第十二話
ぐちゃぐちゃになった部屋を二人で掃除しているときだった。昨日の風は非常によく、一週間の航海から解放される日も近いと話しているとホロラムと側仕えが断りもなく部屋に入って来た。
「祈りが神に届いたようだな。もうじきクルツゴ港に着く。一隻も欠けることのない奇蹟だ」
一応の感謝を告げてホロラムは本題に入ろうとした。
「フィレネは延長して五年の執政官任期をこの遠征で使い果たす。代わりに三万の軍勢を受け持つのは儂だ……のう?」
「ホロラム様はまだ二年目とお聞きしています。一年は元老院との交渉無し、残り二年は鎮圧次第でしょうか」
しかし、巫女のサカニカではなく巫女見習いカーニャが受け答えしたことで話の出鼻が挫かれた。巫女は学習の実践を行うつもりだった。
「お手柔らかに、カーニャはまだ五歳だ」
「……まぁいいだろう」
教育料としてリャクサの神託解釈をサカニカはホロラムに手渡した。
フィレネや皇帝に伝わらないことの優位性は小さくとも構わない男だった。サカニカはその点を読み切っている。
「どこまで教わった」
「指揮権が付与されるのは皇帝、執政官、法務官。皇帝は死ぬまで、執政官は在職中、法務官も同じです。執政官の任期が基本三年、延長二年の五年、法務官は三年です」
「その歳でよく覚えた。フィレネは今が四年目の半ば、儂は二年目だ。あの蛇共の巣窟元老院に懇願しなければいけないのが次の年だが、その前にフィレネの後釜が決まるな」
「はい」
「フィレネの再選もありうる話だが奴は若すぎる。他の燻っている連中が許さんだろうよ」
フィレネがどれだけ選挙人や有権者に金品を積もうとも、さらに上のが額や命を使って脅すだろう。
三年で任期を終えなかった恨みは大きい。
ホロラムはカーニャを一瞥する。
「後がない?」
破顔一笑。
側仕えがかなり驚いた。
「功を焦る人は墓穴を掘る。気に食わん皇帝だが人を見る目だけは確かなものよ」
彼は近くにあった椅子を引き寄せて座る。それほど直立していた時間が長いわけではなかったが、慣れない船旅は首を負傷しているホロラムにとって負担だった。
「ハぁ、フィレネの政治生命を断つ。そのために巫女の力を使わせろ」
「巫女に力はない」
断言されたホロラムはされど失望した顔にはならなかった。
「巫女は神から奇蹟を授かることがあると、元老院には記録されているが?」
「生憎、私とカーニャにはそんな奇蹟はない」
元老院は起こった事実だけを記録するため実際に奇蹟ではなかったとしても、奇蹟として巫女が語れば奇蹟と記録するほかない。不正確な記録が後世に伝わっていても不思議ではなかった。
「そうだったか。敵を打ち滅ぼした奇蹟は使えないか」
(あるならもっと酷いことになりそう)
「ない」
ホロラムは打算が失われたことで思考する必要があった。
傍仕えに小声で命令を伝え、血相を変えて部屋を飛び出していく。
「……その者の名はカーニャであっているな、巫女サカニカ」
「ああ。巫女見習いだ」
サカニカは執政官を睨んだ。
「儂の家が貰い受けよう。五歳にしては良い才能、見捨てはおけぬ」
誰かの養子としてか、もしくは婚姻関係かは伝えなかったがホロラムの表情は本気だった。
(結構大きな家だし暮らしは苦労しないはずだけど、だけど)
「嫌です」
(私も)
「やはりか」
歳の功からかサカニカよりもホロラムの方が巫女見習いの気持ちを理解していた。それと同時に将来のためにカーニャを手に入れたい理性もそこにはある。
「私は巫女様、サカニカ様と共にあります」
サカニカの服の裾を掴んだ。
「苦労するぞ。儂の勘だがの」
「それでも」
「……惜しい」
ホロラムはサカニカに視線を移したが、巫女は首を振った。
「ホロラム様、焚火を作れるようになれば神託を試みます」
