第九話 暖かい人たち
第九話です。この物語も、もうそろそろ終わりに近づいています。
「あれ? スリジエは?」
「そういえば、ミュゲ王子のお姿も見えませんね」
結婚式を間近に控えた屋敷では、主役である二人の姿が見えないことで、ちょっとした騒ぎになっていた。
「まさか、どこかで二人きりになっているんじゃない?」
「ありそうですね。小説では、婚約者同士っていつでもどこでも二人きりでいる場面が多いですから」
「イリス、あなた一体どんな小説を読んでるの……?」
リラが呆れたように呟く。
そんな二人のやり取りをよそに、会場に集まっていたベルフルール様たちも不安そうな顔をしていた。
「本当に、どこにもいないのですか?」
「ああ。屋敷中を探し回ったそうなのだが、見つからないらしい」
椿様が心配そうに答える。
「まさか……何かあったのではありませんか?」
ベルフルール様の顔にも不安が浮かんだ、その時だった。
「遅れてしまい、申し訳ございません!!」
突然、屋敷の正門の方から大きな声が響いた。
「え?」
その場にいた全員が一斉に振り返る。
そして――
「…………え?」
皆の視線が一点に集まった。
そこにいたのは、ミュゲ王子。
そして、その腕の中には――
「ス、スリジエ!?」
なんとミュゲ王子は、スリジエをお姫様抱っこしたまま馬車から降りてきたのだ。
「どこから来たの!?」
「というか……なんでお姫様抱っこ!?」
あまりにも突然の登場に、誰もが目を丸くする。
しかし、純白のドレスを身にまとったスリジエを抱えたミュゲ王子の姿は、まるで物語から飛び出してきた王子と姫君そのものだった。
「二人とも、おめでとう!」
「とても素敵です!」
「まあ、なんてお似合いなの!」
たちまち会場から歓声が上がる。
そんな中――
少し遅れて、もう一人の人物が馬車から降りてきた。
ミュゲ王子の母親である。
「…………」
彼女は会場を見渡し、不思議そうに目を瞬かせた。
「皆さん……笑顔だわ」
そこには、楽しそうに笑い合う人々の姿があった。
誰も彼女を見て怯えていない。
誰も陰で悪口を言っている様子もない。
侍女がそっと彼女の隣に立つ。
「奥様。皆様、とても楽しそうでございますよ」
侍女自身も、会場へ行きたそうな顔をしていた。
「……そうね」
彼女はしばらく迷った。
これまで人の集まる場所には、できるだけ近づかないようにしてきた。
自分を見れば、きっと嫌な顔をされる。
また、何か言われる。
そう思っていたからだ。
けれど――
「……行って、みようかしら」
「はい!」
意を決して、彼女はゆっくりと会場へ足を踏み入れた。
すると、一人の婦人がこちらに気づいた。
「あら……もしかして」
婦人は驚いたように目を見開くと、すぐに笑顔になった。
「お初にお目にかかります。私はベルフルールとスリジエの母です」
「……ミュゲの母です」
本当なら、自分が王の側室であることを名乗るべきなのかもしれない。
けれど――今は、それを口にしたくなかった。
すると婦人は嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱりそうでしたのね!お会いできて光栄ですわ!」
「こちらこそ……」
「ところで、お酒はお得意で?」
「え……ええ。まあ……」
「まあ、それならぜひ!こちらで一緒に飲みましょう!」
「えっ?」
返事をする間もなく、婦人に手を取られる。
そのままぐいぐいと会場の奥へ連れていかれてしまった。
「ちょ、ちょっと……!」
戸惑いながら歩いていると、次々と人の視線がこちらへ向けられる。
やはり、怖い。
そう思って、思わず身を固くした。
――また、嫌な顔をされる。
そう思った、その時だった。
「あの……」
「え?」
二人の少女がこちらへ近づいてきた。
「ミュゲ王子のお母様ですか?」
「……ええ」
恐る恐る頷く。
すると少女たちは、ぱっと笑顔になった。
「やっぱり!ミュゲ王子ととてもよく似ていらっしゃるから、そうだと思ったんです!」
「よかったら、こちらどうぞ!」
そう言って、一人の少女が持っていたお菓子の皿を差し出してくる。
「あ……ありがとう」
彼女は戸惑いながらも、それを受け取った。
二人の少女は満足そうに笑うと、友人たちのもとへ駆けていった。
「いい子たちでしょう?」
先ほどの婦人が微笑む。
「スリジエの大切な友人なんです」
「……どこかの公爵家のご令嬢ですか?」
「いいえ」
婦人は首を横に振る。
「二人とも男爵家のご令嬢ですわ」
「……男爵家?」
彼女の表情がわずかに強張った。
「なぜ、そのような身分の低い方々と……」
思わず口から出た言葉。
しかし婦人は、少しも気を悪くした様子を見せなかった。
「身分なんて関係ありませんわ」
「…………」
「大切なのは、心から信頼できる友を持つことではありませんか?」
「……!」
彼女は言葉を失った。
身分。
家柄。
財産。
これまで自分が恐れていたものとは、まるで違う価値観だった。
そして何より――
目の前にいる人たちは、本当に自分を歓迎している。
何かを欲しがる様子もない。
王子の母親だからと媚びているようにも見えない。
ただ、一人の人間として接してくれている。
「…………」
彼女は、手の中のお菓子を見つめた。
ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなる。
「……本当に」
小さく呟く。
「この人たちは……私を嫌っていないのね」
そして――
これまでずっと疑っていたものを、初めて信じてみてもいいのかもしれないと思った。
「……この人たちなら、本当に……信じてもいいのかもしれない」
彼女はほんの少しだけ、笑った。
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