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若と忠犬と黒瀬組 ─ 進路の決まらない僕と一緒にいる幼馴染 ─  作者: 灯屋 いと


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10/11

#10 黒瀬組、動く夜

 蓮の手を握ったまま律は商店街を向けて繁華街へと向かう。手を握っているはずなのに実体がないような不安が胸に広がっていくが、いまはそれどころではない。──こんな厄介ごとは嫌いだし、巻き込まれたくもない。そして、最短で問題が片付くと判断した先が父であることにも腹が立つ。

 繁華街のなかの父の経営する店の一つ、ラウンジ・クリスタルにつくと入口の前に見知った顔の男が立っていた。大方、修治が人払いのために配置したのだろう。

「若。蓮、どうしたんすか」

「……僕のせい」

 中に入るすれ違いざまに訊かれた言葉に、律は短く呟いた。律が怒鳴り散らしてから、蓮は一言も口を開かない。それどころか律に引きずられて歩いているかのようにさえ感じる。律は怖くて蓮を振り返らないままここまで来た。

 店内に入ると派手派手しいインテリアが照明の明るさで多少緩和されていた。奥のソファに父が座っており、横に修治が控えている。

「ガキはもうクソして寝る時間だぞ」

 普段と変わらない口調で父から声をかけられた。酔っ払っているだろうと修治は言っていたが、律が知っている酔っ払っている時の父の様子ではなかった。

「どうした? 言ってみい。あほみたいな喧嘩で蓮、そんなならんやろ」

 父からは蓮の様子が見えるのだ、とその時律は気付いた。そんなとは、と訊き返したかったが、先に状況説明を求められている。

「さっき、駅前のカラオケ屋の近くで……たぶん、合法ドラッグ売りつけられそうになった」

「は!? いまなんつった!?」

「合法ドラッグ。たぶん、間違いないと思う」

 声を荒げる父に、律はもう一度繰り返した。握っていた蓮の手が父の声に震えるのが伝ってくる。

「若。特徴を。それから、蓮はそいつらになにかしましたか?」

 間に修治が割って入ってきて、律の緊張はさらに高まる。

「ドラッグストアで買える感じの小さいパウチ袋に入ってた。原色系のいろんな色で、大粒のラムネみたいな感じ。ちょっとテンション上がるクスリとか言ってた。……蓮は、僕がそいつらの片方に絡まれて肩組まれてんの見て……でも、突き飛ばしただけ。それ以上は駄目だと思って無理矢理引っ張って、それで修治に連絡した」

「蓮!! お前、まだガキの癖になにやとんじゃ! 律にちょっかい出されてキレんなぁしょうがねえが、てめえまだガキやろ! んな下っ端の一人や二人お前がどうにかできてもなぁ! お前ん顔覚えられたらそいつらん仲間が集団でお前ボコりにきてもしょうがねえんだぞ!! 単純にキレんなバカタレが!」

 父の怒号がすさまじい勢いで飛んできた。思わず律もびくりとしてしまうが、それよりも手に伝う蓮の震えが酷い。聞こえる呼吸音が早くて浅くなっていっているようだ。

「竜一さん、落ち着いてください。──若の判断は賢明です。特徴からいって間違いないでしょう。それから、蓮は家に帰しましょう。これ以上は駄目です」

 修治がそう言ったかと思うと、スーツのポケットからスマホを出して短い通話をして切った。先ほど入り口にいた男が店内に入ってくると「いいんすか?」と修治に訊いている。

「構いません。蓮は連れ帰って部屋にぶち込んで、絶対に出ないように見張っててください。手の空いている者はかき集めているので人手は足りています。子どもの安全も大事ですよ」

 そう言いながら修治は律が蓮を握っている手をゆっくりと剥がしていった。ずっと力任せに握り続けていて離し方を忘れてしまったかのように律の手は硬くなっていたことに今更気付く。その時に、蓮の顔が少しだけ見え、律は背筋が凍る思いがした。

 無表情。

 いつもころころと表情を変える蓮の顔に表情が見えない。薄茶色の目が虚ろでどこを見ているのかわからない。無気力とも違う。──だから、手を握っていても実体がないような感じがしたのかと恐ろしいことに納得する。

「蓮……?」

 思わず呼びかけたが、蓮から返事はなかった。手を解かれた後、蓮はそのまま連れていかれてしまった。

「……僕が、怒鳴ってから、蓮、一言もしゃべってない」

 そのまま、一度も蓮の顔を見ないまま来てしまった。異変は察知していたが、気持ちが焦っていて余裕がなかった。聞き分けない蓮に怒ってもいた。けれど、それが裏目で蓮を気遣えていなかったと律は自己嫌悪に飲まれる。

