第十話 地獄の先の地獄
ついに第十話まで書くことが出来ました!皆様のおかげです!ありがとうございます!
「まったく……あの二人のせいで、どんな顔をして王子に会えばいいのか分からなくなってしまったではありませんの!」
私は朝からぶつぶつと文句を言いながら、王宮の廊下を歩いていた。
花嫁修業を始めてから、もう何日経っただろう。
ここ最近は王子と顔を合わせる機会がなかったから良かったものの、いつかまた会うことになるのは避けられない。
その時、こちらだけ妙に意識していたら不自然ではないか。
……いえ、そもそも“キスがどうこう”など考えなければよかったのですわ!
「ベルフルール嬢。ダンスはなかなか上達したザマスね」
教師の言葉に、私はハッと現実へ戻った。
厳しい特訓の成果か、数週間も経つ頃にはダンスもかなり形になってきていた。
最初は右と左すら怪しかった私だが、今では軽やかにステップを踏めるまでになっている。
――ついに。
ついにこの地獄の修業から解放されるのですわ!
「これなら明日からの社交教育にも、なんとかついていけそうザマスね」
「……え?」
私の笑顔が固まった。
「ご存じなかったザマス?」
「え、ダンスが終われば花嫁修業も終わりなのでは……?」
教師は呆れたようにため息を吐いた。
「そんな訳ないザマス! 王子の妃となるお方には、ダンスだけでなく、姿勢、歩き方、食事作法、会話術、振る舞い……その他何十もの礼儀作法を完璧に身につけていただかねばならないザマス!」
「そ、そんな…………」
「明日からは他の妃候補の皆様と合同で、社交教育を受けていただくザマス」
「本来ならベルフルール嬢も最初からそちらへ参加する予定でしたが、公爵様のご判断で、“ダンスの基礎すらない状態では危険”とのことで、特別に個別指導が組まれていたザマス」
「つまり今までのは……」
「スタート地点に立つための準備ザマスね」
「まさか、ここからが本番でしたの……!?」
「自業自得ザマス。今までサボってきたツケザマスよ」
ううっ……反論できませんわ……!
◇◇◇
翌日。
私は社交教育用の大広間へやって来ていた。
中には既に多くの令嬢たちが集まっている。
華やかなドレス、香水の香り、そして――嫌味ったらしい視線。
「あの方でしょう? ミュゲ王子の婚約者」
「ベルフルール嬢ね。よくあんな王子と婚約したわよね」
「どうせ“王子の妻”という肩書きが欲しかったのでしょう?」
……これだから貴族のご令嬢は苦手ですの。
直接は言わず、聞こえるように陰口だけを叩く。
ですが、私はそう簡単には傷つきませんわ!
何故なら私は、神に祝福されこの世へ舞い降りたマルグリット・ド・ベルフルールなのですから!
……まあ、完全に自称ですけれど。
「ベルフルール様」
突然声を掛けられ、私は肩を跳ねさせた。
振り返ると、一人の令嬢が腕を組んで立っている。
いかにも気が強そうな顔立ちだった。
「私はオルタンシアン侯爵家の娘、マーガレットと申します。一度、あなたとお話してみたいと思っていましたの」
……なんと馴れ馴れしい。
侯爵家ということは、公爵家の私より格下。
本来なら、もっと慎ましく話しかけるべきではなくて?
「私と? 何故ですの?」
まあ、今回は大目に見て差し上げましょう。
顔だけで判断するのは良くありませんし。
「決まっていますわ。あのミュゲ王子と婚約したからです」
マーガレットは口元を歪めた。
「ベルフルール様ともあろう方が、随分と変わった趣味をお持ちなのですね」
……は?
いきなり悪口ですの!?
しかもこんな堂々と!?
「それとも、“王子の妻”という立場が欲しかったのかしら?」
レースの扇子で口元を隠しながら、目を細める。
「第一王子や第二王子は人気がありますから競争率も高いですけれど、第三王子なら簡単ですものね?」
クスクス、と周囲の令嬢たちが笑う。
カチ――ン。
頭の中で、何かが切れた音がした。
この女……!
