表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/83

第二十二話 偽物の代償

第二十二話です。よろしくお願いします!


「っ…………」



アドニスはしばらく何も言えなかった。


まるで言葉の意味を理解するのを拒むように、その場に立ち尽くしている。


「アドニス、ごめんなさい」


私は静かに頭を下げた。


「どうしてもあなたには言えなかったの」


彼が顔を上げる。


「ベルフルール様に想いを寄せていたあなたに、この事実を伝えたら……きっと耐えられないと思ったから」


沈黙が落ちる。

やがてアドニスが低い声で言った。


「だから屋敷を追い出したのか」


「ええ」


私は頷く。


「あなたならすぐに気付くと思ったの。私がベルフルール様じゃないって」


「……」


「だから他の屋敷で働けるように手配したわ」


アドニスは苦く笑った。


「その屋敷からも追い出されたよ」


「え……?」


「その後は散々だ」


肩をすくめる。


「仕事を失って途方に暮れてたら、キラーズに攫われた」


胸が締め付けられた。


「アドニス……」


「鉱山で死ぬほど働かされた」


その言葉に私は返す言葉を失う。


自分の選択が、彼の人生を大きく変えてしまったのかもしれない。


「そうだったのね……」


「まあ、生きてるからいい」


そう言ってアドニスは椅子に深く腰掛けた。

そして腕を組む。


「それで?」


真っ直ぐ私を見る。


「もうすぐ五年なんだろ」


「ええ」


「どうするんだよ」


私は無意識に胸元の桜のブローチへ触れた。


「もうすぐ術の期限が来るわ」


「……」


「それまでにベルフルール様が戻らなければ、魂が完全にこの体と結びついてしまうの」


アドニスの表情が変わる。


「そんなことになるのか」


「そうなれば、もう元には戻れない」


静かに言った。


「私は一生この体で生きることになるわ」


重い沈黙が落ちる。


「本当は専門の人に依頼するつもりだったの」


私は顔を上げた。


「でも、この際あなたにお願いしたい」


「俺に?」


「ベルフルール様が今どこにいるのか」


私は真剣な目で彼を見る。


「なぜ戻ってこないのか」


「……」


「秘密裏に調べてくれない?」


アドニスは頭を掻いた。


「俺なんかでいいのかよ」


思わず笑ってしまう。


「あなたが一番信用できるもの」


「は?」


「それに」


私は続ける。


「ベルフルール様のためなら、本気になってくれるでしょう?」


アドニスは視線を逸らした。

耳が少し赤い。


「……まあな」


「頼んだわよ」


「おう」


その返事を聞いて、少しだけ安心した。

私は彼を見送るため立ち上がる。


すると──


「なあ」


アドニスが呼び止めた。

珍しく言いにくそうな顔をしている。


「何?」


しばらく迷った末に、彼は口を開いた。


「お前さ」


嫌な予感がした。


「第三王子のこと、好きなのか」


心臓が大きく跳ねた。

言葉が出ない。


そんな私を見て、アドニスはため息をつく。


「やめとけよ」


冷たい声だった。


だが、それは優しさでもあった。


「お前がスリジエに戻ったら終わりだ」


胸が痛む。


「王子とは結ばれねえ」


分かっている。

そんなことは。


最初から…………


「俺がベルフルール様を諦めたみたいによ」


アドニスは笑った。

どこか寂しそうに。


「お前も諦めるしかねえんだ」


そして小さく呟く。


「それが俺たち庶民の運命だ」


血の気が引く。


分かっていた。

ずっと分かっていたはずだった。


それなのに…………


「見送りはいらねえよ」


アドニスは背を向ける。


「何か分かったらこっそり忍び込んで教えてやる」


そう言い残し、塀を飛び越えて去っていった。


静寂だけが残る。


私はその場に立ち尽くした。


そして気付いてしまう。

今まで見ようとしなかった自分の欲に。


最初はベルフルール様のためだった。


椿に似た男性を探していたのも。

婚約者候補を見ていたのも。


全部。


ベルフルール様が椿を忘れて帰ってきた時のためだった。


本気で結婚するつもりなどなかった。

私はスリジエに戻るつもりだったのだから。


なのに。

いつからだろう。


ミュゲ王子の笑顔を探すようになったのは。

隣にいる時間が愛おしくなったのは。


初めは、ずっと自分に言い聞かせていた。


私はスリジエだ、と。

ベルフルールではない、と。


けれど。

本当は違った。


ミュゲ王子の隣が好きだった。

リラとイリスとのお茶会が好きだった。

お父様とお母様に娘として接してもらえる日々が好きだった。


私は…………

ベルフルールとして生きる毎日が好きだったのだ。


「っ……」


喉が詰まる。


辛かった。辛かったのだ。自分がスリジエであるという現実が…………

だからいっその事、今だけはベルフルールとして楽しい時を過ごそうと思った。

日に日にスリジエであることを忘れ、自分がベルフルールであると強く思い込んでいた。



だが、今日…………ついに現実に引き戻された。



ベルフルール様が帰ってくる。

それは私が望み続けてきた未来のはずだった。


なのに──


どうしてこんなにも苦しいのだろう。

どうしてこんなにも怖いのだろう。


私は口元を押さえた。

そして誰にも聞こえないように叫ぶ。



「うあああああっ……!」



涙が零れる。

私は膝をついた。


全て失う未来が目の前にあった。


ミュゲ王子も。

イリスも。

リラも。

お父様も。

お母様も。


全部。



「私は……」



震える声が漏れる。



「私は、どうすればいいのですか……」



桜のブローチを握り締める。



「ベルフルール様……」



けれど───


答えてくれる人は、どこにもいなかった。


お読みいただきありがとうございました。もう少しで第二章が終わります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