「若はどうして蓮に怒鳴ったんですか」

 繋いでいた手を剥がした姿勢のまま、床に膝をついた修治が律を見上げて訊いてきた。

「蓮が、そのままあいつら殴りだしたらやばいと思った。だから、無理矢理離して……修治に連絡した後に説明したら、どうしてって言うし、ボコられると思ったのかとか僕が蓮が喧嘩しようとしたらすぐ止めるとか……そんな話じゃないのに言うから、言い合いになって怒鳴った……」

「それは蓮が悪いです。完全に頭に血が上ってたんでしょう。──いまの蓮に驚いていますね?」

「うん」

 確認の問いかけに律は素直に頷いた。

「大丈夫です。恐らく一時的なものですよ。普段通りにしていれば戻ります。蓮の親のことを若はほとんど知らないでしょう。蓮の父親はドメスティックバイオレンスの加害者でした。ですから、ごく親しい相手からの怒鳴り声に拒否反応が出てしまうのでしょうね。──竜一さん、あなたもですよ。あなたが一番知ってるはずなのに蓮を怒鳴るなんてなってません」

 ふいと修治は父を振り返って窘めた。

「うるせえ! 他のことならまだしも、ガキが命知らずなことして怒鳴られんくていつ怒鳴られんや!」

「ただでさえあなた声が大きいんです。よく蓮がいままで委縮しないで伸び伸び育ってこれたのかが不思議なくらいなんですよ」

 深刻な話なはずなのに、どうしてか父が絡むと雰囲気が緩む。緊張感がない。少しだけ律の自己嫌悪が緩和される。

「律!!」

 相変わらずの大声で、でも怒鳴り声ではない声音で父に呼ばれ、それでも律は反射的にびくりとした。修治の説明を聞き、蓮の状態を考えると叱られると思ったのだ。

「お前、そいつらの顔覚えてんやろ」

 父は呼んだ声こそ怒鳴り声に近かったが、次に吐いた声は低く静かだった。そして、責める言葉でも叱りつける言葉でもない。律は両手をぎゅっと握って「覚えてる」と短く答えた。

「教えろ。どんな馬鹿だったか。ツラ、服装、特徴、覚えてるもん全部や。修治。そいつら探させろ。どうせなんも警戒せんとそこらうろついてんのやろ。ウチの大事な息子らに手え出しやがった上にクスリだぁ? 二度とこん町の土踏ませなくしたるわ」

「当然です。若は確認のために協力してください。人違いは許されませんので」

「……わかった」

 それから律は絡んできた売人の特徴を覚えている限り話した。人相、背格好、服装、雰囲気。パニックになって思い出せないかとも思ったが、案外記憶に鮮明に残っていた。第一印象の嫌悪感というのは意外と残るものらしい。

 金髪のツーブロック、左眉にピアス、いかにも柄が悪いトライバル柄の赤いパーカーに白のスェット。もう一人は真ん中分けの肩くらいまでの手入れしていない長髪、顎髭、下品でくたびれたスーツ、金のネックスレスと複数の指輪。

 律の語る特徴を聞きながら修治はスマホを操作している。恐らくグループチャットに薬売りの情報を流しているのだろう。けれど、売人を探し出すまで時間はかかる。いくら人数がおり、地の利があるとはいえ町の監視カメラを掌握している訳ではない。人海戦術には限界がある。

「律。まあ、座れや」

 淡々とした固い声で父に言われ、律は棒立ちだった場所から父の座るソファ席に向かい腰を下ろした。

「お前、蓮が怖なったか?」

 あまりにもらしくない声音で訊かれ、律は動揺した。

 確かに背筋が凍る思いがした。怖かった。しかし、その“怖い”は父の指す“怖い”ではないとも思う。胸の内に上手く言葉にできないなにかぐちゃぐちゃなものが渦巻いているが、それも父の指す“怖い”ではない。

「父さんが言うような怖いでは、ないと思う。うまく言えないけど。あのさ、蓮は本当に大丈夫なの」

「俺ぁ医者じゃねえからわかんねえよ。でも、ああいう類のやつは本人次第ってのが一般論だろうが」

 そんな曖昧な返事をされ、律の不安は増す。蓮の無表情が頭から離れず、ふつふつと怒りが湧いてくる。どうして怒鳴ってしまったのか。けれど、そんな後悔も遅い。起きてしまったことは覆せない。

「僕はどうしたらよかったの。蓮を止めない方がよかったの」

 そもそも、その場を逃げ出さなければ蓮を怒鳴ることもなかったかもしれない。しかし、それは危険だったといまでも律は思っている。では、どこでいつ判断を間違ったのかがわからない。

