#6 黒瀬組の年中行事
七月に入ったある日の晩。
律と蓮は珍しく母屋で夕食後、くつろいでいた。どうでもいい些細な雑談をしながら、食後の茶を啜っていた。大きな座卓の端に、自然と何人かの若い衆が集まっており、年齢もそう大きく離れておらずどうということのない会話に花が咲く。
そんなことをしていて離れに引き上げる時間がいつもより遅くなったタイミングで玄関がバァン! と勢いのいい音を立てて開けられたかと思うと、ほぼ同時に大声が黒瀬家の食堂まで届いてきた。
「おーう! いま帰ったぞー!」
そんな玄関の開け方をする人間も、大声を上げる人間もこの家には一人しかいない。律は思わず溜息をついた。確か今日は会合があるとかで父も修治も夕食にはいなかった。大方、酒を飲んでいるに違いない。
「……酔っ払い親父め……」
珍しく律が悪態をつくと、周りから堪え切れない笑いが零れた。
「まあまあ。親父が酒飲んでしんみりしてる方が辛気臭くて嫌っすよ」
「それはそれで想像できねーなー」
若い男と蓮が口々に好き勝手言って、律は更に眉間を押さえた。追い打ちのように廊下をどすどすと歩いてくる足音と共に、外廊下側から障子が勢いよく開く。
「いやぁ! お前ら、今年も気合入れんぞ。神社の神主さんと商店街と町会の会長と盛り上がってなぁ!」
酔っ払って上機嫌になっている父の後ろで修治も溜息をついている。
「竜一さん。声が大きいです」
「うるせぇっ! 景気付けだ、景気付け! おい、誰か酒もってこい!」
その会話を聞いて律は顔を上げた。
「ああ。もうお祭りの準備の時期か」
「えー? もうそんな時期? 早っ!」
ふと呟いた律の言葉を拾った蓮が思い出したように言いながらも、表情が楽しそうに変化していく。食堂に残っていた男たちの数人が台所へ酒を取りに走った。
この町内の氏神の神社の例祭には毎年、黒瀬組が屋台を出し、神輿を担ぎ──果ては警備まがいのことまで担当する。要は年に一度の正に祭りなのだ。実務はほとんど修治が取り仕切り、父は神輿を担ぎに行く。屋台は食べ物と祭りらしい射的や型抜き、ボールすくいなどで食べ物の屋台の方が割り合いが多く、価格設定が一般的な祭りより低いらしい上に、父の「子どもら腹いっぱいにさせたれ!」という方針で毎年赤字ぎりぎりで修治が胃を痛めている。
──年一のイベントだけど、ある意味修羅場なんだよな……。
律は父のテンションの高さと修治を見比べて、くすりと笑う。
「あんな、修治。明日でええから二丁目のばあちゃんとこ連絡したっといてや」
「ああ……わかりました」
ふと聞こえた父と修治の会話に律は首を傾げた。二丁目の老婆には時々世話になっているが、そういえば律はなにを依頼しているのか知らない。
しかし、深く考える間もなく、律の背中が思い切りよく叩かれた。「痛ぁっ!」と思わず声が出る。
「おう、律。今年も手伝ってくれんやろ?」
「……型抜きの店番なら、するよ?」
叩かれた勢いで座卓に突っ伏したまま、律は答えた。まだ背中がじんじんとして熱い。父の馬鹿力は蓮より上だ。加減位してほしいが、酔っ払いに言うのも無駄だ。
「蓮はなぁ、お前にまだ神輿の先頭は譲れんなぁ! 修治からまだ一本も取れてねえんじゃ、俺から一本取るんなんて何年先だぁ?」
「うるせぇっ酔っ払い親父がっ! 来年には取ってやんよ!」
馬鹿でかい声が増えたな、と律はむきになる蓮を見ながら座卓に突っ伏したままでいる。「酒持ってきたっす!」と台所から日本酒の一升瓶を複数抱えた男と、簡素なコップを乗せたお盆を持ってきた男が座卓に酒を並べ始めると宴会が始まるのも毎年のことだ。
「まあ……今日は具体的な話は進みませんから、酔っ払いが増える前に若と蓮は部屋に戻りなさい」
上座に陣取った父の様子を見て、修治が耳打ちしてきた。確かに今日はもう引き上げた方がよさそうだ。父も修治も男たちも未成年の律と蓮に酒を飲ませるような真似はしないが、絡まれる。修治は絡むことなく、黒瀬組の父を筆頭とした酔っ払いからの最後の砦ではあるが、限界がある。特に、父が上機嫌の時と怒り狂っている時。
「じゃあ、行こうか、蓮。……修治、父さんが飲みすぎそうだったら沈めていいからね」
「はい」
律がするりと立つと、蓮もひょいと立ち上がる。外廊下から渡り廊下を辿って離れの部屋に戻る。
「なあ、親父の言ってること無理ゲーくない? 一本取らねえと神輿の先頭担がせてくんないなんてさー」
「んー……あれはさー、蓮のこと構いたいんじゃないの? 僕がそういうのやんないからさ」
当然のように、蓮の部屋に一緒に律も落ち着いた。
