#8 祭りと黒瀬組
宵宮の朝から明日の本宮が終わるまでは黒瀬家の食卓は通常運転をやめる。
普段は朝夕の食事は全員が揃ってするが、祭りの二日間だけは話が変わってくる。宵宮の日は朝早くから屋台のテントを設営し、昼前から屋台を開き交代で夜まで店番と警備を担当し、翌日の本宮にはその中から更に神輿を担ぐ者と給水テントに控える者の分担がある。本宮が終わると屋台のテントの撤収作業は翌朝までに。
怒涛のスケジュールでいつも通りにゆっくり食事する暇さえないのだ。朝は大量のおにぎりと簡単な総菜、麦茶が用意されてて、各自好きに食べる。
まだ高校生の律と蓮は手伝いの名目で屋台の店番や神輿を担ぐが、慌ただしさは家の他の者たちに比べたら半分以下だ。宵宮の朝、普段より静かな食堂で二人で簡単な食事を済ませると、律は使った食器を台所に下げに立った。
「蓮。僕、このまま父さんのとこ行ってくるね」
「おー! べっぴんにしてもらえー」
「だからなんでそういう言い方なの」
くす、と笑って律は台所で食器を洗った後、父の部屋に向かった。
普段、あまり律が踏み入れることのない部屋。父の居間ではなく、私室。律はこの部屋に入る時、少し緊張する。襖をいきなり開けられない。廊下に膝をついて、襖の外から声をかける。
「父さん。僕だけど」
「おう、律。入れ」
いつも通りの父の声のはずなのに、なにか威圧感を感じてしまう。律が膝をついたまま襖をあけて中に入ると、父は張り出し窓に腰かけ窓を開けてふかしていた煙草を灰皿に消した。雑多なのか片付いているのか判別つかない部屋に、桐箪笥の引き出しがひと棹出されていた。真新しいたとう紙。帯と腰ひも。
「浴衣、作ったの? いつの間に?」
「あほか。浴衣でも仕立てるんは時間かかんねや。これは直しただけじゃ」
「ふうん」
新しいたとう紙に包まれた浴衣に律が納得しきらない空返事をすると、「ええから着替える準備せえ」と言われた。どうせ浴衣を着せられるからと部屋着のままだった律は言われるがまま、身に付けていたものを脱いで簡単に畳む。その間に父はたとう紙に包まれた浴衣を出し、帯と腰ひもを着付けやすいように解いている。
「ほれ、律。袖通してみいや」
背中から浴衣を掛けられ、律は細い腕を浴衣に通す。その後は父が淡々と慣れた手つきで着付けをする。
きれいな紺藍色に細い棒縞。
「この浴衣さ、直したって言ってたよね。父さんの趣味と違くない?」
「そらそうや。澪が選んだ浴衣やからなあ」
「え」
「お前、もうこれ以上背えそんな伸びんやろ。そろそろええんかと思ってな」
身長の話ではなく。と思いながら、律はなんと言っていいのかわからなく、黙った。父は滅多に母の話をしない。だから急にその言葉が出てくると驚いてしまって困る。
「相変わらず細っこいなあ律は。少しは蓮の筋肉分けてもらえ?」
「……それは無理じゃん」
前に似たようなことを蓮に言ったな、と思い出しながら律は返事をした。親子というのは変なところで似るのだろうか。
「まあなあ。ええわ。お前らセットでようやっと一人前やし」
「あのさ、父さん。僕たち春には高校卒業するんだけど? 誕生日来たら十八にもなるし」
律が異議を唱えるとぎゅっと帯を締めながら笑われた。
「まだ進路も決まってない半人前がよう言いよる」
さすがにそれには律も反論できなかった。嫌いではないのだが、律は成長するほどに父とどう接していいのかわからなくなっている。ただの反抗期なのだろうか。
腰をばん、と叩かれ「ほれ、できたで。下駄は修治が玄関に出してあるやろ。鏡、見るか?」と言われた。叩かれた勢いのまま律が父の部屋の姿見を見ると、見慣れない自分が写っていた。