 父は煙草に火をつけ、深く煙を吐くと灰皿に灰を落としながら言った。

「お前も蓮も悪かねえ。ガキなだけだ。春には卒業なんやろ。もちっと大人になれっつことや。お前も蓮もなぁ」

「……そんなのじゃ、わかんないよ……」

「だからまだガキだっつってんだろ」

 律が俯くと、父は煙草をふかしながらそんなことを言った。

 ──大人になれ。とは言っても、なにをどうしたら大人になるのかさえ曖昧だ。成人したら、二十歳を超えたらなどという話ではないことだけしか律にはわからない。それ以上の会話はなく、重い沈黙が長い間流れた。

 沈黙を破ったのは修治のスマホの着信音だ。

 思わず律が修治の方に視線を向けると、画面を見ていた顔を上げた修治と目が合った。

「それらしい写真が送られてきました。若、確認してください」

 修治が近づいてきてスマホの画面を見せる。間違いなくさっきの男たちだった。

「うん。こいつら」

「……駅前の方ではなく、この辺りにいるようです。人員を向かわせますが、竜一さんはどうしますか?」

「行くに決まってんやろ。一発食らわさんと気が済まねえんだよ」

「でしょうね。若は本当に人違いでないかの確認だけお願いします。何もしなくていいです。間違いないことがわかればいいので。その後は、若いのに家まで送らせます」

 手際よくスマホのメッセージアプリで指示を出しながら修治は淡々と言う。けれど、どうしてか律はそれだけでは気が済まなかった。家業の嫌な部分に直面しているのに。

「そいつら、本当に潰れるとこまで見てる。邪魔はしないから」

「……いいでしょう」

 修治は小さな溜息をついて律の希望を許可した。

 どうしてそんなことを言いだしたのか、律にもまだ理解できていない。ただ、どうしようもない嫌悪感があった。違法薬物の売人。人を駄目にするもの。町の人たちを危険に晒す存在。まだ子どもの律にはなにもできることはないが、安心したかったのかもしれない。


*****


 ラウンジ・クリスタルからそう離れていない繁華街の裏路地。近くには黒瀬の男たちが複数通行人を装って囲っていた。そして、比較的若い男二人が先ほどの売人となにか話をしている。足止めだろう。

 父と修治の後について律はその場に立った。修治が振り返らないまま「間違いありませんか」と訊いてきて律は「うん」と返事した。父が苛立った舌打ちをしたのが律にまで聞こえた。

 周囲を囲っていた男たちは父と修治の姿を確認して合図を待っている。すっ、と修治が右手を上げただけだった。

「なぁ、兄ちゃんたちいいもんもってんだって? 俺らにも売ってくれよ。全部買うからさぁ」

 普段は温和な男たちが威圧的な声でじりじりと売人に寄っていき、包囲を縮めていく。威嚇なのか、店舗の裏にあるごみ箱が派手な音を立てて蹴飛ばされる。律は深夜の繁華街に響く音にびくりとした。

「兄ちゃんら、それ、どっから仕入れてるん? 俺らにも教えてくんねえ?」

 至近距離まで近付いた男がおもむろに両初の男の髪を鷲掴みにした。長髪の男が短い悲鳴を上げた。さすがに異常事態だと気付いたらしいが、既に二人の売人は囲まれている。狼狽えたツーブロックの男が辺りを見回して、父と修治の後ろにいた律を見つけて視線を定めた。

「さっきのガキ……」

「おう。うちのガキどもにようちょっかい出してくれたなぁ。うちのシマでなにさらしてくれとんじゃ。お前らのアタマァどこだ。吐け」

 ドスの利いた低い声で父が地響きのように言った。その場の空気が凍り付く。

「知らねえよ、俺ら下っ端にんなもんわかるかよ!」

 髪を掴まれた方の男が情けない懇願のていでみっともなく歪んだ声で叫んだ。

「……馬鹿のようですね。なにか吐くまで懲らしめなさい」

 修治が冷たく言い放つと、踵を返して律の肩に手をかけてきた。

「若はもう帰りましょう」

「だって、まだ」

「心配しなくても潰し損なうことなどありません。子どもが汚い場面を態々見届ける必要はありません」

 先ほどの冷たい声が嘘のように修治の口調は普段通りに戻っている。

「律。いいから帰っとけ。俺がお前の分もぶん殴ってやったるわ。お前は蓮とこ行ったれ」

 父にまで言われて律は渋々頷いた。蓮を引き合いい出されたら異論を唱えられない。

「修治。律と蓮は頼んだで」

「言われずとも」


*****


 繁華街から黒瀬家まで距離にしたら離れてもいないのに車で送られ、律と蓮の部屋のある離れまで厳重に修治に付き添われて律は帰宅した。離れに足を踏み入れると、蓮の部屋まで走り、部屋の前にいた男も無視してノックもせずに律は中に入る。背後で修治と蓮を部屋の外で見張っていた男が去っていったのに律は気付かない。

