第十六話
地形の把握を行おうとしているのはルシウスだけではない。ホロラムが率いる軍船以外の兵士、約八千を率いる将軍もまた地形や天候を把握する必要がある。
虐殺せずに港跡地に留めた住民から天候を聞き取り地形は部下の目に頼らず自ら把握するのが将軍のようで、リャクサとルシウスが森林方向へ向かうと陣幕に報告したときには既に席は空だった。
「森と反対の視察に行ったんだと」
「……」
「こんな日もある」
サカニカは無言でと烏のコルにパン屑を与えている。カーニャが船に移動して以降、誰が声を掛けても同じ調子であった。
(もうちょっと一緒にいたかった)
「みこー。行くよ?」
「……あぁ」
痺れを切らしたログサリッタが縄でサカニカの腕を結び、兵士に曳かせて運んだ。物品よりも酷い扱いだったが、一人にするよりも安全だとログサリッタの案を採用した結果だ。
縛りは一人でも解ける程度のものでサカニカは気にしていなかった。
ルシウス、ログサリッタ、測量器を持った部下数人、そして暇そうで暇ではないリャクサ。二十人に満たない観測隊は森へ向かって移動を始めた。
「コル、カーニャにもしもがあったら私に教えて。今なら港から遠くに行ってないから」
「ガァ、ガァ」
「理解したっぽいのが凄いよねこの鳥頭」
ログサリッタは一応褒めたつもりのようで、水筒から水を掌に注ぎ烏に与えた。
「賢いからな、コルは」
「過ぎるぐらいにはねー。人の全部を知ってるみたい」
「ガァ」
カラスは海に向かって飛び立った。
「あり得なくはない……よね」
神妙な表情になる彼女であったが、時を置かずに剽軽で無頓着な様子に戻った。
「さぁ急ごっ!反乱軍が来て死にたくないし!」
名家の教育の賜物かログサリッタは誰も見ていない間に打ち解けていた馬の背へ跨った。その馬は港に留め置かれていたもので、意外な特技に訓練したことのある人間は全員舌を巻いたのだった。
「森とは聞いてたけどこれは……人工林だね」
リャクサの第一印象にサカニカ以外が同意した。
森は極めて等間隔に木が並んでおり、小枝も剪定され木材にしやすいようになっている。川と思われていたものは人が石で作った水路であり主流は近くにない。
「リャクサ、不味いのか?」
サカニカの問い彼は首を振った。
「まだ何とも言えないね。砦を築くのにはとても都合がいい……反乱軍にとっても」
切り出したものを加工して木材となるため、加工の労力が少なければ少ないほど砦の造成は早くなる。人工林の広さから不足することはないと思われた。
測量機器を持ち込んだ兵士らは手早く作業に入る。正確な地図を作れば不案内な土地でも互角の状態に持ち込むことが出来るためであり、命に直結するのだ。
「クレーンも砦も作れるね。ただ……おじいちゃんが思ってる以上に属州の経済力はありそぉ」
サカニカの記憶にある古い帝王学の知識が呼び覚まされた。
「打つ手が増えるのか」
「……経済力までは分からなかった」
「用水路を作るのは思った以上にお金がかかるし、やれば選挙で勝てるの。借金をしてでもあたしみたいな科学者と一緒に作ろうと知る人もいるねぇ」
技術的な金勘定に関してはログサリッタに軍配が上がる。リャクサは若き当主、専門でない分野に関しては経験が足りなかった。
「ルシウスはどう……いない」
屈強な百人隊長は測量の手伝いに向かっていた。
「砦を優先して建てるとなると木材を集めるここ、それと道中に一つ」
「使いやすい木材があるから柵と堀で道を守るってみない?」
「砦までは許可を取り付けてるけど、マリウス将軍次第」
リャクサはこれが初陣であり軍事知識は毎日の勉強に偏っている。経験ではなく過去の成功と失敗と予測が今のリャクサの知識であり、修羅の世界で培われた知識ではない。
その点を見失わずに彼は一人での行動を慎んだ。
