第十四話
部下に呼ばれたルシウスが船倉へ消えて行き、カーニャとホロラムは陸に上がっている。一人乾燥したカチコチのクッキーを海水に浸して食べながら、港の混乱を眺めていた。
クルツゴ港には誰も住む許可はない。しかし、反乱の原因となった今代の総督が悪感情の捌け口として在住証を発行していた。
遠目からでも上陸したホロラムが扱いに困っているのが分かり、サカニカは僅かに同情した。
数百人の住民を殺害するのは容易いがその後の処理が面倒になる。穏便に退去、または悪辣を持って接するかで将来の帝国化政策が左右される。
「大変だな……」
「なにみてるの、みこー」
突如。コルを餌で吊り手持ち無沙汰になったログサリッタがサカニカを背後から抱きしめる。
「はなっ、このっ」
彼女の力は暗い神殿で身を捧げてきた巫女よりも強かった。鍛えているのではなくサカニカが弱すぎた。
「飲もうよー」
「待て待て」
酔っ払いは他人を考えられるほど思考が回っていなかった。ログサリッタの関係者に助けを求めたが大砲に向き合っており気付く気配すらない。
「ぐぶ」
酒瓶が無理やり口内に入れられ、怒涛の勢いで酒が胃の中に流入する。喉は焼け、胃は縮み、喉は全てを拒む。溺れたように錯覚した身体が逆流を引き起こし、一部の酒が排出された。
しかし、呑み込んだ大半の酒はまだ中にあった。
「急に、するな」
「お酒好きそうなのに」
なぜかログサリッタは凹んだ。
「儀式で飲むだけだ。そんなに大量の……」
「美味しいよね。このお酒」
ナーラムント家でリャクサと飲んだ酒に似ていたため、サカニカは酒瓶に手を伸ばす。
「それは認めるが……」
サカニカが飲み干した分量で瓶は空っぽになっており、似ている匂いしか確認できなかった。
「同じ物はあるのか?」
「……ある、あるよ!巫女さん!」
暫くして全く同じ酒瓶が出てきたとき、すでにサカニカは後悔する感情も消えていた。すでにアルコールが回り始めて脆弱な思考と簡便な受け答えしか出来ず、何より断る能が失われている。
「巫女さん、名前教えてよ」
「サカニカ、それと神から貰ったネカグリロの名を」
「もう知ってると思うけどあたしはレイ・ログサリッタ。レイって呼んでよ。そっちの方が昔からで慣れてるからぁ」
「歳を喰った言い方をする」
「今年で二十二になりまぁす」
ほんの少し物悲し気に、しかし気丈に振る舞っていた。
律儀にも杯は二つあり、サカニカの片手にはなみなみと酒が入った杯が水面を波立たせている。
日が傾くまでに船倉から砲弾を上に運び終えたルシウスがサカニカを探してはすぐに見つかった。酔いつぶれたログサリッタと仄かに赤らんだ頬をしたサカニカが酒瓶を三つほど空にしていたのである。
「るシウうす、もう一本持ってきて」
目の焦点がどこにもあっていない。
「美しいサカニカの頼みでも今は無理だ」
「うつく、ひひっ。これからカーニャが踊るんだから一緒に見よう。ねぇ」
「構わん。が、水を飲め。死ぬぞ」
「今捧げる?」
ルシウスの顔が引き攣り、逼迫した声色で部下を呼び煮沸した水を持ってこさせる。
巫女が泥酔している話題は狭い船内に広まり、ルシウスの部下が酔いに効くとされる手法や持ち込んだ食べ物を持ってきた。
「レモン蜂蜜、大好き」
種々の貢物の中にあったそれにサカニカは手を伸ばした。
「カーニャ、カーニャ。ううっ」
どこに泣き出す要素があるのか兵士には当然、ルシウスにも分からなかった。本人は真面目に泣いているがカーニャと連呼するのみで理由を語らない。
「カーニャぁあ!」
兵士らはルシウスの背中を押して即座に退散した。船を維持する仕事はいくらでもある。普段は嫌がる仕事もこの時ばかりは皆が盗りあった。
*
落ち着きを取り戻したサカニカはルシウスと共に星の降る夜光を浴びていた。港では退去しなかった住民も含めて巨大な焚き火を取り囲んでいる。
その中央、最も炎に近しい位置にいるのがカーニャだ。
