第二十二話 赤い薔薇は忘れさせてくれない
第二十二話です。第一王子の執着心はどうなってしまうのでしょうか。
「はあ…………」
私は深いため息をつきながら、一人、部屋の机に頬杖をついた。
目の前に置かれているのは、百一本の赤薔薇。
昨夜、グリシーヌ王子から贈られてきた花束だ。
あれほど大きかった花束も、こうして部屋に飾られると不思議と美しく見えてしまう。
鮮やかな赤。上品な香り。
一輪一輪が完璧な形を保ち、まるで芸術品のようだった。
「……美しい」
思わず漏れた言葉に、自分で自分が嫌になる。
花を見るたび、思い出してしまう。
あの男の、美しい顔を。
そして――
唇に残る、あの感触を。
「っ…………」
私は慌てて両手で頬を押さえた。
忘れなければ。
あんなことは事故だったのだ。
事故なのだから、いつまでも意識する必要などない。
……なのに。
目を閉じるたびに、耳元へ落とされた甘い声が蘇る。
「ううう…………」
机へ突っ伏して唸る。
向こうも、こうなることを分かっていて花束を贈ってきたのだろうか。
自分を忘れさせないために。
そう考えると、恐ろしすぎる。
コンコン。
その時、部屋の扉がノックされた。
「ベルフルール様」
「何ですの?」
「王宮から、贈り物が届いております」
「またですの!?」
私は勢いよく顔を上げた。
まさか、またグリシーヌ王子から……!?
「王太后様からです」
「え、先生から!?」
私は慌てて立ち上がり、扉を開けた。
メイドから丁寧に箱を受け取ると、すぐさま机へ戻って蓋を開く。
中には、一輪の白薔薇と手紙が入っていた。
私は自然と表情を緩めながら、それらをそっと取り出す。
百一本の薔薇よりも。
たった一輪の方が、ずっと心が落ち着いた。
❀
ベルフルール様、お元気ですか。
あなたとのお約束通り、明日の朝、お茶会を開く予定です。
もちろん、マーガレット様もご一緒です。
是非いらしてください。
以前お渡しした本も持ってきてくださいね。
お茶の正しい淹れ方をお教えいたしますので。
それでは、あなたと会えるのを楽しみにしています。
あなたの先生より。
❀
読み終えると、私は手紙と白薔薇を胸へ抱きしめた。
「そうですわ……」
花というものは、一輪こそ上品で特別なのだ。
たくさんあれば良いというものではない。
さすがは先生。
とても洗練されている。
「ああ、先生……早くお会いしたいですわ」
胸の高鳴りを抑えながら、私は本を鞄へ入れた。
そしてその夜は、いつもより少しだけ早く眠りについた。
翌朝。
「先生!」
「まあ、ベルフルール様!」
約束の時間よりかなり早く到着した私は、庭園でお茶会の準備をしていた先生へ駆け寄った。
白いテーブルには、既に美しいティーセットとお菓子が並べられている。
「まったく。あなたたちは来るのが早すぎますわ。まだ準備も終わっておりませんのに」
「あなたたち、ということは……」
「遅かったですね、ベルフルール様?」
先生の後ろから顔を出したのは、マーガレットだった。
彼女も私と同じく、かなり早く来ていたらしい。
「マーガレット!」
「まあ、いつ私が呼び捨てを許可したのかしら?」
相変わらずの態度に、思わず苦笑する。
「別に良いではありませんの。身分的には問題ありませんわ」
本来なら、私の方が立場は上なのだ。
ただマーガレットの態度が堂々としすぎていて、何故か毎回こちらが押されるだけで。
「さあ、二人とも。準備ができましたよ。座ってくださいまし」
私たちは白いテーブルへ案内された。
すると、マーガレットの目が急に輝く。
「美味しそうなお菓子ですわ!」
その瞬間。
マーガレットの瞳は、宝石よりも眩しく輝いていた。
……もしかして彼女、本当は先生よりお菓子目当てなのでは?
「はい! 遠慮なく頂きます!」
そう言った次の瞬間。
マーガレットは信じられない速度でお菓子を食べ始めた。
一口。二口。三口…………
あっという間に皿が空になる。
「あらまあ……」
先生が少し引いている。
「マーガレット、流石に健康に悪いのでは…………」
「たまには良いのです!」
マーガレットは二皿目へ手を伸ばした。
「今まで健康に気を遣って、ずっと我慢してきました。でも第一王子に振られてからは、もう我慢しません!」
その言葉に、私と先生は顔を見合わせる。
彼女の事情を知っている以上、止めることなど出来なかった。
「ふふふっ。ではベルフルール様、マーガレット様のためにも、健康についてのお話をいたしましょうか」
「それが良いと思います」
「では、お茶の淹れ方の前に、本を開いてくださいまし」
「はい!」
私たちは鞄から本を取り出し、指定されたページを開いた。
「ではベルフルール様、五行目を読んでくださいまし」
「はい」
健康についての本なのだから、当然真面目な内容だろう。
私は何の疑いもなく、書かれている文章を読み上げた。
「そう言うと、王子は私の頬に手を添えて――」
……ん?
「優しく口づけをした。その温もりは、まるで熱い蜜のように私を蕩けさせ――」
え……………………?
教室が静まり返る。
私はゆっくりと本へ視線を落とした。
明らかにおかしい。
健康の本に書かれている内容ではない。
先生も、マーガレットも、じっとこちらを見ている。
「ベルフルール様……その本は一体…………?」
嫌な汗が背中を伝う。
私は恐る恐る、表紙を確認した。
『デブ王子はキスだけ上手い♡』
「……………………」
「……………………」
「……………………」
空気が死んだ。
「ベルフルール様!! 何ですのその本は!!」
「えっ、ちょっと待ってください!? なんて本を読んでいるのですか!?」
マーガレットは口いっぱいにお菓子を詰め込んだまま、目だけは完全に本へ釘付けになっていた。
「ち、違いますの! これは違いますのよ!!」
慌ててページを閉じたが、もう何もかも手遅れだった。
必死に弁解したものの───
私が二人を納得させられたのは、夕方になる頃だった。
……なお、その日の私は。
「口づけ」という単語を聞くだけで、悲鳴を上げるようになっていた。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!




