第二十話
神殿の白い炎は神の罰と評される。
「かつて、哲学者から目を奪った」
遠い昔の哲学者は帝国の学者と似ており、この世の疑義を探求し後世に伝える立場であった。執政官が神殿に炎を封じたのは探求が罪と恐れたからともローバはサカニカに教えていた。
今のサカニカであれば、遠い昔の執政官が探求の罪を恐れたのではなく罪の暴露を恐れたのだと断言できる。
(それでも、愛を捧げた炎の意味が分からない)
「視力……治る?」
「三日で治るかもしれない。私が補助はするが……覚悟した方が良い」
歩行、食事、排泄、何もかもを他人に依存する。それは個人環境の少ない軍隊生活の中で一人が完全に消滅することとなり、今まで処理出来ていたものも出来なくなるのだ。
サカニカのように三日気絶する可能性は今のところログサリッタにはない。
「ありがとう、サカニカ。あたしは平気だよ」
「……無理はしないでくれ」
周囲を見渡そうとするログサリッタの目は白く濁っている。
サカニカは近付いて来たマリウス将軍の部下が話しかけてくる前に首を振った。
「レイが失明した」
「なるほどその目が……噂には聞いてる罰の炎とはなぁ。いいものを観させてもらったわ」
部下は睨まれても気にしなかった。
「将軍より伝達が一つ、明日の朝より内陸部にある町の攻略を行う。ログサリッタ嬢は攻城兵器を作れとのご命令だ」
「この目だ。今のレイには無茶だろう」
「大丈夫だよみこ。持ち運びのしやすいもの、でいいんだよね?」
レイは一歩進もうとして盛大に顔面から転げてしまった。サカニカが急いで立ち上がりを支えても足の置き場所が定まっておらず、酔っているような状態だった。
「街は恐らく人の登れない城壁で囲まれている。将軍の予測では木が使われているはずだ。しかし火は使いたくないとのご所望だ」
ルシウスとログサリッタが砦の防衛のために盛大に使用したため油が枯渇気味だった。次の防衛時にはその他の防御機構が備わっているため油の使用は少なく済むだろう。しかし、松明などにも使用するため油は慎重に使わねばならない。
「攻略するかしないかで木材の消費が変わるけど」
「その木材確保のための増派、気にするな。たんと使え」
街を攻略するつもりであるのと同義である。
「はぁい。石の確保は任せたからね」
「伝えておく。あとは任せたぞ、巫女サカニカ」
「ふん」
終始サカニカは不満げな表情を隠しもしなかった。理由は明白であったものの、部下はサカニカを一瞥しただけだ。足早にさっていく部下の背も睨むが、全くの無駄である。
ログサリッタは淀んだ瞳を両手で抑えながら歩く。
「お酒欲しいなぁ。すごく、視線が痛いからさぁ。あたしを責めるような目で……」
「カーニャが言っていた。死者が見えると、自分が殺した死者が」
「これ全部あたしが殺したのかぁ」
砦まで歩くにつれてレイの足取りはどんどん重くなっていった。ようやくたどり着いた壁に寄りかかり、ついには動かなくなってしまう。彼女の世話を任されている奴隷が心配して様子を見に来たため、酒を一本持ってくるように伝えた。
「粗い酒でお願い」
「よろしいのですか?」
「酔いたい」
暫くして酒を持ってきた奴隷であったが、酒につられて数人の兵士も後ろにいた。
「酒盛りなら混ぜろよ」
「俺らが奴らを殺したんだ。多少恵んでもらわにゃやってられん」
「君らには死者が見えたか?」
「はぁ?もう灰になったろうが」
「神は死を齎した者に死者をみせる。死者が見えなかったのならばいかに苦労したとも神は君らの戦功ではないと認めている」
少し婉曲した表現に兵士たちの理解は追いついていなかったが、数秒経つと顔がほんのりと赤くなり始めた。
「遊んでたってのか?!」
「少なくとも神は君らの“戦果”を認めなかったようだな」
