第七話 彼の温もり
第七話です。よろしくお願いいたします。
「ここは危険です」
ミュゲ王子が言う。
「兄さんがいつ帰ってくるか分かりません。とにかく屋敷へ戻りましょう」
違う。
私は帰れない。
帰ってはいけない。
「ベルフルール嬢、動けますか?」
優しい声。
聞くだけで胸が痛くなる。
「私が背負っていきましょうか」
違う。
違うのだ。
この人たちは勘違いをしている。
私を助けに来たのではない。
ベルフルール様を助けに来たのだ。
そして私は――
「ベルフルール嬢?」
ミュゲ王子が不安そうに私を見つめる。
もう限界だった。
これ以上、皆を騙したままではいられない。
「私は……」
震える唇を動かす。
「私は……」
怖い。
全てを失うかもしれない。
それでも………
それでも、言わなければ───
「ベルフルールでは……ありません」
静寂が落ちた。
誰も動かない。
誰も言葉を発しない。
「え……?」
最初に声を漏らしたのはミュゲ王子だった。
「ベル、何を言っているんだ」
旦那様も困惑している。
私は震える身体を支えながら起き上がった。
「私は……ベルフルール様ではありません」
ぽろりと涙が落ちる。
「どういう……ことですか」
ミュゲ王子の声が震えていた。
「ですので……私のことは放っておいてください」
「放っておける訳がないでしょう!」
初めて彼が声を荒げた。
「あなたは私の婚約者です!」
「違います!」
私も叫ぶ。
喉が裂けそうだった。
「違うんです!」
もう隠せない。
全部。
全部話さなければ。
私は床に膝をついた。
「何をしているんです!」
ミュゲ王子が慌てて手を伸ばす。
だが私は頭を下げた。
額が床につくほど深く。
「申し訳ございません」
声が震える。
涙が止まらない。
「旦那様。そしてミュゲ王子」
五年間──
ずっと隠してきた罪。
「私の本当の名前はスリジエです」
公爵の顔色が変わる。
「五年前」
私は勇気を振り絞る。
「ベルフルール様と魂が入れ替わってから、ずっとベルフルール様を演じておりました」
「なっ……」
「皆様を騙していたのです」
公爵が後退る。
信じられないものを見るような目だった。
「お、お前が……スリジエ……?」
「はい」
「ではベルフルールは……」
私は唇を噛んだ。
「分かりません」
「分からない?」
「私は何も知りません」
公爵の顔が歪む。
そして───
「まさか……」
その瞳に怒りが宿った。
「ベルフルールを殺したのか」
「……」
「答えろ!」
公爵の怒声が部屋に響く。
「お前が娘を殺したのか!」
「答えろ!お前がベルフルールを殺したのか!」
旦那様の怒号が部屋に響く。
次の瞬間、剣先が私の喉元へ突きつけられた。
「お、落ち着いてください、公爵!」
ミュゲ王子が慌てて止めに入る。
「落ち着ける訳がありません!」
旦那様の目には涙が滲んでいた。
「この女は私たちを騙し続けたのです!そして、ベルフルールを……私の娘を……!」
「まだ何も分かっていないでしょう!」
「分かっています!」
旦那様は叫んだ。
「ベルフルールは、この女に!」
その声は怒りというより悲鳴に近かった。
「私はただ……娘に会いたいだけなのです……!」
剣を握る手が震える。
「旦那様……」
胸が痛かった。
どんな言葉を掛けても意味はない。
ベルフルール様を奪われた悲しみは、誰にも消せないのだから。
「私が……私が娘の復讐を……!」
旦那様が剣を振り上げる。
その時だった──
「お待ちください!旦那様!」
アドニスが私の前へ飛び出した。
両手を広げ、庇うように立つ。
「アドニス、そこをどけ!」
「嫌でございます!」
「お前も仲間だったのか!」
旦那様の声が震える。
「ベルフルールが親切にしてやった恩を仇で返したのか!」
「違います!」
アドニスは叫んだ。
「俺もスリジエも、誰よりもベルフルール様を大切に思っていました!」
「黙れ!」
「黙りません!」
アドニスは一歩も退かない。
「何も知らないくせに決めつけないでください!」
「アドニス……」
私は呆然とその背中を見つめる。
彼はずっと震えていた。
怖くないはずがない。
それでも私を守ろうとしてくれている。
「黙るのはあなたの方です、マルグリット公爵!」
乾いた音が響いた。
ミュゲ王子の平手が公爵の頬を打ったのだ。
部屋が静まり返る。
「ミュゲ王子……」
公爵が信じられないという顔をする。
ミュゲ王子は真っ直ぐ公爵を見据えていた。
「いい加減落ち着いてください」
その声は静かだった。
だが、怒りが滲んでいる。
「あなたが聞こうとしない限り、何も解決しません」
「ですが……」
「一国の王子の命令が聞けないのですか」
公爵が息を呑む。
その瞳に宿る覚悟は本物だった。
やがて公爵は剣を下ろす。
「……申し訳ございません」
ミュゲ王子は小さく頷いた。
そしてアドニスへ向き直る。
「アドニス君」
「はい」
「君の知っていることを話してくれるかい」
「……はい」
アドニスは私を振り返った。
優しく微笑む。
「俺が話すからよ」
「アドニス……」
「任せとけ」
彼は前を向いた。
「スリジエの代わりに、俺が全てお話しします」
そしてアドニスは語った。
五年前に起きたことを。
ベルフルールの願いを。
スリジエが背負い続けたものを。
そして、誰にも言えなかった真実を。
全て──
全てを。
話し終えた頃には、部屋は静まり返っていた。
「つまり……」
公爵が掠れた声で呟く。
「スリジエはベルフルールのために成りすましていたのか」
「はい」
「ずっと……娘のことを考えて……」
「はい」
アドニスは頷いた。
「俺もスリジエも、ベルフルール様から受けた御恩を忘れたことはありません」
公爵は力なく膝をついた。
「私は……」
肩が震えている。
「私は何ということを……」
先ほどまで握っていた剣が床へ転がった。
「頭では理解できる」
苦しそうに言う。
「お前も被害者だということは」
私は黙って聞いていた。
「だが……」
公爵の目から涙が落ちる。
「五年間、お前を娘だと思っていたんだ」
胸が締め付けられた。
「簡単に受け止められるほど、私は強くない」
「旦那様……」
「それでも」
公爵は深く頭を下げた。
「お前を殺そうとしたことは間違いだった」
「……」
「すまなかった」
私は言葉を失う。
謝られる資格などないのに。
私は皆を騙していたのだから。
ベルフルール様ではない。
その事実だけは変わらない。
ミュゲ王子を好きになったことも。
全て私の罪だ。
その時だった──
ミュゲ王子が私の前に膝をつく。
「スリジエ」
初めて呼ばれた本当の名前。
私は思わず顔を上げた。
「あなたが誰であろうと関係ありません」
「……え」
「ベルフルール嬢ではなくても」
彼は優しく微笑む。
「生きていてくれて、本当に良かった」
涙が溢れた。
「僕のことを考えて身を引こうとしたんですね」
「……」
「全部、一人で抱え込んで」
彼は申し訳なさそうに目を伏せる。
「気付いてあげられなくて申し訳ありませんでした」
その言葉を聞いた瞬間。
張り詰めていた糸が切れた。
温かい。
そう思ったのはいつ以来だろう。
重くなっていく瞼を閉じる。
もう、大丈夫かもしれない。
そんなことを考えながら、彼の胸に倒れ込み、深い眠りへ落ちていった。
いかがだったでしょうか。次回もよろしくお願いいたします。