「まあ、男は女親に似るっつーのはほんまやな」
揶揄うように笑う父の顔を律は見れなかった。その話は触れてはいけない気がして律からは踏み込めない。
「じゃあ、僕も蓮と祭りの準備手伝いに行かなきゃ」
畳んだ服を持って律は言い訳のように言い残して父の部屋を出た。
*****
朝の街にからころと下駄の音が響く。普段と違う足音に朝の重苦しさが音になって消えていくようで律の表情は次第に祭りの熱に柔らかくなっていった。片手を引く蓮の手の温度のせいかもしれない。手を繋いで歩くなど久しぶりだな、と思う。
商店街の朝支度の間を挨拶をしながら抜けて神社まで向かう。境内の入り口には今年も奉賛者一覧の掲示がされており、律は足を止めたが、蓮はそのまま通り過ぎようとする。
「見てかないの、蓮」
「見ん!」
「どうして」
蓮が奉賛者一覧の掲示を見たがらない理由を律は知っているが、それでも高校に入ってから毎年聞いてしまう。父と修治が祭りの奉賛者として律と蓮の名前で奉賛金を納め始めたのが高校に入ってからだった。
「恥ずかしいから! マジ、俺関係ないじゃんよ」
早く立ち去ってしまいたいらしく、蓮は律の手を引っ張る。一瞬、足を止めて奉賛者一覧の掲示を見た律はくすくす笑いながら素直に蓮についていった。
奉賛者一覧の掲示の中には組織としての黒瀬組、個人として黒瀬竜一、黒瀬律、相良蓮の名前が並んでいる。そのことが蓮にはどうしようもなく恥ずかしいらしい。律自身はその掲示に名前が出るくらいは仕方ないと思っているのだが、蓮にとってはいくら家の中で律と同じく息子扱いされそれを受け入れていても外側に対しても同じくされることが嫌らしい。商店街の人たちに兄弟のように扱われていても平気なのに、と律には少し不思議だが、“相良”であることが並んでいる名前に違和感を生むのだろうかとも思う。
けれど、蓮はその名前を捨てない。そんなこと考えてもいなさそうだ。律もその方がいいと思っている。
「蓮。いつまで手、繋いでるの」
話を変えると、蓮は先を歩きながら悪戯っぽい声で答えた。声音が普段通りに戻っている。
「去年、律、下駄で足ぐきってしたし。その前の年は下駄でうろつき回って鼻緒で指のあいだべろべろにしてたし水ぶくれにもなってたじゃん。危なっかしいんだよ」
「えー……そんなこと忘れてくんない?」
「やだね」
今日は宵宮で蓮が神輿を担ぐのは明日の本宮だから、今日はラフな白いTシャツとダメージデニムにスニーカー。年に一度しか着ない浴衣の律とは装備が違う。だからと言って毎年なにか祭りの日に限ってやらかしている様な言われ方は少し腹が立つ。けれど、下駄で足を痛めた年の帰りに蓮におぶられて帰ったことまで言及されなかったのはほっとした。
神社の境内ではもう屋台のテント設営が終わっている。蓮に型抜きのブースまで連れていかれると、なにやら厳重に簡素な椅子に座れされた。そして
「絶対に無駄に動くなよ。コケるなよ」
やけに神妙な顔でそう言われた。型抜きブースの準備を先にしていた若い男たちが蓮を振り向いて笑う。
「蓮ーなんだそれー」
「だって! 去年も一昨年も祭りん時、律、足やってからさー。だから、律のこと動かしたら俺怒るよ?」
蓮が大声で言い返したら、律の後ろで笑い声が起こった。
「もう。蓮、大丈夫だよ。そんな三年連続……」
「二度あることは三度あるって言うじゃん?」
「あー……もう。わかったよ」
一度言い出したら聞かないことも、律は知っている。観念して座らせられた椅子から律は蓮に手を伸ばした。腰を折って蓮が律の手に引き寄せられる。
