第八話 王子の過去
第八話です。よろしくお願いいたします。
静かな寝息が聞こえる。
ベッドの上で眠る彼女を見つめながら、僕はそっとその髪を撫でた。
ようやく見つけた。
ようやく助けることができた。
そう思うと胸の奥が熱くなる。
だが同時に、どうしても思い出してしまう。
昔のことを。
僕がまだ弱くて、何も持っていなかった頃を。
◇◇◇
『弱虫王子』
『デブ王子』
そんな言葉は日常茶飯事だった。
陰で言われることもあれば、聞こえるように言われることもある。
けれど僕は怒らなかった。
怒れなかった。
だって――
「全部、本当のことだから……」
誰もいない部屋で、何度そう呟いただろう。
僕は第三王子だった。
しかも側室の子。
兄たちのような強い後ろ盾はない。
王位継承権も低い。
父上から期待されている訳でもない。
何も持っていなかった。
ただ一つを除いて。
母上の愛だけは本物だった。
母上は優しい人だった。
どれほど忙しくても毎日顔を見せてくれた。
一緒にお茶を飲み。
本を読み。
たわいもない話をした。
それだけで幸せだった。
僕は母上に似て太っていた。
だが、それは嫌ではなかった。
母上に似ていることが少し誇らしかったからだ。
しかし――
僕が失敗する度に責められるのは母上だった。
『あのデブ女の息子だから運動もできないのよ』
『やっぱり蛙の子は蛙ね』
『見苦しい親子だこと』
聞こえていた。
全部。
一言残らず。
自分の悪口なら耐えられた。
けれど。
母上を侮辱されることだけは我慢できなかった。
「絶対に見返してやる」
幼い僕は拳を握った。
「僕を馬鹿にした奴らも」
「母上を笑った奴らも」
「全員だ」
運動は苦手だった。
剣も得意ではない。
だから勉強した。
必死に。
寝る時間を削って。
誰よりも。
誰よりも。
そうして僕は知識を身につけた。
だが――
心の傷までは消えなかった。
人前に立つ度に聞こえる。
『デブ王子』
『弱虫王子』
『みっともない』
やめろ。
『王子失格だ』
やめてくれ。
『存在が恥だ』
やめてくれ……!
胸が苦しくなる。
息が詰まる。
足が震える。
気付けば社交の場から逃げ出していた。
一度や二度ではない。
何度も。
何度も。
そしていつしか僕は諦めた。
どうせ変われない。
どうせ誰にも必要とされない。
そう思うようになった。
母上もまた疲弊していた。
陰口に耐え続けた結果、次第に部屋から出なくなった。
僕も同じだった。
二人でひっそりと暮らしていけばいい。
そう思っていた。
あの日までは。
「ミュゲ王子」
ジャスマンが部屋を訪れた。
「婚約のお話が来ております」
「婚約?」
思わず眉をひそめる。
こんな自分に?
あり得ない。
すぐに答えは出た。
王子という肩書目当てだろう。
「断ってくれ」
ソファに寝転んだまま即答した。
「ですが一度お会いになっては?」
「なぜだ」
「噂によると美しいご令嬢だそうです」
「だから何だ」
ジャスマンが苦笑する。
「見た目だけではありません」
「?」
「そのご令嬢は身分に関係なく人と接する方だそうです」
僕はゆっくり体を起こした。
「身分に関係なく?」
「はい」
彼は頷く。
「親しいご友人は男爵家のご令嬢だとか」
「そんな馬鹿な」
思わず声が漏れた。
貴族社会でそんな話は聞いたことがない。
「ですから一度お会いになってみては?」
「……」
沈黙する。
興味などない。
そう言いたかった。
だが。
心のどこかが期待していた。
もし本当なら。
もし彼女が噂通りの人なら。
もしかすると――
「会ってみる」
気付けばそう答えていた。
彼女が本当に優しい人なのか知りたかった。
そして。
ほんの少しだけ願ってしまったのだ。
こんな僕でも。
愛してもらえるのではないかと。
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