第十八話
その夜、真っ青な月が欠けている。
砦と周囲には篝火が炊かれているため紛れる隙間はない。
「来た……」
騎馬兵や歩兵を誰よりも早く見つけたのはサカニカであった。神殿で暗闇に生きていたためか、それとも運が味方したのかは断定できない。いずれにしても、見つけた敵は千ほどの数がいた。
砦側は千の兵を二つに分けていることから攻めてきている敵は二倍の兵力を持ってる。
数時間前、砦を放棄して守りに特化することも代案にあったが占領されたあとに活用されてしまうと厄介な事態に陥るため却下された。
「敵は千か、向こう側は二千はいるやも知れん」
「レイの罠を信じよう」
「効かなかったら不味くなる」
数に圧し潰されるのは予想が出来た。
「信じて、さもないと……でしょ」
「あい分かった」
彼は篝火の根元から一本の木材を拝借し、空に向かって持ち上げた。普段の適当な雰囲気は全くなく、死の間際を共にしてきた指揮官としての表情だった。
腕の傷は光に照らされて蠢いているようにも幻視させ、火を掲げる彼に五百人余りの視線が一斉に集まる。
「敵が来た!未だ靡かぬ土地に帝国の名を知らしめようぞ!」
「おう!」
サカニカは静かに一歩下がって見守った。
「二倍、三倍の敵が来ようとこのルシウス・マルキネスがいる限りこの砦は決して落ちん!」
「おお!」
「矢をつがえ!近づく者は全て切り伏せよ!」
「おおお!」
檄を飛ばしたルシウスは手に持っている火を遠方に投げた。それは反乱軍には全く届かないものであったが、弓矢を飛ばす一つの目安になるものだった。
「弓構え、放て!」
昼間の射撃と異なる点は矢の着地点が見えないことにある。命中率に期待は出来ないが、兵士たちは常に一定の地点に打ち込むことで一度は攻撃が当たるようにしている。
そしてログサリッタから供与されたバリスタが火矢を放った。
「早い」
「そうか?」
事前に計画していたのは敵に直撃させるための方策だった。しかし、ルシウスは火矢を逆手に取ろうとしていた。
「見えやすくなったな」
ルシウスの投げた火、そしてバリスタの火矢により兵士たちは正確に弓を弾けるようになっていた。しかし敵もバリスタが飛んできてからは広く散開するようになり、弓の効力は先ほどと変わらないように思われた。
バリスタは一度放つと二回目は時間が掛かる。鎧をものともしない絶大な威力の代わりに、装填時間が弓の数十倍はあった。
「そろそろか」
反乱軍は散開して一気に砦へ接近していた。バリスタの存在があるため性急に砦へ取りつかねば被害が拡大するためで、それは少数であるルシウス達が嫌う戦術でもある。
昼間に起動した罠はすでに場所が割れており、戦闘中に再使用はできないものだ。反乱軍が知るものはそれに限る。
「起動させろ!」
砦の中で兵士が紐を引くとルシウスの投げた火を起点にして反乱軍の一部を包むようにして火の円が現れた。火に囲まれたのはほとんどが騎馬で手に何かを持っていた。
輪の外側にいた数名の兵士と馬が火に巻かれる。
そしてルシウスが号令するまでも無く再装填されたバリスタが撃ち込まれた。
昼間のときと同じように重厚な装甲を纏っていた騎兵であったが、バリスタの速度と質量により馬もろとも吹き飛ばされるか、貫かれた。
「ルシウス隊は槍を持て!歩兵を登らせるな!」
火を恐れて暴れまわっている馬は木偶の坊と判断したルシウスは散開した歩兵に次の狙いを定めた。
青い月は半分欠けているとはいえ、敵味方を間違うほどではなく砦の外にいる兵は全員が敵と決まっている。
「隊長、敵が引いていきやす」
サカニカの目には混乱を収めた騎馬が火を乗り越えて退避していくのが見えた。
「歩兵だけで砦を落とすのは諦めたか?」
「まだ杭の罠もありゃあの程度の歩兵、弓でかたしますぜ」
「……警戒を緩めるな、罠は一度きりの代物だ」
「へい」
砦が燃えなければ近づく敵歩兵は弓兵にとって動く的であった。近づきすぎた歩兵は背を撃たれ、数人が落伍している。
「レイの策が嵌まって良かった」
サカニカは何もしていないが緊張で足が震えていた。