「蓮は今日は忙しいとこの助っ人マン? 頑張ってね」
わしわしと茶色い癖っ毛を撫でながら確認のように律は言う。律の手の下で気持ちよさそうに目を細めた蓮は「うん」と返してくる。撫でる手を離すと、蓮はひらりと手を振って身軽に別の屋台のテントの方へと走っていった。
*****
例祭は毎年土日ということもあり、十時を過ぎると近所の老若男女が境内にいっぱいになる。中には祭りらしく浴衣姿もちらほら見える。町内では小さな神輿を子どもたちが大人に先導されて担いでいるだろう。律の店番する型抜きの屋台も次第に子どもたちが増えてきた。
折り畳みの簡素な長い座卓にいくつも用意した低い椅子はすぐにいっぱいになってしまう。屋台のスペースを拡張したというのに、律の座っている前から子どもたちが集まってくる。
「りつくん、もういっかい!」
小さな子が何回目かの型抜きを失敗してしまって再チャレンジを要求してくる。一回五十円と料金は安いが、子どものお小遣いにも限りがあるだろうと律は苦笑する。
「そんなに型抜きばかりやってたら他の屋台、回れなくなっちゃうよ?」
「いいのっ」
「りつくん、ぼくももういっかいー!」
隣の男の子まで何度目かの再チャレンジを要求してきた。
「じゃあ、僕と一緒にもう一回だけやろっか。それで、他の屋台にも行って遊んでおいで。お小遣いが残ってたらまたおいで?」
わぁい! と喜ぶ子どもたちの声を聞きながら律は背後に「あっ」という声を聞き逃さなかった。しまったと思った時にはもう遅い。修治が言っていた子どもたちを贔屓にするとはそう言うことだったかと今更自覚するが、もう律は箱の中から三枚の型抜きを出してしまっている上に子どもたちから料金をもらう気もなかった。
子どもたちが型抜きを受け取って表面をきれいにしている間に後ろを振り返って、同じく店番をしている男たちに向かって「ごめん」と手を合わせると苦笑された。それでもその子どもたちがいなくなっても、律の前には次から次へと子どもたちが集まってきて時には「りつくん、いっしょにやろ?」とせがまれているうちに結局、おまけがなし崩しに増えていく。
子どもと一緒になって思わず型抜きに夢中になっていると項に冷たいものが触れ、驚いた律は押しピンを持つ手の力加減を間違え、手元の型にぴきっとひびが入ってしまった。「あ」と声を出したのは律も子どもたちも同時だった。
「りーつ。……あれ? もしかしてタイミング悪かった?」
「もうちょっとで成功しそうだったのに」
背後から聞こえる蓮の声に律は低いテーブルに突っ伏しそうになりながら恨めしい声を出した。がっくりしている律を慰める子ども、背後からの不意打ちをした蓮を叱る子どもと律の周りがいっそう賑やかになる。
「れんくん、そーいうのひきょーっていうんだよ!」
「えー……マジ? 俺、悪もんかよー」
「りつくんなかせたらゆるさないんだからね」
「いや、律泣かすやつは俺が一番許さねえけど?」
「でもれんくん、りつくんなかせてるじゃん!」
「え? ガチ泣き?」
がっくりしたまま律の頭上で交わされる会話はなにやらかわいい。笑いを堪えていると、蓮に覗き込まれた。
「そんなわけないでしょ」
我慢できなくなって、ふはっと笑いながら律は顔を上げた。
「でも首筋攻撃は反則」
「律だっていつもやるじゃんよー。メシ休憩行って来いって。いこ?」
改めて蓮の方を振り返ると、蓮はペットボトルの茶と屋台製焼きそばとフランクフルトのパックを二人分手にしていた。もう昼時かと思うと、祭りは時間がたつのが早い。
「ん。じゃあ、みんな楽しんでってね」
