#7 前夜、静かな熱
屋台の大盛禁止。任意の追加料金をいただくこと。不明点は榊修治まで。
妙な威圧感のある張り紙が台所と食堂に張り出された。
祭りの前日は毎年とても忙しい。数日前から屋台で使う粉や景品の類が普段は使っていない倉庫を埋めはじめ、テント設営の準備のために経年劣化のチェックから始まり、前日の夜は食品屋台用の仕込みが夜まで続く。台所だけでは狭く、黒瀬家の食堂まではみ出した仕込み隊が焼きそば用、お好み焼き用などに分けて大量のキャベツを刻んで袋に分類し、朝までは冷蔵庫で保管し、当日は大量のクーラーボックスに詰められる。その他にも、食べ物ごとに分類された食材。卵や紅生姜、天かす、青のりなど。フランクフルトやホットドッグなどはまだ手がかからないらしい。今年はフルーツ飴を新しくやるので、八百屋から大量に仕入れたパインをカットする作業も増えた。
律が店番をする型抜きはまだやることが格段に少なく、前日でも大きな作業はない。型抜き自体は事前に昨年より三割ほど多い量を発注して数の確認は済んでいる。使うブラシや押しピンなどの道具は毎年使い回しで不足分がないかチェックするだけでいい。型抜き成功者には“賞金”が与えられるので、景品の管理も必要ない。
神輿担ぎに駆り出される蓮は毎年、前日には若い衆に混ざってキャベツ切りを手伝っている。
自分の担当する準備が終わると、律は台所からまな板と包丁を持ってきて食堂でキャベツを刻んでいる蓮の隣に腰を下ろした。
「蓮、僕も手伝うから半分ちょうだい」
「律の準備、終わたん?」
「うん。だから、手伝いに来た」
そんな言葉を交わしていると、座卓の向かいから「若」と声を掛けられた。
「若、手伝ってくれんなら、こっちの焼きそばのキャベツ切ってくんねっすか? 蓮のやつ、高速千切りしてっから危ねっすよ」
「うん?」
高速千切りとは、と思いながら律が蓮のまな板に目を向けると、さっき普段と同じ喋り方をしていたのに手元だけは物凄い速さでキャベツの千切りを刻んでいる。しかも、雑ではなく一定間隔のきれいな千切り。普段、蓮が台所に立つところなどないのに。
「ねえ。蓮、それってどうやったらできるようになったの?」
「えー? なんとなく? タイムアタック系っぽいの楽しいじゃん」
なにも理屈がわからない、と律は追及を諦めて座卓の向かい側に顔を戻した。
「うん。そっちやる。焼きそばの方。切ったのいれる袋、こっち?」
「そっす。あー……タイムアタックしなくていいっすからね」
「しないよ」
キャベツを受け取りながら忠告してくる若い男に、律は苦笑した。ざく切りにするくらいはできるが、日常的に包丁を持たない律が蓮と同じことは確実にできない。蓮ができているのは元が器用だからだろう。
食品を扱っている分、作業中は雑談をしない。廊下を行き来している男たちの声は威勢がいいが、台所と食堂の仕込み隊は静かだ。ひたすらキャベツを刻む包丁の音。廊下のざわめき。例祭の二日間とその前日だけは毎日食事をする黒瀬家の食堂が修羅場になる。
「そろそろ十時過ぎますよ。テント設営班はもう寝てください。朝五時起きですからね」
祭りの実務を取り仕切る修治が仕込み隊の様子伺いがてら、手伝いで仕込みに参加している者に声をかけにきた。恐らくすべてのタイムスケジュールを把握しているのは修治だけだろう。
「あと、若と蓮ももう大丈夫です。子どもは寝てください」
「いつまでもガキ扱いすんなよな!」
「もう来年は高校卒業するんだけどね」
修治の言葉にそれぞれ異論を唱えたが「まだ未成年の内は子どもです」と一蹴された。蓮はまだなにか言いたそうだったが、律がその前にまな板の上の切り終わったキャベツを袋につめて片付け始めると蓮も口を噤んだ。
「少ししか手伝えなくてごめんね」
「いーんすよ。あざっす」
