第十話
枯れた声がする。
目を開けるまでそれが鳥だとは気付かなかった。
「ぁあ、こんな鳥もいるんだ」
窓の淵に立ち、翼の付け根辺りは白く頭は黒い。目の色とほとんど同化して烏の両目を暫く認識できなかった。
顔を窓から別の方向に向けると山盛りになった果物と山羊乳がある。丁寧に蜂蜜入りと書かかれており人の趣向をしっかりと覚えている誰かの計らいだった。
果物の山から一つ取り上げ、その烏の眼前に突き出した。
「食べて良いよ」
一突、一撮、一瞥。
サカニカが微笑むと烏は果物をぐちゃぐちゃにしながら食べ始めた。人で言うところの遠慮を取りやめた状態にサカニカは笑った。
「いいね。鳥ちゃん」
まるで言葉を理解しているようで烏は毛布を汚しながら果物を貪っていく。ある程度手のひらの上から果物を片付けると、次は部屋に進入し籠の中に果物を突き始めた。
サカニカはその様子を微笑ましく眺めながら起き上がり、山羊乳を飲み空っぽの胃を馴らす。
「一杯お食べ、うんうん」
汚く机を汚す果物の欠片をサカニカは食した。傍に置かれたナイフで削るよりも労働量が少なく、なにより見ていて和やかな気持ちになる。欠点はかなり汚れることだ。
暫くすると扉が開いた。開けたのは書物を二冊持ったカーニャで起きているサカニカを見て本を床に落としてしまった。
「……カーニャ」
無言が続く。
「おはよう。私は何日寝てた?」
「三日です。三日、ずっと」
カーニャが、倒れそうになるサカニカを支えゆっくりとベッドに横にした。烏は果物を食べ終え、カーニャが細切れにしたそれを少しづつ口に入れていく様子を興味深そうに見つめている。
「そこにいるなら手伝ってください」
空っぽの左手に烏は果物の破片を乗せた。
「……サカニカ様、この鳥頭が良すぎます」
「コル、そう呼ぼうよ」
「飼うんですか」
「飼いたい、駄目?」
「……コル、サカニカ様の上でフンをしたら焼き鳥にします、分かりましたか」
「ガァ」
烏は一度啼いてから飛び去った。
二人はそれが永遠の別れではなくまた来るの返事であると受け取った。飛び立つ前に破片を一箇所に集めており、烏、コルの知能は明らかに常軌を逸していた。
「あの本は?」
扉の手前で口を開けている本を指さして言う。
「昨日から目が見える様になって、リャクサ様の蔵書を借りて文字を書けるように練習しようと持ってきました。日本語だけ書けても意味がなくて」
「流石私のカーニャ。その日本語ももしかしたら海の向こうには使った書物があるかもね」
ザライ ユノだけが日本から来たと考えるほどサカニカは単純ではなかった。カーニャという前例がある以上は過去から未来すべてに跨る可能性が現れる。
カーニャは目を伏せた。
「いくつか私でも知っている言葉と単語がありました。きっとどこかに日本語だけの本がありと思います」
「リャクサなら探してくれる」
正確には奴隷を使う。本人はまだ諸々の用意で忙しいだろう。
「必要でしょうか」
サカニカはカーニャの問いに答えを見つけられなかった。一つの言語しか知らず一つの文化でしか生きたことのないサカニカに、二つの世界を知るカーニャの気持ちを推し量るのは難しい。
「カーニャが必要だと思うなら」
言い濁すしかなかった。
「はい」
ある程度腹の膨れたサカニカはもう一度眠ろうとしたが、まだ話足りないカーニャの声で寝付けなかった。
「もう少し、起きていてください」
「……わかった」
「あの白い火に身を捧げてからサカニカ様と私は髪の色と目の色が変わってしまいました。銀色に」
伝承には全くない色だ。
「役に、立つのかもね」
「それが……画家が私を未来に残したいってリャクサ様にお願いしたんです。いつの間にか勝手にサカニカ様も描くことになってしまって」
「……受け入れよう。カーニャ、身だしなみはちゃんとね」
「そんっ、あぁ」
「わかった?」
サカニカはカーニャの額に唇を一瞬当ててから身体を裏返した。凄まじい眠気で何も感じることなく意識を失った。
*
サカニカが意識を回復してから一週間後、元老院はようやく先遣隊を反乱の首謀者の居場所へ送りだすことを決定した。四万人の軍勢は先遣隊として送りだされ、皇帝の主力十万人を安全に反逆した属州へ着地させなければならない。
執政官の一人、フィレネは四万の内三万の軍勢の指揮権を握った。
残り一万の軍勢にサカニカやカーニャ、ナーラムント家の兵士団は参加する。
「指揮権は執政官フェルザリン・ホロラム。四五歳で執政官に当選した良くも悪くも普通の人だね」
リャクサは馬から降りて指揮官から廻ってくる命令書を読み込んでいた。上陸地点、進軍方向、補給の確保など様々な要点が記載されており、この後行われる軍議に必要な事前知識だ。
「リャクサ様は二五歳です」
カーニャは暗に人のことを言えないと伝えた。
「子の成長が早いのは驚かされるよ」
二五歳は元老院議員に選ばれる最低年齢である。ホロラムは元老院でおよそ二十年の経験があり、リャクサが平凡と評価できるものではない。
ただし、軍事の天才でないことは確かであろう。紙面に書かれている通りならばリャクサ・ナーラムントが千人の軍勢を率いるのである。
「……人材不足だね」
経験のある元老院議員はフィレネか皇帝の下に集まっているようで、ホロラムの軍勢は若い軍人や経験に乏しい元老院議員しかいない。
「酒造り当主の千人将」
サカニカの祝意に彼は首を振った。
「千人の指揮はアレッシアに任せるよ。義理の娘でね、十の頃から軍団にいたらしいから任せられる」
視線の先には男と見間違えてしまうほど筋骨隆々な女性がいる。
(あれで同じ性なのが信じらんないんだけど?!)