子どもたちに手を振って低い簡素な椅子から立つと律は蓮と屋台のテントを抜けていった。
神社の敷地内に屋台用の休憩所として建てられているテントには他に誰もいなかった。境内の屋台は黒瀬家が回していて、昼休憩も交代制だ。
「律さー今年もちびっこにモテモテなんな」
「そうなのかな」
ぱき、と冷たいペットボトルの麦茶を開けながら律は首を傾げる。なのに蓮は物凄く引いた視線を律に向けてくる。
「え? なんで僕そんな目で見られてんの?」
「律さー、俺があんだけちびっこに総攻撃されてんの聞いててそういう反応なん?」
「だって子どもだよ?」
そういうと蓮はキャンプ用のテーブルにぱたりと突っ伏して「あーねー……まあ、ちびっこだけどさー」などとぶつぶつ言っている。蓮が律の周りにクラスの女子が群がると追い払うのはいつものことだが、相手はまだ子どもなのにと律にはたまに理解できないところで拗ねる。
「れーんー? 僕が子どもたち構うのも嫌?」
「違うけどー」
天気のいい土曜の昼間から鉄板の前に立ってたのだろう、蓮の癖っ毛が汗ばんで朝よりしっとりとしている。首筋に汗が伝っている。体力が有り余っているなあ、と律は少し笑う。
「蓮だってモテない訳じゃないでしょ? 蓮が相手にしないだけで」
「ちびっこは構ってるしー。かわいいじゃん、あいつら」
「そうじゃなくて」
麦茶を飲みながら、何気なく律は普段の学校での蓮を思い出した。いつも一緒にいるから、蓮が一切構う気がなくても一部の女子は律ではなく蓮を見ていることを知っている。
「だから、要らんもん。そんなん」
のっそりと蓮は突っ伏してた体を起こして呟いた。
律の言いたいことは伝わったようだが、少しだけ機嫌が悪い。
「ごめんね、蓮。焼きそば大盛にしてあげるから機嫌直してよ」
パックにいっぱいに詰められた焼きそばを開いて片方に半分くらいを律が盛っていると、その仕草を見た蓮がしょうがなさそうに笑う。
「それは律が食いきれないだけじゃん?」
「バレたか」
*****
怒涛のように宵宮が終わって屋台を撤収するのが夜の九時過ぎ。それまで何度か休憩を回すが、それでも普段やり慣れないことをして一旦、家に引き上げて落ち着くのが十時近く。そして明日の本宮はメインの神輿担ぎが待っている。宵宮の神事や屋台や子どもが担ぐ神輿はまだ余興なのだ。
律と蓮も帰宅すると天気が良かったこともあり、汗だくで風呂上がりに離れのキッチンの冷凍庫からチューペットを出して縁側に並んで分けた。蓮は一日中、忙しくしている各屋台の手伝いに走り回り、律の何倍も動いている。これで明日神輿を担ぐというのだからどういう体力なのだろうと律には不思議だ。
──腕、筋肉凄いな。倍くらい? 太さ違うかも。
縁側の沓脱石に足を出したまま大の字に転がっている蓮を見下ろしながら、律はふと笑った。六歳から一緒に育っていて、その当初は体格差など感じなかったのに随分差が出たなと思う。律が武道をはじめとした体を動かすことをあまりしない分、全部蓮にいったように蓮は活発でよく動く。
「どーしたの、律」
「んーん。明日のお神輿の時間は店番休憩にしてもらって見に行こ」
「おう。かっけー俺見とけー」
大の字になったまま蓮はにんまりと笑う。食べ終わったチューペットの空を片手に持ったまま、しばらく庭の虫の声と風鈴の音しかしなかったかと思うとふわりと蓮が鼻歌を口ずさみだした。囁くような低くて柔い歌声。フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン。律はそれを聞きながら誘われるように月を見上げる。