「蓮!」

 膝を抱え込んでいる蓮の隣に膝立ちで、律は呼びかける。まだ、蓮の表情が戻っていない。その姿に律は胸が痛くなる。あの時、怒鳴り散らしたりしなければ──

「蓮、僕だよ。返事、して。怒鳴ったりしてごめん」

 律の声が届いていないかのように反応を示さない蓮に不安が掻き立てられ、律は両手を伸ばして膝を抱えている蓮を力任せに抱き締めた。

「れんっ……」

 虚ろなままの蓮の姿に律は泣きそうになってしまう。

 思い返してみれば、蓮はいつも律が些細なことで起こりそうになると「律、怒んないで」と言っていた。それは蓮の合図だったのだ。そんなことにも十年以上一緒にいて気付けなかったことが情けない。

「れん、もう怒らないから。怒鳴らないから。……だから、返事してよ……」

 不安に律の声が細くなり、震えが混ざり合う。泣かないようにするのだけで精一杯だった。

「……れん……」

 本人次第と言った父の言葉が頭を掠めて、律の不安が膨れ上がる。律が知っていると思っていた蓮はいつも明るく強かったが、十年以上律が見ていたものはただの上辺だったのかもしれない。

 この家に来る前の蓮のことを律はほんの少ししか知らない。お互いの全てを知ることなど無理だとはわかっていても、もっとなにか方法はあったかもしれないのに。

「れん……」

 ほかに言葉が出てこなくて、律は蓮を抱き締めながら何度も呼んでいた。

 数えきれないくらい呼んで、心が押し潰されそうになった時に律の鼓膜がほんの少し揺れた。聞き逃しそうな掠れた声。

「蓮……?」

「り、つ」

 慌てて抱き締めていた腕を解いて蓮の顔を覗き込むと、なにも映していなかった目に僅かに光が見える。まだ表情らしい表情はないが、それでも蓮の声を聞いて律はほっとして立ち膝ががくりと崩れた。

「りつ。……だいじょうぶ……?」

「うん。大丈夫。このくらい……なんでもない」

「ほんとに? ほんとにだいじょうぶ?」

「うん。大丈夫」

「いたいとこない? けがしてない? だいじょうぶ?」

 ふと、蓮の言葉に律は違和感を感じた。蓮は律を呼ぶけれど、言っていることが噛み合っていない。律は緊張の糸が切れてへたりこんだだけで、怪我をするようなことはないもないのに蓮の言葉は過剰すぎる。

 律はもう一度蓮に手を伸ばした。まだ表情の戻り切らない、弱い光の目の蓮の頬をりょてで包む。

「蓮。僕は大丈夫。ねえ、蓮。僕が、わかる……?」

 ゆっくりと言い聞かせるように言うと、蓮がひとつ瞬きをした。薄茶色の目に宿る光が増して、蓮の表情がみるみる強張っていった。泣きそうな顔をしてる。泣きそうなのに、我慢して全部押し込めようとしているように律には見えた。蓮のそんな顔は初めて見る。

「蓮。僕がわかる?」

 律が問いかけると、蓮はゆっくりと頷いた。それから──

「律。……大丈夫……?」

 それは無事を確認するものではなのだろうな、と不安そうな声に律は感じた。

「うん。大丈夫だよ。一人にしてごめんね。ただいま、蓮」

 まだうまく笑えなくて、ぎこちない笑みを浮かべて律が返事すると蓮の腕が伸びてきてぎゅうぎゅうに抱き締められた。震えが律に伝わる。それから、肩に熱く染み込む涙。律は蓮が泣くことなど想像したこともなかった。そのくらい、初めて会った時から蓮は泣くことがなかった。明るく強い子で、もし泣くとしてもわかりやすく感情的に泣くことしか想像できなかった。

 なのに、蓮は震えて声を殺して泣く。

「蓮、声出してもいいんだよ。僕しかいないから」

 蓮の体を抱き返しても、蓮は声を殺したまま泣いていた。修治に説明されていても、律にはいまの蓮が泣いているのはそれだけが原因とは思えなかった。胸の内のぐちゃぐちゃが思い出したように肥大していく。

「律」

 震える声で、確かにそう呼ばれた。遠くの誰かを呼ぶような声ではなく、腕の中の存在を確かめるように。

「うん。ここにいるよ。大丈夫」

 律は蓮を抱き返しながら、どうしてだか苦しい気持ちで返事した。

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