「いっくら巫女だからって戦いもしねぇ奴に言われたる筋合いはねぇな!」
「神を疑うのか」
何かを言い返そうとした兵士は口を開けたまま硬直した。言葉に詰まったのはサカニカの異様な雰囲気ではなく、その背後にいる人物に恐れを抱いたからだった。
「酒はまだ許されておりませんが」
サカニカの記憶にある声だ。
「主計……これは」
「カルメーロ主計、あたしがお願いした」
声が記憶にあるのはサカニカだけではなく、彼女もカルメーロのことを知っていた。
「困りますよ。報酬の代わりに酒の契約とはいえ、他の方を巻き込んでは風紀の乱れる原因になる」
「あたしはそいつら呼んでない。どんなやつらか見えないけど」
「ほう」
「俺らは“まだ”飲んでねぇ。たまたま歩く方向が一緒だっただけだぜ」
「ならさっさと仕事に戻りなさい」
「へいへい」
冷汗をかいていた奴隷はようやく背後の圧力から解放されて深呼吸をした。
カルメーロという名前にサカニカは記憶の中を巡り、リャクサの屋敷で出会った彼の義理息子であることを思い出した。
(リシスよりもしっかりしてる人)
初めてあったときはの印象はサカニカが失明していたため無かったが、今ではその髭と高身長が目に焼き付く。大柄であるものの細身であり、身体を使うよりも頭を使う方が似合っていた。
「お久しぶりです。サカニカ様」
「ありがとう。カルメーロ、助かった」
「マリウス将軍から風紀を再度叩き直してほしいと頼まれまして……見回りの途中だったのです」
「酒、駄目?」
ログサリッタは懇願した。
「駄目です。他の人に示しがつきません」
拒否されてしまったため奴隷から貰った酒瓶を握り締めて頬ずりをし始めた。飲めないのであれば感じるまでのようだ。
「ナーラムント家は将軍に気に入られているようで喜ばしいな」
「人手不足のおかげでしょうね。誰からか預かった部下が信用できていないのもありそうですが」
「……そうなのか?」
「おっと、今のは忘れてください。父上に怒られます」
カルメーロは微笑んだ。
政治というものはサカニカの知らない世界であり、まだ踏み込むには知識が足りなかった。
「あのような輩を叩き直してきます。では失礼」
護身と称して見覚えのある奴隷がカルメーロからあてがわれ、彼は早速壁に落書きをする兵士に拳骨を撃ち込みにいった。
見た目は幼いカーニャが何もされなかったのはカルメーロが風紀を正してくれていたからだろう。サカニカは心の中で彼に何度も感謝した。
その夜、魘されていたログサリッタが寝静まったころに燈明の火が揺れ動いた。
そこはログサリッタのために作られた一室で、リャクサ兵器を作りだす学者を大事にしている証だった。簡易的な鍵もあり、入ることの出来る人物は限られている。
サカニカが視線を移すと、隙間すら空いていない扉があるばかりだった。
「……誰?」
静かに問う。
答える人間はいない。
「……神様?」
燈明の火が大きくなった。
サカニカは暫く考えた末に言葉を発す。
「レイをなぜ苦しめなさるのですか。彼女はただの良き学者であり、優秀な技術者であって死を齎す責がレイ一人にあるとは思えません」
火は揺れるが小さくなるばかりだった。
「……いえ、神様。どうか帝国を御守りください。カーニャも、リャクサも、レイも……ルシウスも。帝国がなければ皆生きる道を失ってしまいます」
燈明の小さな火にサカニカは手を近づけた。
「あの冠が私の運命なら」
顔歪めてしまうほどの激痛であった。
燈明の光が消えても冷たい汗が止まらず流れ続け、焦げた手にしたたり落ちた。
サカニカは物音を立てずに扉を開け、月明かりを頼って手の文字を見る。
「クディオール」
その文字だけが浮かび上がっていた。




