第二十二話 偽物の代償
第二十二話です。よろしくお願いします!
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「っ…………」
アドニスはしばらく何も言えなかった。
まるで言葉の意味を理解するのを拒むように、その場に立ち尽くしている。
「アドニス、ごめんなさい」
私は静かに頭を下げた。
「どうしてもあなたには言えなかったの」
彼が顔を上げる。
「ベルフルール様に想いを寄せていたあなたに、この事実を伝えたら……きっと耐えられないと思ったから」
沈黙が落ちる。
やがてアドニスが低い声で言った。
「だから屋敷を追い出したのか」
「ええ」
私は頷く。
「あなたならすぐに気付くと思ったの。私がベルフルール様じゃないって」
「……」
「だから他の屋敷で働けるように手配したわ」
アドニスは苦く笑った。
「その屋敷からも追い出されたよ」
「え……?」
「その後は散々だ」
肩をすくめる。
「仕事を失って途方に暮れてたら、キラーズに攫われた」
胸が締め付けられた。
「アドニス……」
「鉱山で死ぬほど働かされた」
その言葉に私は返す言葉を失う。
自分の選択が、彼の人生を大きく変えてしまったのかもしれない。
「そうだったのね……」
「まあ、生きてるからいい」
そう言ってアドニスは椅子に深く腰掛けた。
そして腕を組む。
「それで?」
真っ直ぐ私を見る。
「もうすぐ五年なんだろ」
「ええ」
「どうするんだよ」
私は無意識に胸元の桜のブローチへ触れた。
「もうすぐ術の期限が来るわ」
「……」
「それまでにベルフルール様が戻らなければ、魂が完全にこの体と結びついてしまうの」
アドニスの表情が変わる。
「そんなことになるのか」
「そうなれば、もう元には戻れない」
静かに言った。
「私は一生この体で生きることになるわ」
重い沈黙が落ちる。
「本当は専門の人に依頼するつもりだったの」
私は顔を上げた。
「でも、この際あなたにお願いしたい」
「俺に?」
「ベルフルール様が今どこにいるのか」
私は真剣な目で彼を見る。
「なぜ戻ってこないのか」
「……」
「秘密裏に調べてくれない?」
アドニスは頭を掻いた。
「俺なんかでいいのかよ」
思わず笑ってしまう。
「あなたが一番信用できるもの」
「は?」
「それに」
私は続ける。
「ベルフルール様のためなら、本気になってくれるでしょう?」
アドニスは視線を逸らした。
耳が少し赤い。
「……まあな」
「頼んだわよ」
「おう」
その返事を聞いて、少しだけ安心した。
私は彼を見送るため立ち上がる。
すると──
「なあ」
アドニスが呼び止めた。
珍しく言いにくそうな顔をしている。
「何?」
しばらく迷った末に、彼は口を開いた。
「お前さ」
嫌な予感がした。
「第三王子のこと、好きなのか」
心臓が大きく跳ねた。
言葉が出ない。
そんな私を見て、アドニスはため息をつく。
「やめとけよ」
冷たい声だった。
だが、それは優しさでもあった。
「お前がスリジエに戻ったら終わりだ」
胸が痛む。
「王子とは結ばれねえ」
分かっている。
そんなことは。
最初から…………
「俺がベルフルール様を諦めたみたいによ」
アドニスは笑った。
どこか寂しそうに。
「お前も諦めるしかねえんだ」
そして小さく呟く。
「それが俺たち庶民の運命だ」
血の気が引く。
分かっていた。
ずっと分かっていたはずだった。
それなのに…………
「見送りはいらねえよ」
アドニスは背を向ける。
「何か分かったらこっそり忍び込んで教えてやる」
そう言い残し、塀を飛び越えて去っていった。
静寂だけが残る。
私はその場に立ち尽くした。
そして気付いてしまう。
今まで見ようとしなかった自分の欲に。
最初はベルフルール様のためだった。
椿に似た男性を探していたのも。
婚約者候補を見ていたのも。
全部。
ベルフルール様が椿を忘れて帰ってきた時のためだった。
本気で結婚するつもりなどなかった。
私はスリジエに戻るつもりだったのだから。
なのに。
いつからだろう。
ミュゲ王子の笑顔を探すようになったのは。
隣にいる時間が愛おしくなったのは。
初めは、ずっと自分に言い聞かせていた。
私はスリジエだ、と。
ベルフルールではない、と。
けれど。
本当は違った。
ミュゲ王子の隣が好きだった。
リラとイリスとのお茶会が好きだった。
お父様とお母様に娘として接してもらえる日々が好きだった。
私は…………
ベルフルールとして生きる毎日が好きだったのだ。
「っ……」
喉が詰まる。
辛かった。辛かったのだ。自分がスリジエであるという現実が…………
だからいっその事、今だけはベルフルールとして楽しい時を過ごそうと思った。
日に日にスリジエであることを忘れ、自分がベルフルールであると強く思い込んでいた。
だが、今日…………ついに現実に引き戻された。
ベルフルール様が帰ってくる。
それは私が望み続けてきた未来のはずだった。
なのに──
どうしてこんなにも苦しいのだろう。
どうしてこんなにも怖いのだろう。
私は口元を押さえた。
そして誰にも聞こえないように叫ぶ。
「うあああああっ……!」
涙が零れる。
私は膝をついた。
全て失う未来が目の前にあった。
ミュゲ王子も。
イリスも。
リラも。
お父様も。
お母様も。
全部。
「私は……」
震える声が漏れる。
「私は、どうすればいいのですか……」
桜のブローチを握り締める。
「ベルフルール様……」
けれど───
答えてくれる人は、どこにもいなかった。
お読みいただきありがとうございました。もう少しで第二章が終わります。




