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若と忠犬と黒瀬組 ─ 進路の決まらない僕と一緒にいる幼馴染 ─  作者: 灯屋 いと


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#5 喧嘩すんなバカ

 あーあ……タイミング悪っ……。

 律が眉間を指先で押さえたのと、うっかり絡んできた大学生かフリーターか年上らしい男が蓮の蹴りで吹っ飛んだのは同時だった。

 恐らく、大した悪気もなく多少めんどくさい絡まれ方をしただけで、ありがちなことだ。前方不注意ですれ違いざまに肩がぶつかる、かばんが当たってしまうなどの日常的なトラブルで普通であれば互いに無視するか精々謝罪し合って済むものだったが、相手が柄悪く絡んできた。

 それもきっと蓮本人が絡まれていたなら、大した問題ではなかったが、絡まれたのは律の方だった。律はテンプレ通りに謝って切り抜けようとしたが、相手はその態度が気に入らなかったらしい。そうなると手が付けられなくなるのは、蓮の方だ。

「てめぇっ! 勝手にぶつかってきといてなに律に絡んでんだよ。あぁ? 死ぬか?」

 一人目を予備動作なしの蹴りで地面に沈めて、見下ろしながら腹の底から低い声で言い放つ。一緒にいたもう一人の男は怯えながら数歩後ずさっている。

 ……だからライオンなんだよなぁ……。

 困ったものだな、と思いながら律は蓮の肩を叩いた。

「蓮。いいよ。帰ろう。僕たち制服だし目立ったらめんどくさいよ」

 それでも蓮の苛立ちは収まらなかったらしく、舌打ちが聞こえた。

「通報でもされたらめんどくさいよ、蓮」

 蓮の肩に手を置いたまま律がゆっくり言うと、蓮は短く「わかった」と返事して放り投げたかばんを拾い上げた。内心ではまだ納得もしていないし、怒りが収まったわけでもないだろう。それでも蓮は律の言葉をきく。

 喧嘩沙汰になって警察が駆け付ければ、名前や保護者を訊かれることくらいは簡単に想像つく。そうなると厄介だと律は理解している。いくら町内で偏見なく温かな扱いをされていても、警察側から見れば律は言い逃れできない黒瀬組の長男で、蓮の保護者はやはり父なのだ。

 駅の改札を無言でくぐると、蓮がぽつりと呟いた。

「クッソ……。なんだよあいつらウザ絡みしてイキってんだけじゃん」

「そうだね。蓮は強いから。でも、あそこで警察が来てたら僕らが高校生でもたぶん、分が悪い」

「ああー……っ! 腹立つっ」

 蓮は苛立ち紛れに階段の壁を思いっきり殴る。短気で直情的。普段であれば、よく笑いよく拗ねる程度で普通の高校生となんら変わらないが、逆鱗に触れた途端、制御する間もなく考えるより行動してしまうのが蓮だ。そのことを律はよく知っている。

「あのさー、蓮が先にキレて蹴り入れるから僕が怒るタイミング失うんでしょ?」

 少しだけ話の矛先を変えて律は蓮の顔を覗き込んだ。たかが多少柄の悪い年上とぶつかって絡まれた。それだけなのに瞬間沸騰のように怒って、消化しきれない気持ちが顔に出ている。

「れーん。コンビニのチキン奢るから機嫌直してよ」

「マジ!? じゃなくてさ! なんで律は平気なん? ムカつかない?」

「少しは腹立つよ。でもその前に蓮が蹴り入れちゃったし、あれ以上派手にやったら絶対めんどくさいし、僕が止めないとたぶん蓮、あいつらボコってたし。平気じゃないし、ムカついたけど全部蓮が持ってった」

「あー! やっぱボコっとくんだった。殺しとくんだった」

「それはやめよ、蓮。やり過ぎたらどうにもできなくなっちゃうよ。だからコンビニのチキンで忘れよ」

 本気でやりかねない物騒なことを言う蓮に律は手を伸ばして頭を捕まえて癖っ毛をわしゃわしゃと撫でる。しばらくそうしていると蓮の仏頂面が次第に解けていく。そして吐きどころのない怒りが収まったかと思うと、蓮は溜息をつくように律の額に頭をつけて一呼吸置くとゆるりと撫でる両手から離れていった。

 律から見だただけでわかる、蓮の機嫌。完全に納得したわけではないが、まだ高校生の理不尽をなんとか飲み込んでいる。

「蓮」

 ふいっと先に階段を登っていこうとした蓮を律は呼び止めた。

「あんな下らないことで喧嘩すんなよバカ。……どうせ喧嘩すんなら、もっと僕が困ってる時に助けてよ」

 律は蓮が先走って喧嘩しても怒らない。止めはするが、怒らない。蓮が自分のことのように怒って喧嘩するから止める理由がない。けれど、あえて言うならそこなのだ。

 律が蓮の怒りを収めるのも、困っているからではない。機嫌を取りたい訳でもない。本当は律の機嫌だってよくはなく、蓮を宥めてようやく僅かな不機嫌が後出しでやってくる。

「え。あ、ごめんって律!」

 驚いた顔をしてから一瞬遅れて蓮が律の隣に戻ってくる。

「あのさー……律、俺に怒ってんだよね、それ?」

「じゃなかったら誰だよ」

「ごめんってー……」

 背中を丸くして蓮はしょぼくれている。「律、怒んないで」と長い前髪で隠れた顔で言われ、両手をぎゅっと握られた。凹んだ声に握力が反比例していて痛いくらいだ。

「れーん。コンビニのコーヒー奢って? んで、さ。蓮が怒ったことに僕が怒ってるんじゃないよ。僕たちまだ高校生だから、下らない喧嘩で警察の世話になりたくないでしょ。そういうことしたら……色々大事になりそうだから、嫌なだけ。保護者はって言われたら、たぶん、蓮だって言いにくいと思う」

