第三話 私を巡る、二人の王子
第三話です。是非楽しく読んでください!
「いやあ、これはこれはグリシーヌ王子ともあろうお方が、私に何か御用でしょうか」
ソファに腰掛けたお父様の手汗が尋常ではない。
ハンカチで拭っても拭っても追いつかず、ついにはズボンにまで染みていた。
少し気の毒になってしまう。
「いえ。用があるのは、ご息女に対してです」
グリシーヌ王子は優雅に微笑みながら、ゆっくりこちらへ視線を向けた。
完璧すぎる笑みだった。
だからこそ逆に、何を考えているのか分からなくて恐ろしい。
「ベルフルールに、ですか。それはまたどうして」
「おや。ご息女から既にお聞きでは?」
首を傾げる仕草さえ絵になる。
本当に腹立たしいほど優雅な人ですわね。
「も、もちろん聞いておりますとも。舞踏会では娘が大変お世話になったようで」
「それは何よりです」
グリシーヌ王子は穏やかに頷いた。
「では、お分かりですね。ミュゲ王子との婚約は破棄し、代わりに私と婚約していただきたい」
──ほら、やっぱりですわ。
最初からそういう話だと思っておりましたのよ。
「ゴホンッ!」
お父様が大きく咳払いをし、無理やり威厳を取り戻す。
「それは出来ません」
「ほう。それはまたどうして?」
「娘が望んでいないからです。娘はミュゲ王子との婚約を望んでおります」
お父様、よくぞ言ってくださいました!
内心で盛大な拍手を送る。
「娘はすでにミュゲ王子のものです。それ以外の誰のものでもありません」
「なるほど。それは残念です」
グリシーヌ王子は小さく肩を竦めた。
「ですが──マルグリット公爵には、まだご存じないことがあるようですね」
「し、知らないこととは……?」
「それは、ご息女が一番よくご存じのはずです」
──な、何を言っておりますの、この人は。
まさか、あの件を……?
「マルグリット公爵。実は──」
「ま、待ってくださいまし……!」
だが、止まらない。
グリシーヌ王子は、恐ろしいほど穏やかな声で告げた。
「私たちは、すでに口づけを交わしました」
「………………………………」
お父様が固まった。
まるで時が止まったようだった。
そして数秒後。
「く、くちづけぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
屋敷中に響き渡る絶叫。
そのままお父様は白目を剥き、後ろへ倒れ込み――机の角に頭をぶつけた。
「お、お父様ぁぁぁ!?」
◇◇◇
幸い、お父様は大事には至らなかった。
現在は医者に診てもらいながら、お母様が付き添っている。
そして私はというと――
「おや、ベルフルール。そんなに深刻な顔をしてどうしたのだ?」
グリシーヌ王子を馬車まで見送っていた。
「父が倒れて、心配しない娘がいるとでも?」
冷たく言い放つ。
「それは確かに申し訳ない。しかし命に別状はない。すぐ目を覚ますだろう」
「誰のせいだと思っておりますの」
「私のせいだと言いたいのか?」
「他に誰がいますの?」
私は足早に歩き出した。
一刻も早く帰っていただきたい。
「そんなに急いでどうした?」
「さあ、どうしたのでしょうね」
「まったく……」
次の瞬間だった。
グイッ
「わ……っ!?」
突然腕を引かれ、体勢が崩れる。
気づけば私は、彼の胸元へ倒れ込んでいた。
「急ぐと転びますよ、レディ」
耳元で低い声が響く。
「だ、誰のせいで転びかけたと……!」
慌てて彼を押し返し、一歩距離を取る。
「離してくださいまし」
「何故?」
どこか楽しそうな声音。
……この男、絶対に面白がっていますわね。
「私は婚約者がいる身です。どうかお引き取りを」
「それを拒んだら?」
「後悔しますわよ。あなたが女たらしだと国中に言いふらします」
「まったく、酷い言われようだ」
「事実でしょう?」
「いいや」
グリシーヌ王子は静かに目を細める。
そして、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「私の心を奪った女性は、あなたが初めてですよ」
「っ…………!」
低音激甘ボイスで囁かれ、思わず顔が赤くなる。
その瞬間だった───
「離してください」
背後から、静かな声が響いた。
世界が一瞬だけ止まる。
「離してくださいと言ったはずです、兄さん」
この声は――
「ミュゲ王子!」
次の瞬間、私はふわりと抱き寄せられていた。
柔らかな体温に包まれる。
安心する匂い。
そして――
……お腹に少し弾力があるのは、気のせいですわよね?
