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若と忠犬と黒瀬組 ─ 進路の決まらない僕と一緒にいる幼馴染 ─  作者: 灯屋 いと


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9/12

#9 忠犬、牙をむく

 神社の例祭が終わるとあっという間に七月が駆け足で終わりそうになる。高校生最後の夏休みが目前だ。

 いくら成績が良かろうと、大学受験を視野に入れているならば本来は講習や模試の準備をするのが当然だが、律はなにもしない。進路決定という問題を先送りにしているのか、諦めかけているのか、律にもわからない。いまだ、なんの決断を下すきっかけもない。

 夏の本格的な暑さが思考を鈍くする。進路を最終決定する三者面談が近い。


「りーつ」

 夕食後、蓮の部屋で蓮に寄りかかりながらゲームをしている画面を眺めていたら、ふと呼ばれた。ぼんやり眺めていた画面はログイン画面に切り替わっていた。

「うん?」

 片膝を抱えたままぼんやりとした返事を律は返した。なにも決めていない焦燥感だけが増して、律は多少上の空だった。

「律さ、祭りん時まで楽しそうだったのに、またどんよりモード入ってね?」

 首を傾けて隣から蓮が覗き込んできて軽い口調で言うけれど、茶色っぽい色素の薄い目が心配そうにしている。ずっと一緒にいる分、蓮には律の些細な変化も隠し切れない。

「……ねえ、蓮さ。一緒に家出しよって言ったらうんって言ってくれる?」

「うん。行くよ? 律はどっかに行っちゃいてーの」

「冗談だよ。本当に家出なんかしない。……でも、なんも決められなくて……疲れた」

 家出など大胆なことをする度胸もないのに、ただそんなことをするとしても蓮はついてくるというのかという試すようなことを言ってしまった後に、律は後悔する。蓮は迷いもなく頷くと知っていて、安心したいだけなのだ。そしてそれは、律自身の焦燥感が原因で蓮を巻き込んでいる。

 蓮に寄りかかっていた側の肩に蓮の重みが増したかと思うと、頭がくっついた。

「りーつ。俺は律がどこに行っても一緒に行くよ? 地球の裏側でも宇宙でもさー。律はどこ行きたいん?」

 冗談のように蓮は言うけれど、本気だ。

「地球の裏側でも宇宙でもないかな。たださ、漠然とどっか行きたいなってだけ」

 蓮の例えがあまりにも壮大すぎて律はくすりと笑った。くったりと蓮に寄りかかって、まだどこに行くにも蓮と一緒にいたいと思っていることだけ子どもみたいだなと思う。

 けれど、地球の裏側──律も蓮も知らない国で、誰も知っている人がいない場所でのんびりと暮らすのも、少しだけ心惹かれる。現実化できない夢のような魅力がある。

「なあ、律。遊びにいこっか。カラオケとかー。律さ、煮詰まってんじゃん? 息抜きしよー」

「そうだね。いいかも」

 寄りかかり合いながら、律は蓮の提案に素直に同意する。なにも決められないという焦りと心の閉塞感が鬱々とさせてしまうのだ。ならば、いっそのこといったん考えることを放棄してもいいだろう。

 時間はまだ夜の九時過ぎ。高校三年生にもなって、深夜でもないのに遊びに行ったところで叱られるような時間でもない。

「駅前のカラオケ行こっか」

「おっけー」

 のんびりとした口調で蓮が返事してゲーム機の電源を落とした。財布とスマホをポケットに入れただけの軽装で離れの玄関から母屋を通らずに家を出る。母屋を通ると誰かに鉢合わせてどこに行くのかと訊かれるのが面倒で、夜に外に出る時は母屋を通らない。


*****


 駅前は開発が進みきっていないものの大きな幹線道路が通っていることから、商業ビルはそれなりにある。チェーン系の牛丼屋、定食屋、カフェ、カラオケ、その他銀行や不動産屋など。黒瀬組は商店街や繁華街との繋がりは深いが、町全体を掌握している訳ではない。そもそも、そのようなことは無理だ。

 律と蓮は店仕舞いを終えて静かになった商店街を抜けて駅前へと向かう。

 この町は数駅先に私立の大学もあることから一人暮らしの大学生も多い。大学生向けのマンションやアパートは商店街や繁華街とは別のエリアに密集している。いわゆる住み分けというものらしい。

 平日の夜でも駅前はそこそこ賑わっている。社会人や大学生にとって夜九時過ぎはまだその日が終わって食事やその後の娯楽に当てる時間だ。律と蓮は賑やかしい通りをのんびりと歩きながら目的のカラオケ店に入った。二時間のコースを選んで、ドリンクを注文して個室に入る。