 両手を握られたまま、律は静かに説明した。蓮はこくりと頷く。反射的な返事なのかどうかまでは顔が見えなくて、律には判断できない。けれど、強く握られた両手が離されてゆるりと擦られた。

「……それは、俺も嫌。親父を下らん面倒ごとに巻き込みたくねえ」

「普通の家だったら、そこまで考えないのかな」

「わっかんね。でも親父があのまんま普通の親父でも拳骨はくらいそう」

 片手で顔を擦って蓮は笑った。律も確かに、と笑う。

 電車で最寄り駅まで戻って、駅の近くのコンビニによってレジ横のフライドチキンとホットコーヒーを奢り合い、イートインスペースでしばらくだらけていつものように家路についた。


*****


 家の門が見えた辺りで「なにあれ」と言ったのは律の方だった。

 住宅街の真ん中の目立つ日本家屋の門前に若い男たちが集まって何やらしている。

「ふはっ。兄貴たちなにやってんだ」

 隣で蓮も同じ光景を見て笑った。

 物騒ごとの気配はない。だが、どうして若い衆たちが門前で集まって何やらしているのか律には想像がつかなかった。そのまま近寄ってみると声が先に聞こえて「あっちに行ったぞ!」だの「待てって! さすがに高すぎじゃね?」などと言い合っているのが聞こえる。

「兄貴ー! 女でも追っかけてんのかー?」

 冗談交じりに蓮が大声をかけると、若い衆たちは振り返って一斉に「しーっ!」と大声をたしなめてきた。いよいよ律にも蓮にも何事が起きているのかわからない。

「なにやってるの?」

「三丁目のばあちゃんちの猫が脱走したんすよ。んで、ウチん中で見っけたからばあちゃんちに届けようとしたら、捕まえらんなくてですね……」

 随分平和な仁義なき猫との争いだな、と律は溜息をつきそうになった。こんないかつい男たちに追いつめられては猫も逃げたくなるだろう。先ほどの蓮の怒りっぷりを見た後だとあまりにも平和過ぎて、律は家の家業を忘れそうになる。

「猫ねえ……」

 蓮も毒気を抜かれたように呟いている。

「蓮! お前、いいとこに帰ってきたじゃん! いまばあちゃんちの猫、門の上から倉庫まで登ってっちまったから捕まえてこい!」

「倉庫ってどの辺まで行ったの見たん?」

「そこの倉庫の屋根が一番門まで出張ってるとこから伝ってったのは見たけど、後はわからん」

「ふーん。んじゃ、ネコチャン追尾捕獲ミッションってこと?」

 運動神経のずば抜けていい蓮が男たちに見事に捕まり、猫捕獲作戦が開始されているのを律は面白がって見ていた。

「じゃーさー、門の上までとりあえず登るから手え貸して。探してみっけど捕獲できんくても俺のせいにしないでねー。あと、他んとこも行ってないかバラけたほうがいいんじゃね?」

 蓮は楽しそうに好き勝手言って「律、持っててくれる?」と中身の軽いかばんを渡してきた。

 ぐい、と体を伸ばして門から距離を取る。門を背にして屈強な若い衆の一人が腰を落とし、両手をがっちり組んでスタンバイしている。

「んじゃ、お願いしゃっす!」

 助走からのジャンプで律が若い衆の組んだ両手を足場にしたかと思うと、そのまま跳ね上げられて門の上に軽々と着地する。一瞬なのにさっきの蹴りよりも見ていて気持ちがいい。広くない不安定な足場でも平気で走っていく。蓮は聞いた通り門の上から倉庫の屋根に飛び移り裏側へと隠れてしまった。

「……蓮って曲芸でもできるんじゃない?」

「いやー、蓮の運動神経ならできるんじゃないっすか」

 律が思わず零すと、近くにいた男に頷きながら同意された。

 サーカスでもやればいいのに、と律は脈絡もないことを考えた。確かそのような興行も大昔だと取り仕切るようなことがあったとかどうだとか、などと思っているうちにしばらくたってしまった。

「あー!! 暴れんじゃねえっ! おとなしくしろっ! ばあちゃんとこ帰ろーなー」

 蓮の大声が聞こえて、律は顔を上げた。倉庫の屋根の裏側から蓮がふっくらと大きな白猫を抱えて戻ってくる。捕獲するのに抵抗されたのか顔に引っかき傷が見える。赤い首輪の白猫は確かに三丁目の老婆の飼い猫だ。普段は家猫なのだ。蓮は抱えた白猫を撫でながら、瓦屋根の足元も見ずに門の上に飛び移り、こちら側に飛び降りて着地した。抱えた猫に衝撃も与えずに、なんでもないことのように。

「捕獲成功ー!」

 大取物を終えたように両手で猫を抱き上げて蓮が報告すると、歓声が上がり、男たちが蓮の元に集まる。敷地内を探しに行った者に捕獲完了したことを伝えに行く男もいる。

「っしゃ! ようやったな、蓮!」

「こんくらい楽勝っしょ」

 蓮から白猫を預けられた男は脱走犯・白猫を家に送り届けに走った。蓮はすっきりした顔で律の隣に戻ってきてかばんを受け取った。

「お疲れ、蓮。かっこいいじゃん」

「ネコチャン捕獲ミッションが!?」

「うん。顔のほかにも引っかかれてない?」

「あー、わかんね。何カ所か引っかかれた。あいつ箱入りお嬢なのに暴れんだもん」

「それは蓮が怖かったんじゃないの? 中入ろ。消毒しないと」

「大袈裟じゃん?」

 そんなことを言い合いながら玄関で靴をぬいで「ただいま」を言う。

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