「次は無い」
「あれば?」
「バリスタで飽和攻撃でもする。それから……落とし穴でも」
ルシウスとサカニカは暫くの間他愛もない会話を続けた。
歩兵の死骸、頭のない馬、燃えた人体。
サカニカがその惨状から目を背けようとしたが、一瞬死体と目を合わせてしまい言葉に表せない感情に憑りつかれた。
「ルシウス、下に行きたい」
「訳を聞いてもいいか?」
「……私の役割を見つけた」
ルシウスは納得した表情ではなかったが、それ以上追及はしなかった。
一人、砦の外に歩み出し折れた矢を避けて大地を歩く。一つの死体はまだ温かく、一つ横たえた体はまだ微かに息があった。頭のない馬、胴体のない馬、腹のない死体。サカニカは吐き気を耐えて惨状の中心からまだ辛うじて燃えている木片の前に座った。
(捧げよう。これもきっと、私の見てきた“総て”だから)
「サカニカ・ネカグリロ。あなたの巫女として、この身を捧げる」
砦のあちこちに設置された篝火が一斉に巨大になり、辺り一面を照らすほど輝いた。
「供物は今、この場にある」
死体が燃えた。
兵士たちの畏れる声が聞こえる。
(リャクサの言葉は正しかった。私の総ては、ほんとうに……何もかも)
燃える死体は急速に灰となりサカニカの周囲に積った。
木片が燃え尽きるまでに死体は装備を残して消え去り、燈明ほどの小さな光が残る。
月が雲に隠れると、篝火の火共々失せた。
光も音も何もない。
*
朝日が登り、白い灰の山からサカニカは引っ張り出された。
「大丈夫か」
「……ん」
「種火も全部消えたから凍え死ぬかと思ったぞ」
「ごめん」
「……死体の灰で暖は取れてたか」
サカニカの周囲にのみ積っている灰は生暖かい。これがなければサカニカは凍えきっていただろう。
彼はサカニカを灰の中から抱き上げて砦向かって歩く。壁の上から畏怖の目線が巫女に突き刺さった。人が燃え上がり、篝火も使えなくなり、灰が一箇所にのみ溜まっているのである。
畏れない兵士はいなかった。
「ねぇ、ルシウス」
「なんだ?」
ただルシウス一人を除いて。
「私は……帝国のために神に身を捧げてる」
「……うむ」
「神様にとっての私って、どこまで“私”なんだろう」
まだ朝日が登り切っていない空、時折、星雲から落ちていく星の光も眩い時間。風も弱々しくサカニカの長い髪を揺らしている。まだ血の跡は死体が燃え尽きても残り、装備が持ち主の帰りを待っていた。
「知らん」
ルシウスの回答は明確だった。
「一番神に近い巫女が知らんというなら、誰もわからん」
「……それも、そっか」
(少し、分かった気でいた)
「戦いも、他人の愛も、神様にとって私の一部なのかも」
ルシウスは難しい顔をするばかりで問いに答えるのを止めた。彼の脳はすでに沸騰して目に見えない湯気が出ている。
「もう分からん。サカニカが無事なら俺は、前へ進める」
砦から兵士がよく聞き取れない言葉を発している。それが祈りの言葉であることはサカニカが最もよく理解する人であるものの、千差万別の神への祈りに困惑していた。
帝国らしい祈りであるのは間違いなく、サカニカは軽く手を振って応えた。
「美しいサカニカ、これからも死者をああやって弔うのか?」
(あれは“弔い”なのかな)
「つもり」
「感染症も流行らずに済むし腐った死体を埋めなくともよくなって楽だ」
「利用してる……」
「神に捧げるついでに労力が減るならあいつらが祈る価値もあるだろ、きっと」
ルシウスの眺める先には手の結び方すら揃っていない兵士たちの祈りがあった。
「難しいことは俺には分からん。あのリャクサ・ナーラムントの方が向いてる」
「でも」
サカニカはルシウスの首元から頬に向かって滑らかにひと撫でした。
「おっきい夢、もってるよね?」
半欠けになった月が地平線の向こうに消えるとき、ついに朝日はその顔を大地に表す。
遠方から帝国の旗が靡き、千の兵士が灰の山を目撃するだろう。
その人々の中にはサカニカの父を知る人物、バニメス・クディオール・マリウスその人がいた。