 蓮は普段から鼻歌を歌い、オンラインゲームのボイスチャットでは時に英語でやり取りし、音楽もよく聞く。短気で喧嘩っ早いところを見なければ十七歳らしい健全な男子だが、律はそんなに音楽にも興味を示さない。本を読んでいる方が好きで、自室ではほとんど無音だ。なのに時々、カラオケに行くのは蓮の歌う声が耳に心地いいからだ──が、結局は律も全く歌わない訳ではない。蓮の部屋にいることが多く、自然と好みの曲は覚えてしまう。そして、律は普段物静かな分、歌って声を出すとすっきりすることも知っている。

「あー……ねえ、蓮。あれ歌ってよ。トップガンの」

「いいよー。じゃあ、後で俺も律になに歌わそっかなー」

 言いながら問答無用で曲を送信すると、蓮はマイクを取ってにやにや笑いながら企んでいる。

 蓮の歌う曲は洋楽が多い。普段の鼻歌が英語の歌ばかりなことが関係しているのかどうかは律にはわからない。けれど、発音がきれいで歌がうまい。そして歌える曲のバリエーションも広い。オンラインゲームのボイスチャットでの英語のやり取りをどうしてできるのかと聞いても「なんとなく?」という返事だから律には理解不能だ。因みに英語の成績がいい訳ではない。

 感覚だけで色々なことを器用にこなす蓮はもっと好きにやっていいのに、と思いながら律は同時にそれが現実になることを考えるととてつもない寂しさを予感する。

「りーつ! 聞き惚れんなよー」

 自信満々に笑って蓮は歌う。

 鼻歌で歌うムーン・リバーやフライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンとは全く違う雰囲気。囁くような柔らかさはないのに、蓮らしい。ふと、律は空に関わるものが蓮に似合うのかもしれないと歌う蓮の隣でくすりと笑った。

 歌い終わると蓮はテーブルにマイクを放り出してリモコンを弄っている。口元が悪戯そうに笑ってる。

「れーん、あんま無茶振りしないでね?」

「んー……無茶振りではないと思うけどー」

 そんなことを言いながら、蓮はリモコンを操作して送信した。なにを入れられたのかも明かさないのは十分無茶振りだ。モニターに映ったタイトルは“ロストワンの号哭”

「無茶振りじゃん! 早い! 早口!」

 思わず律が抗議すると、蓮がにんまりと笑う。

「へーきへーき」

「もう……噛んだらやめるよ?」

「いーよー」

 仕方ないなあと思いながら歌い出した律の声がだんだんと大きくなっていった。

 恐らく蓮が選曲で企んでいるというのはない。単純な無茶振りだ。けれど──その歌詞がやけに律に刺さる。不満と不安と投げやり。噛んだらやめると言いながら最後まで無意識に叫ぶように歌って、律は呆然とした。声を出すとすっきりするはずなのだが、もやもやしたものが増している。歌の歌詞に感情が引っ張られ過ぎて、理性が反発して“どうだっていいや”というただの歌詞と一緒にストレスが解放できない。

「律? りーつ? なしたん?」

 目の前で蓮が手をひらひらと振って顔を覗き込んできた。律ははっと我に返ると、慌てて平静を装った。

「なんでもない。早口、疲れただけ」

 条件反射で当り障りのない言い訳をすると、するりと指先で蓮が目尻を撫でていった。

「律さあ。俺にはなんでも話してくれてると思ってたの、俺の勘違い?」

「ううん?」

 どうしてそんなことを言うのだろうと思いながら律が首を傾げると、ぐいっと両手で顔を掴まれた。

「律。マジでどっか行きたいんなら、行こ。律がさ、しんどくなんなくていいとこ」

 至近距離で真面目な目で言われ、律はどきりとした。そして、蓮には誤魔化しがきかないことに苦笑する。人生の半分以上一緒にいるのだから、言い訳も誤魔化しも効くはずがない。誰よりも同じ時間を過ごしてきたのだから。

「……まだ、大丈夫。でも、さっきはちょっとだけ言い訳した。ごめんね、蓮」

「なーんで謝んの? 律は俺に悪いことしたと思てるん?」

「んー……言い訳はよくないんじゃないかな……誤魔化そうとしたし」

 両手で頬をぐにぐに揉まれながら律は喋りにくいまま答えた。すると、蓮はぱっと手を放して人懐っこく笑う。

「そんなん気にしねーよ。だってそれは嘘とは違うじゃん」

 それは甘やかしでは、と思いつつも律はほっとする。蓮が笑っているだけでささくれていた気持ちが落ち着いていく。思わず蓮に手が伸びて、茶色い癖っ毛をわしゃわしゃと撫でてしまう。

「わっ!? なに? なに、律」

「んー……なんでだろ。落ち着くから」

「なにそれっ」

 突然撫でられた蓮は驚いた後、おかしそうに笑っている。律は気が済むまでされるがままの蓮を撫でて離すと、ちょうど時間終了のコールが鳴った。


*****


「あ。もう十一時半すぎてる。さすがに帰るの十二時過ぎたら小言言われそうだな」

 カラオケを出て時間を確認した後、律はぼやいた。まだ十七歳、高校生。いくら父が豪快とはいえ、変なところで妙な過保護を発揮する。父が小言を言わなくても修治が言うだろうという予測もつく。──本当に変な家だな……。

