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第五話 行方不明の婚約者

第五話です。よろしくお願いいたします。

「ベルフルール嬢が行方不明に!?」



朝早くから、マルグリット公爵が至急お会いしたいと王宮を訪れた。

ただならぬ様子に応接室へ通したが、顔を見た瞬間、胸騒ぎがした。


公爵の顔色は青白く、目の下には濃い隈ができている。

まるで一晩中眠れなかったかのようだった。


「はい……」


震える手で、公爵は一枚の紙を差し出した。


「娘の部屋に、このような書き置きが残されておりまして……」


受け取った紙には、見慣れた丁寧な文字が並んでいる。



『急用ができ、しばらくいなくなります。

 心配しないで下さい。

             ベルフルール』



「……っ」


思わず息を呑んだ。

あまりにも短い。


それに、どこへ行くのかも、何の用なのかも書かれていない。


「急用……しばらく……?」


ベルフルール嬢らしくない。


彼女は何かあれば必ず周囲へ知らせる人だ。

突然姿を消すなど考えられない。


「今まで娘は、このようなことをしたことがありません」


公爵は苦しそうに顔を伏せた。


「友人と出掛けるだけでも行き先を伝えるような子なのです」


「……」


「もしかすると、何か事件に巻き込まれたのではないかと……」


その声は震えていた。

父親として当然の不安だろう。



「公爵」

 


私は立ち上がった。


「私が探しに行きます」


「ま、誠ですか!?」


公爵が勢いよく顔を上げる。


「もちろんです」


私は迷わず頷いた。


「大切な婚約者が行方不明になったのです」


胸の奥がざわついていた。


嫌な予感がする。

ただ家を出ていっただけとは思えない。


「何もせず帰りを待つことなどできません」


「ミュゲ王子……」


公爵の目に涙が浮かぶ。

私はその手をしっかりと握った。


 

「私に任せてください」



真っ直ぐ公爵を見据える。



「必ずベルフルール嬢を見つけ出します」


「……ありがとうございます」


公爵は何度も頭を下げた。


だが、私の胸に広がる不安は消えない。



どうか無事でいてください。

ベルフルール嬢――。



◇◇◇


実質監禁生活二日目。

私は窓辺に張り付くようにして外を見ていた。


このまま大人しく閉じ込められているつもりはない。

小さな窓から見える景色を頼りに、何度も脱出経路を考える。


「ここからなら……」


窓のすぐ近くに一本の大木がある。

枝は太く、窓の高さまで伸びていた。


あれを使えば地面まで降りられるかもしれない。

問題は失敗した時だ。


ここが二階ならまだいい。

三階以上ならただでは済まない。


だが、今は夜だ。

暗くて確かめる方法もない。



「やるしかないわ」

 


私は意を決して窓を開いた。

ひんやりとした風が頬を撫でる。


深く息を吸い、一気に枝へ飛び移った。


「きゃっ……!」


枝が大きく揺れる。

私は慌てて幹にしがみついた。


数秒後。


落ち着いて周囲を見回し、小さく息を吐く。


「……よし」


慎重に木を伝い、地面へ降りる。



だが――



「変ね……」



思わず呟いた。


誰も来ない。


窓を開ける音も。

木が揺れる音も。

かなり大きかったはずだ。


なのに、見張りの姿がどこにもない。


不自然なほど静かだった。


「今は考えている場合じゃないわね」


首を振り、私は壁へ向かった。

幸い、石壁には足を掛けられそうな出っ張りがある。


苦労しながらも何とか乗り越えると、その向こうには細い道が続いていた。


人の気配はほとんどない。


どうやらここはかなり郊外らしい。


「思ったより、あっさり出られたわ……」


胸の奥に小さな違和感が残る。


だが今は屋敷へ帰ることが先だ。

私は足早に歩き始めた。


 

その時だった――


 

「ベルフルール嬢!?」



聞き覚えのある声に顔を上げる。



「え……?」


 

四つ角の向こうに、一人の男が立っていた。


信じられない。

何度も夢に見た姿だった。


「ベルフルール嬢……ですか?」


瞳が大きく見開かれる。


「ミュゲ……王子……?」


声が震えた。


どうして。

どうしてここに――。



「ミュゲ王子!」



「ベルフルール嬢!」



私は彼の胸に飛び込んだ。


温かい。

確かに本物だ。


グリシーヌのような作り物の優しさではない。

いつも私を安心させてくれた、あのミュゲ王子だ。


「ベルフルール嬢……探しましたよ」


優しく背中を撫でられ、思わず涙が滲みそうになる。


「今までどこにいたんですか」


「それは……」


言葉に詰まる。



言えない。



私はベルフルール様ではない。

あなたが探していた人間ではない。


「ベルフルール嬢?」


「その前に、一つだけ聞いてもいいですか?」


私はそっと身体を離した。 


「何でしょう?」


真っ直ぐ見つめてくる青い瞳。

その優しさが胸を締め付ける。


「あなたは、今の立場を捨ててでも、私と共に逃げることを選んでくれますか?」


「……っ」


ミュゲ王子の表情が固まった。


「それは……どういう意味ですか?」


「もしもの話です」


私は無理に笑みを浮かべる。


「ですが、真剣に答えてください」


風が吹き抜ける。


ミュゲ王子はしばらく黙ったまま俯いていた。


やがて苦しそうに口を開く。

 


「私は王子です」

 


「…………」



「この国を守る責任があります」



その言葉に胸が痛んだ。


当然だ。

そんなこと、私だって分かっている。


「簡単に全てを捨てるとは言えません」


やっぱり。


そうですよね。


「ですが」


ミュゲ王子は顔を上げた。


「あなたを失いたくもありません」


「っ……」


「だから、その質問には今すぐ答えられない」


真剣な眼差しだった。


嘘ではない。

彼は本気で悩んでいる。


王子としての責任も。

私への想いも。


どちらも捨てられないのだ。

 


「ベルフルール嬢」

 


一歩近づいてくる。


「何があったのですか?」



「私は――」



言いかけて、口を閉ざした。

 


言えない。

もし全てを話したら。

私がベルフルール様ではないと知ったら。


この優しい人はきっと苦しむ。



だから――



「……分かりました」



私は小さく微笑んだ。


「ベルフルール嬢?」


「ごめんなさい」


一歩後ろへ下がる。



「私は、これ以上あなたと一緒にいられない」



「どういうことですか?」


「ごめんなさい」


喉が熱い。

泣きそうだった。


「理由は言えません」


「待ってください!」


ミュゲ王子が手を伸ばす。


だけど私は首を振った。


「あなたは何も悪くありません」


むしろ悪いのは私だ。

あなたを騙している私の方だ。



あなたを愛してしまった、私の方だ───

 


「ベルフルール嬢!」


 

私は踵を返した。


走る。

走って、走って、走り続ける。


後ろから聞こえる声を振り切るように。


涙が零れないように。

もう二度と振り返らないように───

今回もお読みいただきありがとうございました。

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