青い月光にも負けない光がカーニャを包み込み、白い装束が焦げ付くまでの熱がある。肌が焼けていく感覚は筆舌に尽くしが難く、サカニカは祈るような気持ちで眺めていた。
「サカニカ」
「ん」
「人が焼ける匂いなんだが、見習い……カーニャは無事なのか」
「無事じゃない。身を“捧げてる”から」
「……過酷だな」
暫くの間、二人は静かにカーニャの舞を眺めた。炎が一瞬白く変色してもルシウスは唾呑み込むだけだった。
サカニカよりは激しく無い踊りであるが、見る人が外へ膨らむ大きな動きを伴っている。一見すると穏やかに見える舞は火にじっくり炙られるものだ。
白い装束が黒くなっていく。
「ルシウスは神託をみたことはある?」
「いや、無い。役職持ちの上澄みしか見れんと聞いた」
特に指揮権を持つ役職に限られていた。神託の存在に関してはルシウスよりもサカニカの方が知識として持っており、知る限りの事を彼に教えた。
体の一部を捧げること。
焦げ跡が形を成すこと。
嘘をつかないこと。
他、伝え切った頃にはカーニャの舞は終わり黒ずんだ装束をホロラムの部下が転写していた。
「神託を信じないのなら、大事なものを失って、壊れていく」
ルシウスの腕の間にサカニカは入り込んだ。
「度し難い」
「もう受け入れた」
「……あの神託が、もしかすると俺たちの運命やもということか」
実際に目で確かめなければ内容は分からないため、運命であるかはサカニカが掴みとれる範囲にない。船の上から神託の内容が覗けるわけでもなかった。
「帝国のために全てを捧げる私を、守って」
「必ずや」
ルシウスはまだ完全に受け入れた様子ではなかったが、サカニカの頼みとあればやり遂げると息まいた。
転写が終わったらしく、ホロラムが歳を思わせない大声で“運命”を伝え始める。
「屍の上に我らはいない……」
聞き取れなかったサカニカの代わりにルシウスが囁いた。
「“中”にはいるかも」
「戦わずして勝つ、と言えるな」
曖昧な神託であることはホロラムも気付いているのだろう。壮大な物語を軍団兵に聞かせて神託の意味を考えさせないようにしている。執政官の選定で民衆相手に語る仕草と同じであった。
様々な過程が現れては消えていく予想の中で、執政官を目指す人間たちはその一つを掴みとって民衆に説く。ホロラムの得意分野である。
「この港を修復するまでに戦がないとは思えんが」
「修復?」
「先祖がかつての大国を復活させないために破壊したからな」
軍団兵一万は同時に練度が不均一な大工一万人とも変換できる。マニュアル化された設営術は港の造成にも使われ、先遣隊の最も大事な役割だ。
「食料が持つまでに成せるか分からん」
一万人を養う食料はそれだけで膨大である。ホロラムが率いてきた船団は食料を限界まで積んでいる。一部燃えた船の残りカスすら食べられる部位は食べているほどだった。
「もう一人の執政官は?」
当然、フィレネの船団も食料を満載する。融通してもらえないのかとサカニカは聞いた。
「……手柄を横取りされるとな」
ルシウスは苦々しい表情で言う。
食料を融通してもらう代わりに戦功を要求されたときに拒めず、その可能性があるならばホロラムはフィレネに援助を乞うとは思えなかった。
敵を打ち倒した勲功は欲するところ兵士から執政官まで変わらない。港を修復した功績もそれに勝るとも劣らない大事な役割なのだが、分かりやすい結果は将来に響くものである。
「政治だ」
ホロラムやルシウスにとってフィレネは援軍として頼りないのではなく、内側にいる政敵だった。
「面倒だがな」
(功を焦るとか言ってたっけ)
「元老院に入るんでしょ?」
「あぁ、戦に勝って政にも勝たなきゃならん」
ルシウスはもう苦々しい表情ではなかった。
曖昧な神託にはリャクサの行ったように解釈の幅がある。屍が何を表し、上とは何を指し示すのか、それを理解する日は近しい内に訪れるだろう。
少なくとも、サカニカはそう考えていた。