「実は私、既に第一王子からお声が掛かっておりますの」
マーガレットは得意げに胸を張る。
「人気者の麗しい王子が、将来の旦那様だなんて。とても光栄ですわ」
「……そうですわね」
私はにこやかに微笑んだ。
「確かにミュゲ王子は、あまり人気がないかもしれません」
「でしょう?」
「見た目も決して華やかとは言えませんし」
「そうそう。性格もどうなのかしらね?」
「ええ、ですが――」
私は笑顔を崩さないまま、優しく言った。
「少なくとも、あなたほど“顔も性格も”悪くありませんわよ」
「…………っ!?」
マーガレットの顔が引きつった。
「あら、誤解しないでくださいまし?」
私は彼女と同じように口元を隠しながら微笑む。
「悪口ではありませんわ。ただ――本当のことを申し上げただけですもの」
その瞬間、周囲から吹き出す声が漏れた。
「くっ……!」
マーガレットは拳を強く握り締める。
……私を侮るからそうなりますのよ。
その時だった。
大広間の扉が一斉に開き、数人の婦人たちが静かに入室してきた。
空気が変わる。
令嬢たちは一瞬で口を閉ざした。
その中央へ、一人の高齢の婦人が進み出る。
白銀の髪を綺麗にまとめ、背筋は真っ直ぐ。
無駄のない動きには、圧倒的な気品があった。
彼女は優雅に一礼する。
「はじめてお目にかかります。ガルデニア・アドニスと申します」
静かに顔を上げると、真っ直ぐな眼差しが私たちを捉える。
「本日より、皆様の教育係長を務めさせていただきます」
――美しい。
まさに“理想の貴婦人”そのものだった。
「私どもが責任を持って皆様を教育し、王子の妃に相応しいご令嬢へ導いてまいります」
ガルデニアが軽く手を叩く。
すると、分厚い本を抱えた使用人たちが次々と部屋へ入ってきた。
ん?嫌な予感しかしませんわね……?
「明日までに、この本を全て読破し、内容を暗記してください」
……え?
いや待ってくださいまし。
この本、鈍器ですわよ!?
これで殴れば人を気絶させられますわよ確実に!
「明日、私から質問を致します。正確に答えられるよう準備しておくこと」
その時、一人の令嬢が、おそるおそる手を挙げた。
「あ、あの……もし答えられなかった場合は……?」
「良い質問ですね」
ガルデニアはにこりと笑った。
――その笑みに、温度は一切なかった。
「一問でも間違えれば、その場でお帰りいただきます」
「「ええっ!?」」
広間が騒然となる。
「当然でしょう。本一冊すら覚えられない方に、どうやって王子と共に国を支えていただくのです?」
「そのような方は、妃候補として相応しくありません」
「で、ですが……ベルフルール様は既に婚約がお決まりでは……?」
何故急に私の名前が出るのです!?
ガルデニアの冷たい視線が、こちらへ向いた。
「もちろん、ベルフルール嬢も例外ではありません」
「一問でも間違えれば、私から陛下へ進言し、婚約を破棄していただきます」
な、なんですってええええ!?
あなた、一体何者ですの!?
教育係長ってそんな権限までありますの!?
「本日は以上です。各自、本を一冊持ってお帰りください」
「なお、これまでにも多くのご令嬢が、この教育についていけず脱落なさいました」
「皆様が最後まで残れることを、心より願っております」
そう言ってガルデニアは再び一礼し、音もなく部屋を去っていった。
静まり返る室内。
私たちは、ただ分厚い本を抱えたまま立ち尽くしていた。
――本当の地獄は、今日から始まる。
……ですが。
受けて立ちましょう、ガルデニア先生。
このマルグリット・ド・ベルフルール。
ここで逃げるつもりは、一切ございませんわ。
本の一冊や二冊、完璧に暗記してみせます。
……多分ですけれど。
これからもベルとミュゲ王子たちを暖かく見守ってあげて下さい!