「いいじゃんもうさー。どうせ小言くらうんならもうちょい寄り道してこーぜ。牛丼かハンバーガー」

 けろっと笑って蓮は向かう先を駅前の二十四時間営業のファストフード店の方へ向ける。確かに小言が確定しているなら急いでも遅くなっても変わりはない。

「バニラシェイクなら付き合う」

「りょーかいっと」

 律が短く返事すると蓮の向かう各方向が明確になった。軽い足取り。ステップを踏むようなスニーカー。揺れる癖っ毛。夜の町の明かり。

 人通りは少なくなってきているものの、酔っ払いが増えている中で蓮は器用に人を避けて軽やかに歩く。そんな姿をやけに新鮮に感じながら見ていると、いきなり誰かに声をかけられて律は足を止めた。

「律? どーしたん?」

 背後の気配を察知したのか蓮が振り返って律の隣に戻ってきた。

「お。連れおんのか。なあ兄ちゃんら、まだガキだろ? いいもん売ったる。どうだ? すっきりするぞ。そっちのほっそい兄ちゃんなんかストレス貯めてそーだし、そういうのぶっ飛ばせんぞ」

「……いいもんってなんですか。どんなものかわかんないと、買うも買わないも判断できないんですけど」

 律は明らかに怪しいいかにも柄の悪い男二人組にできるだけ警戒を見せないように言った。隣の蓮の気配がぴりついているのが見なくてもわかる。

「まあ、そりゃそうだわ」

 男の一人が半笑いでポケットからパウチの透明袋に入ったものを出して見せた。中には原色でカラフルな大粒のラムネのようなものが入っている。

「ちょーっとテンション上がるおクスリみたいなもんよ。試してみん?」

 目の前にパウチ袋をちらつかせながら男が馴れ馴れしく律の肩に腕を回してきた。

「セックスくらいしたことあんだろ? 何倍もよくなるぜ」

 下品だな、と律は視線を逸らした。その瞬間。

「痛って! なにすんだ!」

「うるせえ。律に気軽に触ってんじゃねえよ」

 蓮が律の肩に腕を回していた男を突き飛ばしていた。声が低く、獰猛になっている。──駄目だ。反射的に律は蓮の片手を掴んだ。

「蓮。いいよ。行こう」

「よくねえよ!」

「駄目。行くよ」

 怒鳴り返されたが、律は蓮の手を掴んだまま強引にその場を去った。逃げるのではなく、早足で何事もないように装いながら。

 男がちらつかせていたもの。あれは駄目なやつだ。

 確かにかまをかけるようなことを言ったのは律だが、まさか本当に悪い予感が当たるとは思わなかった。ポケットからスマホを出してまず修治の連絡先に通話を繋ぐ。何回かの呼び出し音で回線の向こう側から修治の声がした。

「若。どうしましたか、こんな時間に」

「父さん、いまどこにいるの。家?」

「竜一さんは店に行ってますね……大方、酔っ払ってると思いますが? なにかありましたか」

 声は荒げないが早口に言う律の様子を察したのか、修治が訊いてくる。

「どこの店? 行くから連絡しといて。たぶん、いま言わない方がいい気がする」

「わかりました。人払いもしておきましょう。私も行きます。ラウンジ・クリスタルです。場所はわかりますね」

「うん」

 律が通話を切ると、ようやく蓮が口を開いた。

「律? いまの修治? なんで親父? 言わない方がいいってなに」

「さっきの奴が売りつけようとしてたの、合法ドラッグとかそういうやつだ……。蓮がいくら強くても、僕たちまだ未成年だから、危ない。ああいうの、単独なはずがない」

 小声で状況説明をする律に蓮が急に足を止めた。引っ張られる形で律が引き留められる。

「なんで! さっき言わんかったん!?」

「だってそんな奴らの目の前で言えない!」

「律は俺がボコられるとでも思ったん?」

「違う! 僕たちが首を突っ込んだら危ないって言ってんじゃん!」

「律は俺が喧嘩しようとしたらそうやってすぐ止める!!」

 そうじゃない。いまは次元が違う話なんだ。

 そう思うと律は掴んでいた蓮の手を力任せに握った。

「わかれよ蓮! 僕だって止めたくて蓮を止めてるんじゃない! でも危ないのわかってんなら止めるしかないじゃん!! 僕たちまだガキなんだよ! 強いか弱いかの問題じゃないんだ!!」

 蓮の手を握ったまま怒鳴り散らすと、律は肩で息をしながら俯いた。足が重い。父がいる店まで行って状況を伝えないといけないのに、こんなところで言い合いをしている場合ではない。なのに、違法薬物の売人に声をかけられた時よりも泣きそうな気持ちになっている。

 手を握ったままなのに、律は蓮の顔を見れない。見るのが怖い。

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