「兄さん。彼女は僕の婚約者です」
ミュゲ王子は静かに言い放つ。
その声はいつもより低く、驚くほど落ち着いていた。
「今すぐその手を離してください」
「ほう。口づけを交わした仲なのにか?」
わざと強調するような言い方。
ミュゲ王子の肩がぴくりと震えた。
だが、彼は目を逸らさない。
「……例えそうだとしても、彼女は僕の婚約者です」
周囲の茂みがざわりと揺れる。
よく見ると、木陰や草むらに複数の人影が見えた。
「僕の側近たちが見ています。兄さんが何かすれば、父上の耳にも届くでしょう」
その言葉と同時に、木陰からジャスマンが姿を現した……なぜか双眼鏡を持ちながら。
さ、流石に双眼鏡は私の毛穴まで見えてしまうのでは…………!?
その瞬間、グリシーヌ王子は小さく息を吐いた。
「なるほど。今日はここまでだ」
驚くほどあっさりと腕を離す。
「だが、諦めたわけではない。また会いましょう、ベルフルール嬢」
優雅な笑みを残し、彼は馬車へ乗り込んだ。
馬車が見えなくなった瞬間――
「…………はぁ」
ミュゲ王子がその場に崩れ落ちた。
「ミュゲ王子!?」
慌てて駆け寄り、肩を支える。
近くのベンチへ座らせると、ジャスマンが素早く水筒を差し出した。
ミュゲ王子はそれを一気に飲み干す。
「ありがとう……助かった……」
「いいえ。礼には及びません」
ジャスマンは静かに一礼し、再び気配を消した。
……忍者か何かですの?
「……そういえば、ミュゲ王子はなぜここに?」
彼が落ち着いたのを確認してから尋ねる。
「実は婚約破棄の件で、公爵とお話ししようと思って来たんです。まさか兄さんが来ているとは思いませんでしたが……」
「そうでしたのね」
納得したが、その時大事なことを思い出した。
「ですが、実はお父様が──」
「マルグリット公爵が、どうかされたのですか?」
私は先ほどの出来事を説明した。
すると、ミュゲ王子の顔がみるみる険しくなる。
「兄さんがそんなことを……! いくら第一王子とはいえ……」
彼は勢いよく膝をついた。
「申し訳ありません。兄の無礼を、お詫びします……!」
「そ、そんな! 顔を上げてください!」
慌てて止める。
「あなたが謝ることではありませんわ。むしろ助けてくださったではありませんか」
「ですが……」
「“ですが”は禁止ですわ!」
私は彼の額を軽く小突いた。
「ネガティブな発言は禁止。私の夫になる方には、もっと堂々としていただきませんと」
「は、はい……!」
頬を赤く染めながら、彼はぴしりと背筋を伸ばした。
……少し可愛いですわね。
「では今日はここまでにいたしましょう。また改めて──」
その時だった──
ぽすっ。
「っ……?」
庭の方から、ボールが飛んできた。
「お姉ちゃん!」
「お願い、助けて!」
あの子たちの声───
その瞬間、私は反射的に駆け出していた。
いかがだったでしょうか。娘の口づけ話を聞いた父親のショックがどれほどだったかは、父親になってみないと分かりませんが、上手に表現できていたら嬉しいです。




