第六話 あなたと結ばれるために
第六話です。どうぞよろしくお願いいたします。
日本から帰ってきて、しばらく経った頃。
ミュゲ王子は以前にも増して忙しくなっていた。
彼が取り組んでいるのは、あのスラム街の改革だった。
まずは、街に住む人たちが働ける場所を作る。
そして、孤児院や学校を建てる。
子供たちが安心して暮らし、学べる場所を作るために、必要な建物を少しずつ増やしていく。
その建設に必要な人手には、働く場所を失っていたスラム街の人たちに協力してもらった。
もちろん、きちんとした給料も支払う。
仕事を与えることで、彼ら自身が生活を立て直せるようにする。
ただ食べ物を与えるだけではない。
自分の力で生きていける場所を作る。
それが、ミュゲ王子の考えだった。
「これで少しでも多くの人が、明日の心配をせずに眠れるようになればいいのですが……」
そう話していた彼の顔を、私は今でも覚えている。
そして今。
「ミュゲ王子、最近とてもお忙しそうですね」
私は彼の執務室へ入り、机の上にお茶を置いた。
机の上には大量の書類が積まれている。
それなのに、ミュゲ王子は疲れた様子を見せず、楽しそうに笑った。
「はい。でも、誰かのためになる仕事をするのは、とても楽しいですよ」
「ふふっ。ミュゲ王子らしいですね」
私は微笑んで、部屋を出ようとした。
「あ、待ってください」
「はい?」
振り返った瞬間――
「えっ?」
椅子に座っていたミュゲ王子が、私の腰に腕を回した。
「ミュゲ王子!?」
そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。
「はははっ……」
「ちょ、ちょっと……!」
「こうしていると、とても心が安らぐんです」
「…………」
最近のミュゲ王子は、二人きりになるとこうして甘えてくるようになった。
以前なら、抱きしめるだけで真っ赤になっていたのに。
どうやら最近は、恥ずかしさよりも私に触れていたい気持ちの方が勝っているらしい。
「ミュゲ王子」
「はい」
「私たちは、まだ夫婦ではありませんよ?」
「分かっています」
「それに……」
私は少しだけ困った顔をする。
「王様が私たちの結婚をお許しになるかどうかも、まだ分からないのですよ?」
「それも分かっています」
そう言いながらも、ミュゲ王子は私を離そうとしなかった。
「では、どうして……」
「スリジエ」
「はい?」
ミュゲ王子は私にしがみついたまま、顔だけを上げる。
その表情は、いつもの優しいものとは少し違っていた。
何かを決意した人の顔だった。
「一つ、良い方法があります」
「良い方法?」
「ええ」
ミュゲ王子は、私の目をまっすぐに見つめた。
「王様も、臣下も……誰も反対できない方法が」
「…………?」
私は首を傾げる。
「一体、何をするつもりですか?」
「それは――」
ミュゲ王子は少しだけ笑った。
「明日になれば分かります」
◇◇◇
翌日。
私は王宮に呼び出されていた。
そして――
「えっ……?」
私は思わず目を見開いた。
「私を……養女に?」
目の前には、お父様とお母様。
そしてミュゲ王子。
さらに、国王陛下までいらっしゃる。
「はい」
ミュゲ王子が頷いた。
「僕が王様にお願いしました。スリジエを、マルグリット家の養女として迎えていただきたいと」
「ですが……」
私は戸惑う。
「そんなことが……」
「できる」
お父様が静かに頷いた。
「我が家が正式にお前を娘として迎え入れれば、お前は名実ともに貴族となる」
「…………」
「もちろん、簡単な話ではない」
お父様はそう言いながら、私を見る。
「だが、私はお前を娘として迎え入れたいと思っている」
「お父様……」
胸が熱くなった。
私はこれまで、自分が貴族ではないことを何度も気にしてきた。
いつか、この幸せを失ってしまうのではないかと。
けれど――
もう違う。
私は、誰かの代わりではない。
私は私として、この家の一員になろうとしている。
そして――
王様の前で、私たちはこれまでのことをすべて話した。
私が五年前からベルフルール様の代わりとして生きてきたこと。
ミュゲ王子と出会い、彼を愛するようになったこと。
そして――
「僕は、スリジエと結婚したいと思っています」
ミュゲ王子は、まっすぐ父親である国王を見つめた。
「…………」
国王陛下はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……余は、お前に父親らしいことを何一つしてやれなかった」
「父上……」
「第三王子だからと、お前のことを軽く見ていたのかもしれぬ」
国王陛下は、ミュゲ王子を見る。
「だが、今のお前を見ると……少しだけ誇らしく思う」
「…………!」
「自分のためではなく、民のために働こうとしている」
国王陛下は、私へ視線を向けた。
「そして、お前が選んだ女性もまた、国のために動いている」
「…………」
「二人が共に生きたいというのなら――」
国王陛下は、静かに頷いた。
「私は反対しない」
「父上……!」
ミュゲ王子の顔が、ぱっと明るくなる。
けれど――
「ただし、王族としての責任から逃げることは許さん」
「もちろんです」
ミュゲ王子は力強く答えた。
「僕はスリジエと共に、この国をもっと良い国にしていきます」
その言葉を聞いた私は、胸がいっぱいになった。
こうして私は正式にマルグリット家の養女となり、貴族としての身分を得ることになった。
そして、ミュゲ王子との婚姻も正式に認められた。
もちろん、臣下たちからは反対の声も上がった。
けれど――
マルグリット家が私を正式な娘として認めたこと。
そして何より、先生が私を認めてくださったことが大きかった。
少しずつ。
本当に少しずつ。
反対する者はいなくなっていった。
そして――
「先生」
私は深々と頭を下げた。
「お力添えいただき、本当にありがとうございました」
「いいえ」
先生は優しく笑う。
「ミュゲ王子は、私の孫でございますもの」
「…………」
「何も持っていなかったあの子が、あなたという女神を見つけて、ここまで成長できた」
先生は私の手を握った。
「それは、あなたのおかげでもあるのですよ」
「いえ……私は何も……」
「ベルフルール」
先生は、優しく私の名前を呼んだ。
「身分など、私は気にしません」
「…………」
「大切なのは、その人がどのような心を持っているかです」
先生の手が、私の手を包み込む。
「あなたは王子の妃に相応しい心を持っています」
「…………!」
「もっと自信をお持ちなさい」
私は唇を噛みしめた。
そして――
「……はい」
笑って頷いた。
私はもう、誰かの代わりではない。
誰かに選ばれただけの存在でもない。
私自身が、この人たちと生きていくことを選んだのだ。
そして数日後――
私とミュゲ王子の結婚式が行われることとなった。
今回もお読みいただきありがとうございました。




