第二十三話 アドニスの失態
第二十三話です。第二章の最後の話なので、是非よろしくお願いします。
◇◇◇
屋敷を出たアドニスは、夕暮れの街を歩いていた。
ベルフルール。
いや、スリジエのためだ。
あいつは平気そうな顔をしていたが、限界が近い。
それくらい俺にも分かる。
だからこそ。
何としてでもベルフルール様を見つけ出さなければならない。
そう決意したアドニスが向かった先は、街外れの酒場だった。
昼間から酔っ払いが集まり、胡散臭い連中が情報を売り買いしている場所。
まともな人間なら近付きたがらない。
だが、こういう場所だからこそ手に入る情報もある。
「相変わらず臭えな……」
扉を開けた瞬間、酒と煙草の臭いが鼻を突いた。
店内を見回す。
荒くれ者ばかりだ。
喧嘩が始まっても誰も止めなさそうな空気が漂っている。
その中で一人だけ。
妙に存在感のある男が目に入った。
大柄な体。
ぼさぼさの髭。
日に焼けた肌。
いかにも海の男という風貌だ。
アドニスはその男の向かいに腰を下ろした。
「じいさん」
男が片眉を上げる。
「ああ?」
「顔色悪いな。最近仕事が忙しいのか?」
男は数秒沈黙した後、
「ガキがこんな所で何してやがる」
と鼻で笑った。
怖い。
だが、勘が告げている。
こいつは何か知っている。
「人探しだ」
「女か?」
「まあそんなところだ」
男はニヤニヤ笑う。
「逃げられたか」
「うるせえ」
思わず本音が漏れた。
男は豪快に笑う。
「で?」
「五年前に消えたんだ」
アドニスは声を潜める。
「日本人の男と一緒にな」
男の表情がわずかに変わった。
アドニスは見逃さなかった。
「日本を知ってるのか?」
「……少しな」
食いついた。
アドニスは身を乗り出す。
「頼む。教えてくれ」
男は腕を組んだ。
しばらく考える素振りを見せる。
そして──
「いいだろう」
木製のジョッキを差し出した。
「その前に飲め」
「は?」
「酒場だぞ」
男は笑う。
「話を聞くなら礼儀を見せろ」
「俺は未成年だ」
「一杯くらいで死にゃしねえ」
アドニスは眉をひそめた。
怪しい。
だが、ようやく掴んだ手掛かりを逃したくなかった。
数秒迷った末。
ジョッキを掴む。
そして一気に飲み干した。
苦い。
喉が焼ける。
「がははは!」
男が腹を抱えて笑う。
「見込みがあるな!」
「うるせえ……」
アドニスは頭を押さえた。
何だ。
妙に体が熱い。
酒が強すぎたのか。
「さて」
男が肘をつく。
「日本の船だったな」
「ああ」
「その前に聞かせろ」
男の目が細くなる。
「何故その女を探している?」
アドニスは笑った。
「姉だからだ」
男は無言。
その沈黙が妙に怖い。
やがて男が言った。
「嘘だな」
背筋が冷えた。
「何?」
「お前は嘘が下手だ」
男は断言した。
「姉を探している顔じゃない」
アドニスの手に汗が滲む。
まずい。
こいつ。
ただ者じゃない。
立ち上がろうとする。
だが──
体が重い。
足に力が入らない。
「なっ……」
頭がぐらりと揺れる。
視界も霞む。
その瞬間だった。
口が勝手に開いた。
「ベルフルール様を探してる」
アドニスは目を見開いた。
違う…………言うな…………!
「今のベルフルールは偽物だ」
やめろ。
「体はベルフルール様だが、中身はスリジエという庶民の娘なんだ」
止まらない。
口が、口が勝手に動く。
「五年前に魂を交換した」
「ほう」
男が面白そうに頷く。
「続けろ」
「ベルフルール様は日本人の男と旅立った」
やめろ。
やめてくれ!
「期限は五年」
全身から冷や汗が吹き出す。
「もうすぐ戻らなければならない」
止まらない。
「スリジエは怯えてる」
男の目が細くなる。
「何に?」
「全部だ」
声が震えた。
「王子に嫌われることも」
「家族に捨てられることも」
「友達に軽蔑されることも」
「全部だ」
男は黙って聞いていた。
そして。
最後まで話し終えた瞬間───
アドニスは椅子にもたれた。
息が荒い。
体が思うように動かない。
「くそ……」
男が立ち上がる。
そして。
男はゆっくりと自分の頬へ手を伸ばした。
「さて、少し話しやすい姿になるとしようか」
次の瞬間。
爪が皮膚に食い込み、そのまま顔を引き裂くように剥がした。
「なっ……!?」
アドニスは思わず椅子から転げ落ちそうになる。
剥がれたのは髭だけではなかった。
顔の皮膚。
首筋の皺。
日焼けした肌。
それら全てが、一枚の仮面だったのだ。
ベリベリと音を立てながら男は顔を剥いでいき、老人の顔が消えていく。
そして現れたのは――。
酒場には似つかわしくない、美しい青年だった。
整った顔立ち。
鋭い瞳。
優雅な立ち姿。
酒場には到底似つかわしくない。
「初めましてだね」
青年は微笑む。
「アドニス君」
アドニスの瞳が大きく見開かれる。
「申し遅れた」
青年は優雅に一礼した。
「私の名はグリシーヌ」
そして。
口元をわずかに吊り上げる。
「この国の第一王子だ」
アドニスの顔から血の気が引いた。
「な……何故…………」
グリシーヌは静かにジョッキを持ち上げる。
「君に飲ませた酒の中に薬を入れておいた」
「薬……?」
「真実だけを話してしまう薬だよ」
強く拳を握る。
だが力が入らない。
「ふざけんな……!」
立ち上がろうとして。
そのまま床に倒れ込んだ。
視界が暗くなる。
意識が遠のいていく。
「アドニス君」
グリシーヌの声だけが聞こえた。
「君にはもう少し役に立ってもらう」
その声は穏やかだった。
だからこそ恐ろしい。
「しばらく眠っていてくれ」
重い瞼が閉じる。
抗うことはできなかった。
そしてアドニスの意識は、深い闇の中へ沈んでいった――。
第二章もお読みいただき、ありがとうございました。第三章も楽しみにしていて下さると幸いです。