身受けのような話を断る代わりだ。神殿から齎される神託は皇帝が主に手に入れるため執政官ですら実物は貴重な代物であった。大半は誰かが読み解いた神託の解釈となる。
「港を制圧した暁に」
「心得ました」
(カーニャが自分で占いをするなんてっ、私……)
「サカニカ様はお体にまだ心配がありますので、このカーニャだけで行います」
「構わぬ」
ホロラムは首を労わりつつ退出した。
まだ皺だらけのシーツにカーニャは墜落し、サカニカは優しく銀の髪を撫でまわした。五分ほど撫でまわした末に彼女もシーツを今一度ぐちゃぐちゃにした。
「どうしてですか」
「なんとなく」
撫でまわす行為に理由はない。
「強いて言うなら私の身体を労わってくれたからかなぁ」
「……舞を踊るだけで三日も眠るのは異常です」
「神様の見たい踊りはね、過酷だから」
神殿で踊ったときは意識を失うほどだったが、血塗れになってしまうほどの踊りをカーニャはまだ体験したことが無い。
「教えてください。巫女になるために」
(もう充分巫女だと思うけど)
「じゃ、カーニャにこれをあげる」
乱れさせてしまった髪の毛をサカニカの手で直すついでに金の月桂冠を分解していたものを外し、カーニャの銀髪に移していく。
「いいんですか」
「いいのいいの、私とカーニャ、どっちが持ってても一緒だから」
失わなければ変わることはない。頭髪に結んだ月桂冠が失われるときは二人が考えたくもない事態が起こった時である。
「離れ離れになっても大丈夫?」
「はい。サカニカ様のためなら」
(強くなったね)
結び終えると今度はカーニャがサカニカの髪の毛を綺麗に整え始めた。普段よりも長く時間をかけて、炎の横で輝くように。
「こうやって」
整え終わってからようやく立ち上がり振付を再現し始めた。
「ここで骨をぐっ折ってね」
体の内側からくぐもった音が響いた。人間本来の可動域よりも大きい動作が可能になっているが、代わりに痛みが襲い掛かっている。
「カーニャも出来る様になるよ。ほら、立って」
サカニカは俗世に帰還しようとも巫女だった。
「はい」
二人は軽く舞の動作を確認するために部屋の中央に火があると見立てて軽やかな足取りで部屋を廻り、カーニャはサカニカの動きを真似して体に染み込ませていく。
激しくは踊らず、緩やかに。
愉悦すら混じる。
サカニカが一度踊り終えると折れた骨の部位がゴリゴリと音を鳴らして元の形に戻っていった。
「これがきっとホロラムが言ってた奇蹟なんだろうね」
「……いつからですか?」
「リャクサのところで踊った時。三日で折れた骨が治るわけない。それに皮膚を突き破ったからそれもおかしい」
カーニャは恐る恐る自分の骨に力を加えていった。しかし折れない。
骨を自ら折る勇気はなくカーニャは僅かに冷汗を流してサカニカを見上げた。彼女はカーニャが掴んでいる位置に合わせて包み込み、力を加えてカーニャの腕の骨を折り曲げた。
「いだいっ!」
「慣れるから大丈夫」
二人の予想通りゴリゴリと骨が元の形に戻っていく。
「な、慣れるんでしょうか」
恐る恐る聞くとサカニカも自信を失った。踊りの途中に骨を折るのも厭わないほど慣れてしまったが、本来はカーニャのように恐れるべきなのだ。それが巫女と巫女見習いの違いとは思えず、サカニカは僅か目を伏せた。
「もう一度踊ろう。多分、カーニャの方が体が丈夫だから別の踊りになると思うけども、無駄にはならないと思うし」
踊り始めた二人に敵襲を知らせる大声や野太い楽器の音が耳に届いた。
「……始まった」
サカニカは踊りを止めたがカーニャは踊り続ける。例え骨が折れようと、血が噴き出そうとも止まらない練習を自ら行っているようだった。
(止めない方がいいの……かな、うん)
「私は上で様子を見て来る」
「……」
男たちの怒声が遠くから聞こえ、窓から軍船を見るとすでに火が付いて燃え広がっていた。それで終わりではなく、次々と他の船にも赤い炎が昇った。