*****
翌日から最初に忙しくなるのは修治だ。神社の敷地内の屋台配置図、保健所への届け出、神輿のルートは毎年同じだが神社、商店街、町会を代表しての警察へ届け出、組内の神輿、屋台、警備それぞれの配置、その他諸々。その合間に通常の雑務──繁華街にいくつか持っている黒瀬組が経営する飲食店の事務や経理、父の突発的な指示。しかも、祭りの屋台は毎年ほぼ収益がなく、一大イベントではあるが組の者の楽しみと化している面が強い。主に父を筆頭に。
昼間から走り周り、いつ寝ているのか不明な修治と、呑気な父を見ていると律は自然と修治に同情する。
夕食後もこの時期は律と蓮は食後に祭りの準備の話に混ざる。
「いいですか、若。今年の型抜きスペースはここです。……去年よりスペースを広くしたので、子どもたちを贔屓しないでくださいね」
「……贔屓、してるかな? わかんないけど。そんなに場所広く取っちゃっていいの」
「ええ。……なんと言うか、商店街の奥さまたちの圧が……」
修治の濁した言葉に律は首を傾げる。
「修治さん! 今年、リンゴ飴とイチゴ飴やんねえっすか!? 綿あめとチョコバナナとかき氷じゃ毎年同じですって!」
「林檎と苺は! 原価が……!」
「子どもたち新しいもん出したら喜びますって!」
「おう! ええな! 修治、やったれよ。大丈夫やて」
会話に割り込んだ来た若い衆と父に挟まれて、修治は胃を押さえていた。早くも収益ぎりぎりのところに若い者のアイディアで、修治の予算計画が狂いそうになっている。
「あのさ、修治。無理しないでね?」
「……面目ない。問題ありません。どうにかしましょう」
一瞬で苦虫を嚙み潰したような顔を通常通りに戻した修治に、律は素直に凄いなと思う。特に父の無茶振りを操縦できる人間を、律は修治しか知らない。すっと修治が立ち上がり、若い衆の方へと向かう前に言い置かれた。
「若は型抜きの発注数の決定をお願いします」
修治のような人間がいるからこの家も成り立っているのだろうな、と律は関心する。
「修治ってさ、かっこいいよね」
ふと、隣の蓮に話を振ると、物凄く嫌そうな顔をされた。
「……なんで?」
「え? なんでって、なんで?」
「うわー! 俺、親父から一本取るより先にやっぱ修治から一本取んねえとダメだー!」
「だから、なんで?」
「わかんねえけど、めっちゃ悔しいから!」
「蓮は修治とはタイプ違うじゃん? 修治より父さんの方がたぶん似たタイプ」
「そうじゃなくて!」
一人で頭を抱えて暴れている蓮に、律は手を伸ばした。癖っ毛を緩く撫でる。
「蓮はかっこいいから大丈夫だよ」
何気なく呟くと、手のひらの下で暴れていた蓮が大人しくなった。律にはわからないが、時々、何気ない一言で蓮の暴走は止まる。いまのは敵意ではないが、それが身内以外への感情であったらこないだの喧嘩よりも明確に暴走するだろう。そういうことを律は体感で知っている。
「でも、修治にも勝つ。連敗中だし」
「うん。それはちゃんと道場でね」
「わかってる。じゃねえと親父も認めねえし」
*****
リンゴ飴とイチゴ飴の件は律と蓮が知らないうちに解決していた。
学校から帰宅すると、食堂の大きな座卓にたくさんの紙が散乱していた。子どもの落書き、幼い文字。黒瀬家は子どもの立ち入りが多い。不登校児から未就学の子どもまで。不登校児は昼間、若い衆が公園やファストフード店にいる明らかに学校をサボっている学生を、補導されるよりはマシだと連れて来る。未就学児はなぜか父に懐くケースが多い。
その子どもたちが残しただろう落書きの中に「黒瀬組屋台、フルーツ飴会議」なるものがあった。曰く、
リンゴ飴は大きすぎて食べきれない。
イチゴあめって、イチゴたかくない? りゅうちゃんだいじょうぶ?
他のフルーツ飴がいいな! パインとか!
じゃあ、みかんは? 缶詰なら安いんじゃない?
ちいさいのがいい。おおきいのたべきれない。
パインとみかんならキウイも入れよう!? そんな高くないよ!
そんな散乱した紙類を見て、律は脱力した。確かに昼間、律と蓮が学校に行っている間に近所の子どもたちの世話をしていることは知っていたが、こんなことまでしていたとは。
「蓮、うちってなんだっけ?」
「ぼーりょくだん」
「……コレが?」
全く律が知らなかったわけではない。ただ、その痕跡を実際に目にすることが少ないだけで、家業の悪い部分にばかり神経質になっていた。
「おや。若、蓮、おかえりなさい。どうかしましたか」
「いや……リンゴ飴イチゴ飴論争に決着ついたんだろうなって思っただけ」
律が通りかかった修治に返事をすると、柔和な笑みが返ってきた。
「そうですね。子どもの目線は大事です。大人がいくら喜ばせようとしても、子どもたちが喜ばないのでは本末転倒ですからね」
「あのさ、修治。うちってなんだっけ」
「暴力団ですが?」
大人に確認した後、律は更に脱力して蓮の肩に手をかけ、ぐったりした。
「若。ところで、型抜きの発注数は決まりましたか?」




