは混乱を隠せておらず、目を何度も瞬きを繰り返す。マリウス将軍を信じている幕僚、トリュートのように信じていない幕僚、そして存在するか分からない間者。
(どうなってるの!)
サカニカは頭の中で整理してみたが逆に混迷するだけだった。
「属州の街はここだけではあるまいよ。明日か明後日になれば分かる」
(今知りたい)
トリュートと迎合する幕僚は目を合わせる。暫くしてマリウス将軍の言葉を受け入れるように剣を収めた。
「では街は今日、どうされる」
「夜まで壁が持つまいよ。夜襲を用意せい」
「……二日まで待つ」
トリュートを含めて幕僚たちは陣幕から抜け出した。残ったのは緊張感の残滓とログサリッタ、サカニカ、そして訳も分からず剣を収めた奴隷たちだ。
マリウスは老練と称して差し支えない人間であったが、トリュートには流石の将軍も身に堪えたようで深呼吸をした。
額や頬に汗が流れた跡もあり、若い幕僚たちの危機感は伝わっていた。
「怖かったねぇみこぉ。目が見えてなくて初めて良いと思ったあ」
「……問題ない」
「ホロラムおじいちゃんも苦労してるんじゃない?将軍」
ログサリッタはサカニカを抱きしめながら言った。
「あやつには信頼に足る部下を送った。案ずるなログサリッタ嬢、気苦労を掛けたな」
「みんな不安なんだよ、きっと」
「……うむ。それもあるがこの反乱はユーリリア妃と属州だけの反乱ではない。帝国貴族が割れようとしているのだよ」
マリウスはサカニカのために言葉を考えているようだ。
「帝国は大きくなり過ぎた。クディオール帝は改革しようとしたが道半ばで……倒れられた」
「どういうことだ?」
「もはや帝国の敵は帝国自身なのだよ。サカニカ・ネカグリロ」
サカニカとログサリッタは同じ首の角度になった。
「属州で貴族どもが自由過ぎるのだよ。クディオール帝は元老院から派遣される総督の権限拡大と率いる軍の改革、このマリウスのような“抑止力”を育てた」
総督は属州の管理者であり元老院に代わって全ての責任を負うものの、クディオール帝の時代までは貴族による属州搾取の機能しか持ち合わせていなかった。軍制改革もサカニカは知っていたが、その理由までは知り得ていなかった。
「……今の反乱は私の父、クディオール帝が原因だと言いたいのか」
「元々下地はあった。元老院ではなく少数の貴族が力を持ってしまったがためにだ。クディオール帝はその膿を減らそうとしただけのこと」
マリウスは終始物悲し気に語った。
「残された我らでやり遂げなくてはならん」
「……改革を?」
「そうだ、フェルザリン・ホロラムを筆頭に我らは改革派といえよう。もしくはクディオール・シャアントニの残り火ともいえる」
老将軍は目を閉じた。