翌日の本宮も晴天だった。朝から修治が氷が足りないかもしれないと酒屋に追加を注文していた。律は昨日の浴衣を父に返し、別の浴衣を着せられた。今日の浴衣は去年と同じもので、父は普段と変わらず律は密かにほっとした。
昼過ぎまでは宵宮同様、神社の境内の屋台も賑やかだが午後になると人が少し引いていく。神社から繁華街、商店街を練り歩く神輿に人が集まっていくのだ。そしてまた夕方には屋台が祭りの名残を惜しむように賑わう。
町内会や商店街の神輿も出る分、本宮の日は法被姿の男たちがあちこちに見える。その中でも蓮は年少の部類に入る分、特に目立つ。
午後の神輿行列の時間が近くなると、律は男たちに店番を頼んで神輿行列の中間地点に設置された沿道沿いの黒瀬の給水テントに向かった。その場を仕切っているのは修治だ。
「おや。若、屋台の子どもたちはいいのですか?」
律がテントに顔を出すと修治に苦笑された。
「うん。あとで遊ぼうねって言ってきたから。蓮がお神輿担ぐの見に来た」
「では、手伝ってくださいね」
そのための給水テントなのだからと言わんばかりに修治に言われ、律は頷いた。
この町の例祭の神輿行列は喧嘩神輿のような荒いものではないが、それでも総重量しにたら相当な重さの神輿を男たちが担ぐ。太鼓を乗せた山車も引く。拍子木を打ち、大太鼓を叩き、神輿は一定区間をひとつの儀式として動く。移動がゆっくりな分、七月の晴れの神輿行列はじりじりと体力が削られる。
人の騒めきの中で遠くで鳴っていた拍子木の音がだんだん近づいてくる。
「若。蓮のことは頼みますよ」
ふいと、修治が隣で言った。律は毎年同じことを言われる。
「いい加減体力配分というものを覚えて欲しいのですが、まあ蓮には無理でしょうね。変なところが竜一さんに似てしまって」
「意地っ張りなとこ?」
「身も蓋もなく言えばそうなりますね」
表情一つ変えずに返事する修治に律は苦笑した。それと同時に、蓮の方が、という考えがこんな時に脳裏をよぎる。時々、律は自分よりも父と気質が似ている蓮の方が向いているのではないかと考えることがある。律自身は父や蓮のような豪快さはない。タイプで言えば裏方をしている方が性に合うと思う。表に立つような器ではないのだ。
そんなことを考えていると、甲高い拍子木の音で律ははっと我に返った。いまはそんなことを考えている場合ではない。
「さて、血気盛んなのが来ますよ。準備してください」
静かだが、緊張感を含んだ声で修治が合図するとその場にいた男たちが氷水の入ったバケツを持ち出した。律も近くのバケツを持って待機する。繁華街と商店街の間、ちょうど神社から神輿行列の終点までの中間地点。
拍子木が鳴ると、一旦神輿が降ろされる。次の拍子木まで数分の間に担ぎ手をはじめとした男たちにバケツの水をぶちまける。そして余裕があれば水分補給。
「蓮!」
律が神輿を降ろしている間に駆け寄ってバケツの氷水を頭からかけ、後ろから渡された水を差しだすと、ずぶ濡れのまま息を乱していた蓮が手だけで水を受け取って一気に飲み干して一息ついたかと思うと両手で伸ばしっぱなしの前髪をかき上げて吠えた。
「っしゃ! まだまだァ!!」
勢い任せにプラスチックコップを突き返されると、受け取った律は安心する。
一番若い蓮が吠えるものだから他の者たちも連鎖的に気合が入る。こればかりは完全に気質の違いでどうしようもない。
「なにへばっとんだ! まだ行くぞ!」
先頭で父が怒鳴りながら煽るものだから、基本的に負けん気の強い者たちは誰も脱落できない。
「行ってらっしゃい、蓮」