「測量が終わったら一度戻ろう。砦の場所を概算してから」
もしくは一人で行動できないかどちらか一方である。
「じゃあ、あたし人工林見てくる」
そう言い残してログサリッタは馬で走り去った。
サカニカとリャクサ、二人きりになるのは夕食を共にしたあの日以来である。暫くの間の後に彼が言葉を紡いだ。
「巫女見習いの、カーニャの舞に見惚れたよ。まだあれで五歳と聞いたのにまるで大人だ。いや、子だからこそあの舞が出来るのかな」
「……人に対する舞ではない。あれは神様に対する舞だ」
「なるほどね」
(意識が飛んじゃうくらい辛い舞)
「リャクサも指揮官として板についてきたか?実戦経験は無くとも」
「義理娘に任せっぱなしさ。それを隣でみて見様見真似」
はにかんだ。
「何事も経験しないとね」
彼は港のある方向に体の向きを変えた。
目を細め、浅く呼吸を繰り返す。
「神託の件、あれから家族と話して決めたことがある」
「……あぁ」
「神は嘘をつかない。確かにそう聞いた」
「間違いなく」
「巫女サカニカ。いや巫女様、ナーラムント家は君に命運を賭けようと思う。自分を除いて」
二人は向かい合う。
「なぜリャクサ以外」
「後見人がいないことは知ってよね?」
「そう聞いたが」
「正確には主従関係はある。ナーラムント家はヴィエラコ家の奴隷だ」
リャクサの口から齎される情報は緩やかな主従関係ではなかった。
「執政官と敵対した人が自分の対抗馬だったから勝てたと言ったけど、“元”執政官だ。二年前、フェルザリン・ホロラムに負けて今はただの元老院議員のコロナゼ・ヴィエラコが自分の主人さ」
彼に敵対した人物は選挙のためにいわゆる公共事業を展開していたが、忽ち妨害にあって失敗し、親族の不審死も相次いだ。その人物は事業の失敗により選挙で有利を取れずリャクサに敗れると、借金取りによって殺されていた。
コロナゼの采配によるものだとリャクサは言った。
「でも、ナーラムント家がしたものだとヴィエラコ家が訴えたら事実になってしまう。財力、政治力、人脈、何もかもが足りない」
リャクサは悲痛な表情で目を伏せる。
「……だから、自分だけはコロナゼに従う。家族にはサカニカを支えるように伝えてある」
どのように声を掛けたらいいのかサカニカは分からなかった。この二人きりの状況で伝えてきたこと自体が彼の決意の表れであることは理解できても、それに応える“大義のようなもの”はサカニカの中には存在しなかった。
「そ、それは……」
「ナーラムント家は君を助ける。君があの日望んだように」
有無を言わさぬ響きがあった。
「私に出来ることは何もないに等しい。助けを求めたのも私がカーニャ一人守れないからであって」
サカニカは一度沈黙した。
「巫女は無力だ」
「冠があればと言ったのは君だろうに」
「……“運命”は冠が導く」
「そして神は嘘をつかない、とね」
“大義のようなもの”はサカニカには存在しないと彼女が言葉に詰まったのは人としての観点からだった。しかし、リャクサが期待したのは神託そのものであり、神殿巫女のサカニカだった。
(ナーラムントを捧げ……られる?)
「この反乱を起こしたのは二の妃、ユーリリア様だ。あの日見せてくれた冠もそのユーリリアからの贈り物らしいね」
「……ローバ、私の神官がそう言っていた。私を反乱首謀の神輿にするとばかり」
「これからそうなるのかもしれないし、ならないのかもしれない」
下見を終えたログサリッタが二人の元へ走ってきているのが見えた。
「それすら運命か」
「帝国を救うための」
(それが家族に繋がってて)
おーい、と遠くから彼女の声が届いた。
「神様は総てを捧げよと……だが、リャクサ」
サカニカは彼に背を向けてログサリッタに向かって足を動かす。
「生きてくれ」
リャクサの返事は聞こえなかった。




