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第十三話 少女と少女

第十三話です。タイトルの意味を考えながら、お読みいただけると嬉しいです。

いつものようにお茶会を開いている庭園。

だが今日は、そこに似つかわしくない“客人”がいた。


色褪せた服。擦り切れた靴。

貴族の屋敷には到底馴染まない、貧しい身なりの少年。


周囲に召使の姿はない。

護衛すら下がらせたこの空間には、私たち二人しかいなかった。


風が花を揺らす音だけが、やけに耳につく。


「それで?」


少年は椅子にも座らず、こちらを見下ろすように笑った。


「ようやく思い出してくれましたか?」


「……ええ、そうね」


私は紅茶に一切口をつけず、静かに彼を睨み返す。


思い出した。

彼が誰なのか。

そして――自分が忘れようとしていた“過去”も。


忘れたかったはずなのに。

消えていたと思っていたのに。


あの記憶は、まだ私の中に残っていた。

胸の奥深くに、澱のように。


「昔話でもしようか」


少年が口元を歪める。


「まだお前が“スリジエ”になる前の話を」




人が歩いている。


絶え間なく。忙しなく。


朝だからだろう。

皆、それぞれ仕事へ向かっているのだ。


けれど、私に見えるのは足だけだった。


行き交う靴。泥の跳ねた裾。

速足で過ぎ去っていく人々。


顔なんて、一度も見たことがない。


誰も、道端に転がる私を見ようとはしなかった。


私は石畳の隅に横たわりながら、ぼんやりと死を待っていた。


寒い。


苦しい。


お腹が空いた。


でも、それすらもう曖昧だった。



『ねえ』


……誰?


遠くから声が聞こえる。


『ねえ、聞こえてらっしゃる?』


そんなわけない。


誰がこんな薄汚れた小娘に話しかけるというのだ。


親もいない。

金もない。

名前すら、与えられたことがない私に。


『まだ生きてらっしゃる?』


その声だけは、不思議とはっきり聞こえた。


私は重たい瞼を、ほんの少しだけ持ち上げる。


そして――


「っ…………」


少女と、目が合った。


陽の光を背負ったその姿は、まるで物語のお姫様みたいだった。


綺麗な髪。

白い肌。

宝石みたいに澄んだ瞳。


彼女は確かに、私を見ていた。


汚れた地面ではなく。

通行人でもなく。



“私”を。



「ああ、良かった! 生きてらっしゃるのね!」


ぱっと花が咲いたように笑う。


……どうして、そんな顔ができるのだろう。


「お腹、空いているの?」


優しい声だった。


私は答えようとして――声が出ないことに気付く。


喉が張り付いていた。


結局、私は小さく頷くことしかできなかった。


「待っててくださいね」


彼女は慌てた様子で水筒を取り出した。


「まずはこれを飲んで」


差し出された水を、私は反射的に奪い取る。


そして夢中で飲んだ。


喉が焼けるように痛い。

けれど止められない。


生き物としての本能が、水を求めていた。


「まあ……そんなに乾いて……」


彼女は驚いたように目を丸くする。


けれど私は恥ずかしいとは思わなかった。

少しでも遅れていたら、本当に死んでいたかもしれないのだから。


「あなた……とても痩せているわ」


彼女が痛ましげに呟く。


「骨が浮き出てしまってる……」


当然だ。

貧乏人に、満足に食べられる者などいない。


「それに、お顔も泥だらけ」


彼女はそう言って、白いレースのハンカチを取り出した。


あまりにも綺麗で、一瞬見惚れる。

きっと高価な物だ。



「待ってください」



掠れた声で、私は慌てて止めた。


「そんな綺麗な物……汚れてしまいます」


すると彼女は不思議そうに瞬きをした。


「汚れたら洗えば良いだけでしょう?」


「ですが……」


「それに、どうしてそんなに遠慮するのです?」


本気で分からない、と言いたげな顔だった。


「だって、人は皆平等でしょう?」



――その瞬間。



胸の奥に溜まっていた何かが、ぐらりと揺れた。



「平等……?」



思わず、低く笑ってしまう。

何も知らない人間の言葉だ。


「人は平等だなんて、綺麗事です! あなたはお腹を空かせたこともない! 凍えながら眠ったこともない!」


この女は、ただ少し施しただけで“善人”になったつもりなのだ。


そう思うと、無性に腹が立った。

しかし彼女は怒らなかった。


悲しそうに目を伏せて、静かに言う。


「ええ。分かりませんわ」


予想外の返答だった。


「だって私は、そんな生活をしたことがありませんもの」


あまりにも真っ直ぐで、言葉に詰まる。


「だからこそ、知りたいのです」


彼女はそっと膝をついた。


汚れることも気にせず、私と同じ目線になる。


「苦しい人を見捨てるのが“正しい”とは、私は思えません」


「……っ」


何かを言い返そうとした、その瞬間。



「ゲホッ……! ゴホッ、ゴホッ!」



突然、激しく咳き込んだ。


肺が焼けるように苦しい。

空っぽの胃が痙攣する。

飲まず食わずの身体に、急激に水を流し込んだからだ。


視界がぐらぐら揺れる。


「ど、どうしたのです!?」


彼女の声が遠い。


寒い。


苦しい。


震えが止まらない。



――死ぬのか。



私は、ここで。

せっかく生きたいと思ったのに。


「怖い……」


掠れた声が漏れる。


「え?」


「死にたく、ない……」


涙すら出なかった。

干からびた身体には、涙を流す水分すら残っていない。


「怖い……怖い……」


身体が小刻みに震える。


嫌だ。


こんなところで終わりたくない。


這い上がると決めたのに。


絶対、生きてやると誓ったのに。


視界が暗くなっていく。


意識が沈む。


その瞬間、最後に聞こえたのは――


「大丈夫ですわ!」


必死に叫ぶ、少女の声だった。


「今、助けて差し上げます! だからどうか、お願い、もう少しだけ頑張って!」


泣きそうな声で。


必死に。



何度も何度も、私の名も知らない少女を呼び続けていた。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

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