第二十四話 あなたは誰…………
第二十四話です。よろしくお願いします。
部屋へ降り立つと、そこは窓も明かりもない、薄暗い部屋だった。
湿った空気が肌にまとわりつく。
「ベルフルール様……」
暗闇の中にうずくまる人影へ、小さく呼びかける。
その人影は、びくりと肩を震わせた。
「……スリジエ?」
かすれた声が返ってくる。
「はい。私です、スリジエです」
見張りに聞かれないよう、声を潜める。
「何故……あなたがここに……」
「ベルフルール様と椿様を助けにました。もう大丈夫です。一緒にここを出ましょう」
ベルフルール様は震える声で尋ねる。
「……椿様は?」
「もちろん、ご一緒に助けます。でも、まずはベルフルール様を安全な場所へ」
そう言って手を差し伸べると、ベルフルール様はゆっくりとその手を握った。
以前より細くなったその手が、胸を締め付ける。
私はベルフルール様を支えながら天井裏へ上げてもらい、そのまま皆と合流した。
◇◇◇
天井裏を静かに進む。
誰も声を出さない。
聞こえるのは、衣擦れの音と、慎重に進む足音だけだった。
しばらくして、ベルフルール様が私の袖をそっと掴む。
「……スリジエ」
「はい?」
「あなたに……話しておかなければならないことが……」
弱々しい声だった。
私は微笑んで頷く。
「お話は後でゆっくり伺います」
「今はここを出ることが先です」
「でも……」
「大丈夫です」
私は安心させるように微笑んだ。
「もうベルフルール様はお一人ではありません」
ベルフルール様は何か言いたげに口を開いたが、結局小さく俯くだけだった。
――この時、私は気付かなかった。
その言葉を聞かなかったことを、後になって心から後悔することになるとは。
◇◇◇
しばらく進んだところで、ジャスマンが足を止めた。
「ここからは別行動にしましょう」
小声で告げる。
「椿様は地下牢にいらっしゃいます。一度天井裏を降りなければ救出できません」
ミュゲ王子が頷いた。
「分かりました」
「ジャスマン、楓さん」
「椿さんをお願いします」
「承知いたしました」
「任せるでござる!」
「ミュゲ殿は?」
楓が尋ねる。
「僕はベルフルール嬢とスリジエを連れて先に城を出ます。以前泊まった宿で落ち合いましょう」
「了解でござる」
二人は静かに姿を消した。
私たちは再び天井裏を進み、人気のない場所から城外へ抜け出す。
夜風が頬を撫でた。
「ようやく……出られましたね」
私は大きく息を吐く。
「ええ」
ミュゲ王子も安堵したように微笑む。
「ベルフルール嬢、大丈夫ですか?」
「……」
返事がない。
「ベルフルール様?」
ベルフルール様は俯いたまま、微動だにしなかった。
眠ってしまったのだろうか。
そう思った、その時。
肩が小刻みに震え始めた。
「ベルフルール様……?」
震えは次第に大きくなる。
そして。
「……くっ」
喉の奥から、小さな笑い声が漏れた。
「え?」
次の瞬間だった。
「いやああああああああああああああっ!!」
夜の森に悲鳴が響き渡る。
「っ…………!?」
思わず耳を塞ぐ。
しかし、その悲鳴は突然ぴたりと止み――
「あははははははははは!」
狂ったような笑い声へ変わった。
私は息を呑む。
「ベルフルール様……?」
ゆっくりと顔が上がる。
暗闇の中でも分かった。
その瞳。
その笑み。
あれは、私の知っているベルフルール様ではない。
「何をしているんですか!」
私は慌てて駆け寄る。
「早く行きましょう!もう少しで助かるんですよ!」
しかし、ベルフルール様は笑みを崩さない。
「助かる?」
くすくすと笑う。
「そんなもの、無理よ」
「え……?」
「逃げたって、あの男はどこまでも追ってくる」
ベルフルール様は楽しそうに笑った。
「それだったら、みんな仲良く捕まって、一緒に死にましょうよ?」
その笑みを見た瞬間、私は全身が凍り付いた。
この顔。
この笑い方。
五年前。
『私のために死んで?』
そう告げた、あの時と同じだ。
「……まさか」
私は震える声で呟く。
「人格が……」
ベルフルール様は肩をすくめた。
「ようやく気付いたの?」
そして不気味な笑みを浮かべる。
「魂を交換した代償よ。心が弱れば、別の人格が表へ出る」
そう話しながら手の甲で私の頬を撫でる。
「本当はこの子がさっき話そうとしたの。でも、あなたが『後で聞きます』なんて言うから」
くすり、と笑う。
「もう遅いわ。私が出てきちゃったんだもの」
私は唇を噛む。
ベルフルール様は私に伝えようとしていた。
それなのに私は――。
「あなたは……ベルフルール様じゃない」
「ふふっ。そう思いたいなら、それでもいいわ」
その時だった。
ベルフルール様が森の奥を指差す。
「ほら」
私は振り返る。
木々の間に、無数の灯りが揺れていた。
一つ。
二つ。
三つではない。
数え切れないほどの灯籠が、こちらへ近付いてくる。
「兵士たちよ」
ベルフルール様は愉快そうに笑う。
「私の悲鳴のおかげで居場所が分かったのね。もう私たちは、完全に囲まれているわ」
ミュゲ王子が静かに剣へ手を伸ばす。
「……スリジエ」
その声には焦りが滲んでいた。
「逃げ道がありません」
私は迫り来る灯りを見つめることしかできなかった。
希望を掴んだはずの夜は、再び絶望へと染まっていくのだった。
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