「巫女も軍議に呼ばれているから行こう……アレッシア!」
大事な情報が書かれた紙をカーニャに渡してリャクサは馬に跨った。義理娘のアレッシア、義理息子のカルメ―ロ以外にも奴隷の何人かが馬に乗れるらしく屋敷で見かけた顔が何人かいる。
歩兵として随伴している奴隷がサカニカとカーニャを案内し、将校が集まっている陣地に向かった。
そこは寝泊まりと包囲されたときの防衛が出来るような簡素な陣地であった。造営と野営の訓練も合わせており、行軍や戦闘など様々な訓練が一纏めにに行われている。
「あちら中央の幕が――」
「――お美しい巫女殿!巫女殿ではないか!」
耳をつんざく声が辺り一帯に響いた。
声の主は神殿から都まで護送を担ったルシウスである。若い軍人であったがサカニカとカーニャは完全に彼の事をド忘れしていた。心のどこかで皇帝やフィレネの軍勢にいると思い込んでいたらしい。
「銀の髪で真なるか迷ったもの。いやぁしかしここで会うとは運命を感じますな!出来ることなら――」
「――陣幕に案内してくれ」
ルシウスは一瞬落ち込んだが表情を立て直す。
「巫女殿は必ずこのルシウスが千の刃、万の鏃から防いで見せますぞ」
「期待しよう。ルシウス殿」
「おっと、こちらへこちらへ。ホロラム執政官が首を痛めて待っておりますゆえ」
「ん?」
妙な言い回しは本当だった。ホロラムは特注の首輪を作らせて痛めた首の負担を減らし、頭を固定していた。
陣幕中央の地図を睨んでいた面々は巫女が入ってきたことで中断する。一息つく余裕が生まれた。
「フィレネから話は聞いているぞ。巫女サカニカ、死地に送りだされるとは難儀だな」
「陛下の御心に従うまで」
「ふんっ。傀儡でない終身独裁官など無用の長物、この討伐が終われば即弾劾してみせるわ」
息まいているのはホロラムだけだった。
「……皆、無言で見るな。儂も分かっておる」
皇帝が万人から嫌悪されているなら弾劾も可能であった。しかし、属州の反乱で必要とされている存在を弾劾しようとすれば、逆にホロラムが執政官の地位を失う。
しばしの沈黙、ホロラムは肺に空気を送り込んだ。
「この一週間、兵士の訓練ご苦労であった。これより南下し海を渡る。巫女には嵐に巻き込まれぬよう祈祷を、他の者は船酔いに注意させよ。反乱者どもに海軍がいるとは聞いておらぬが、儂の予想ならば必ず出てくる」
「ホロラム、何故だ」
同年代と思われる軍人が質問した。
「クラデンス家の海運業はあの地域の船を奪って始まった。造船の技術は高いぞ」
「道理だな。載っているのは帝国に不満を抱く戦士となると分が悪い」
二人の会話を皮切りにして様々な問題点が呈され、解決策と次善策が用意される。サカニカやリャクサなどは入る暇もない。彼の隣にいるアレッシアは軍議に参加し、問題点を洗い出していた。
「やはり補給を断たれてしまうな。少数で大軍が飢える。我々だけで港町を全て押さえる必要があるぞ」
先程の軍人が総括した。
「フィレネ執政官は?」
「三万は略奪で賄える人数ではない」
振り出しに戻った話し合いに誰もがため息を吐いた。
「敵が決戦を挑むのは希望的観測だ。属州サカニカのように散発的な攻撃と思うほかない。対処はこちらも同様の攻撃を仕掛けることだが、補給が我らの首を絞める」
属州を獲得したときに皇女が産まれたため、属州と同じ名前がつけられている。ルシウスだけが視線を巫女に移動させた。
「……やはり皇帝の案を採用するしあるまい。フィレネに一万余分に奪われたのが響いたな」
ホロラムの言葉に全員の目線が地図上の一点に集中する。
そこはクルツゴ港、海洋国家が遺した百隻以上の修理能力を持つ港だった。今は破壊されているが立地の良さは今も健在である。