切りかけのキャベツを向かいの男に渡すと、人懐っこい笑顔を返された。
律と蓮が台所にまな板と包丁を返しに行こうとしたところで、ふと思い出したように修治に付け加えられた。
「若は明日、朝食が済んだら竜一さんの所へ」
「あー……うん」
少し考えてから納得して律は返事し、台所に寄ってから離れに引き上げる。
*****
「親父さ、今年も律に浴衣着せるパターンじゃん。アレ」
離れの蓮の部屋に落ち着くと、蓮が笑いを堪えない雰囲気で言ってきた。
「そうだね」
「律は嫌なん?」
「嫌じゃないけど」
「じゃ、なんで難しそーな顔してんの」
ひょいと覗き込まれて、そんな顔になっていたのかと律は自覚した。父は祭りの日に律に浴衣を着せる。まだ小さな頃は蓮も同じように浴衣を着せられていて、祭りで見る子どもたちも似たように浴衣姿の子どももいて無条件にそんなものなのだろうと思っていた。けれど、蓮が神輿を担ぐようになってからは浴衣を着るのは律だけになった。
そんな些細なことが気になるのか、もっと違うなにかが気になるのか律には判然としない。
「んー……うまく言えないんだけど、浴衣が嫌なんじゃないよ」
「いいじゃん。浴衣美人」
屈託なく笑う蓮に言われると、律の肩の力が抜ける。
「美人は違うんじゃないの?」
「そ? 俺、好きだよ。律の浴衣。……なんかめっちゃちっちゃい頃さー、祭りん時に律みたいな浴衣美人に会った……と思う」
ふと蓮が珍しく、律と出会う前の話をした。
「僕に似た浴衣美人? それは女の人なの?」
自分に似た、と言われ先に律は首を傾げた。蓮ほど筋肉質ではなくても律も男で少なくとも女性に間違われたことはない。
「女の人。でも律に似てた気がする。雰囲気? かーちゃんが挨拶しなさいって言うから挨拶したら元気ないい子ねって言われた。元気な強い子ねってさー。なんかわかんないけど、覚えてる。俺、それまでさー、強いって悪いことだと思ってたんよなー」
「え? なんで?」
初めて聞く蓮の話につい律は条件反射で聞き返した。強いことが悪いというのは、単純に律にとって違和感だったのだ。蓮が律の目を見返して、少し笑ったかと思うとだらりと律の肩に体を預けてきた。
「チチオヤ──っつか、そんな風に思ったことねーけど。がさ、クソ野郎でさ、かーちゃん殴るし金毟ってくし……そんなんだったから?」
そんなことは誰も言ってくれなかった。
蓮が父に連れてこられた経緯は律も知っている。母親が亡くなって身寄りがないと簡単に説明された。けれど、それ以上のことを律は知らなかった。ぎゅ、と胸が締め付けられるように痛む。律はそんな風に誰かから理不尽に手を上げられたことがない。
「別にいまはへーきだよ。律も親父も修治も、兄貴もいっぱいいるしー。強いのが悪いってのは俺がガキで、悪い手本しか知らんかっただけだし」
「れん」
「あのさー、律。俺、かわいそーな子じゃねーかんな? そんな風に思ったらぶっ飛ばすよ? たださ、俺は律の浴衣見たら、そん時の浴衣美人思い出すってだけ」
緩い口調で簡単な同情を封じられると、律はなにも言えなくなってしまい、蓮が寄りかかっている方の手を伸ばしてぎゅ、と握った。蓮は喧嘩っ早く、律より先に怒ってしまう。それを短気で直情的だけで片付けてしまうのは違うのだ。
「やっぱ、蓮はさ。かっこいいよ」
ぽつりと律は呟いた。ふはっ、と蓮は笑う。
祭りの前夜の母屋はまだ騒がしく、明日の朝は早い。なのに、離れだけ切り離されたように静かで縁側の風鈴が時々鳴る。
律の知らない蓮に思いがけず触れてしまって、気持ちがさざめいている。互いの全部を知っている訳ではないことが当然なのに律を揺らす。けれど、それを開示した蓮の方が簡単な言葉を禁じ、なんでもない顔をしている。
明日、袖を通す浴衣は去年とは心持ちが違うかもしれない、とそんなことを考えながら律は蓮の大きな手を握っていた。