「おうよ!」
バケツを持って離れる時に律が声をかけると、返事が返ってきたがたぶん蓮は覚えていない。神輿を担ぐのは黒瀬組の中でも力と体力がある者だけだ。その中に蓮が混ざっていることの方が異質ではある。次の拍子木が鳴る前に律は急いで給水テントに戻った。
「どうでしたか」
「……たぶん、去年と同じ」
テントに戻ると修治に訊かれ、蓮のことだろうと律は苦笑しながら返事をした。
「まあ、神輿でテンション上がってる程度なら健全でいいんですけどね」
「うん?」
修治のぼやきに律は首を傾げたが、特にそれ以上なにもなく修治は仕事に戻っていった。律も屋台の店番に戻らなければならない。どこからこんなに人が集まるのかという人混みの中、律は神社の方へと戻った。
夕方を過ぎて夏空が暮れていく時間になるとようやく神輿を担いだ男たちが神社の境内に戻ってくる。黒瀬の男たちに混ざって、町会や商店街の法被の男たちも紛れている。決まってこの後、大人たちは酒を飲みだす。
「りーつー!!」
型抜きで遊ぶ子どもたちも少なくなった屋台の店番をしている律の元へ蓮が帰ってくる。先ほどの野獣のような様子から一転して、いつもの蓮になっている。が、氷水を被った法被のままで濡れネズミの様相だ。
「疲れた! めっちゃ楽しかった!!」
汗だらけで息を切らしていた姿はどこへやらなのだが、達成感なのか法被の男たちはみな晴れ晴れとした顔をしていて、蓮も同様だ。
「お疲れ、蓮」
「律、見てた?」
「見てたよ」
濡れた法被のままのしかかって訊いてくる蓮に、律はくすりと笑って返事をする。蓮は給水で水を浴びせたのも差し出したのも律だとは気付いていない。もしくはわかっていない。神輿を担ぐようになって毎年そうだ。だから、最初の年は律は驚きもしたし、修治は蓮を気に掛ける。
「若ー! こっち、もういいっすよー! あとやっときますから、蓮と休んでくださいってー」
背後から同じ店番をしている男が声をかけてきた。要は蓮の面倒は頼んだということだ。
「うん。ありがとう」
蓮に背中からのしかかられたまま律は返事をした。蓮に乗っかられているせいで後ろを振り向けない。
目の前の子どもがひとり、静かに型抜きで遊んでいたのを律は見ていたが、惜しいところでひびが入ってしまった。細い部分で律でも上手く抜けるかどうか怪しい。慎重に進めていた型抜きが失敗して子どもはしばらく顔を上げなかった。大丈夫かな、と律が考えた頃に子どもは顔を上げた。悔しそうな顔をしているが、泣きそうな気配はない。
「りつくん、れんくんといくんでしょ? れんくん、おみこしかっこよかったよ!」
子どもが不器用な気遣いを見せる姿に律は手を伸ばしてその子の頭を撫でた。
「うん。また遊ぼうね。いつでもおいで」
「またね!」
律に撫でられて満足したのか子どもは親元の方へと駆けていった。
「まーたちびっこ誑しこんでるー」
「いや、蓮がかっこいいって言われたんだよ?」
「律。屋台一周してメシかっぱらってこよ。ハラヘリ」
よいしょ、と蓮が立ち上がると手を伸べられた。その手を取って律が立ち上がると、蓮はそのまま手を繋いだままで店仕舞い寸前の屋台を回って差し入れを手に入れ、人気の少ない境内のベンチに落ち着いた。この時間以降は屋台でさばききれなかった食べ物は神輿を担いだ男たちの酒と一緒に消費される。その前に食事を確保するのは恒例だ。
ベンチに落ち着いて差し入れを置いて、先に蓮はラムネ瓶を律に渡してきた。懐かしい風情のする薄い水色の瓶とビー玉の音。しゅわしゅわの炭酸。夏の遅い夕暮れ時。祭りの終わりをラムネで締めくくる。




