第7節「スキルの自覚」
全員の目が俺に向いている。
「昨日の夕食の時なんだけど——」
記憶を辿る。あれは確かに、おかしな体験だった。
「フローさんの侍女が、茶を淹れてたんだ」
あの侍女は見事だった。急須の持ち方。湯の注ぎ方。茶碗を回す角度。一つ一つの動きに無駄がなくて、流れるように繋がっていた。見てるだけで気持ちいいくらいだった。
「俺はぼんやり見てただけだ。すごいなーって、それだけ」
「それで?」エリカが先を促す。
「今朝。自分で茶を淹れようとしたら——体が勝手に動いた」
三人の表情が変わった。
「勝手に?」ゼファーさんが眉を上げる。
「ああ。急須を持った瞬間、手が覚えてた。角度も、湯の量も、注ぐ速度も。全部。侍女と同じ動きを、そのまま再現してた」
エリカが目を見開く。
「自分でもびっくりした。何これって。淹れ終わってから手を見て——震えたよ。だって練習なんてしてないんだぜ?」
エリカの目が光った。あの顔だ。答えに辿り着いた時の、確信に満ちた目。
「それよ」
エリカが指を立てた。
「それが、あなたのスキル」
「え?」
「学習能力。見たものを模倣できる力」
——学習能力? 見たものを、模倣?
「なんでもできるわけじゃないと思う。でも誰かができてマネできることはそれを習得できるんだと思う」
『マジか\...\...』
見ただけで体が覚える。それが——俺のスキル。
無限の体力だけじゃなかった。もう一つ、力がある。ずっと持っていたのに、気づかなかった。
胸の奥で何かが弾けた。嬉しいとも違う。もどかしい。なんで今まで気づかなかったんだ。
「じゃあ\...\...」
頭の中で、一つの可能性が浮かんだ。
「ゼファーさんの韋駄天を見れば、俺も走れるようになる?」
ゼファーさんが俺を見た。数秒。考えている顔。
「\...\...試してみる価値はある」
エリカが身を乗り出した。
「もし成功すれば、カイトもゼファーさんと一緒にサルーラ村に行ける」
「二人で行った方が安全だ」
ゼファーさんが頷く。声に確かな手応えがある。
「道中、何があるか分からん」
——行ける。俺も行ける。
拳を握った。胸の奥が熱くなる。さっきまでの手詰まり感が嘘みたいだ。ゼファーさんを一人で行かせなくて済む。
「よし、やってみる!」
「待て」
ゼファーさんが手を上げた。
「ただし、学習能力で完全に再現できるとは限らない。私が韋駄天に気づいた経緯を話そう」
ゼファーさんの目が遠くなった。
「この世界に転移して数日後のことだ。草原を歩いていた時、突然、風が体を包み込むような感覚があった」
風が——包む。
ゼファーさんの目が、遠い記憶を映している。
「足が軽くなった。まるで風に押されているように。気づいたら——遥か遠くまで来ていた。足が勝手に動いていた」
「\...\...怖くなかったんですか?」
「怖かった」
ゼファーさんが淡く笑った。珍しい。
「止まり方が分からなくて、岩に突っ込んだ」
『それは怖い』
フローシャンテリアが小さく笑った。
「最初は戸惑われたのですね」
「ああ。何が起きたのか全く分からなかった。何度も試して、転んで、ようやく『風を纏って走る力』だと理解した。最初から使いこなせたわけじゃない」
ゼファーさんが拳を開いて閉じた。あの日の感覚を確かめるように。
「風を感じろ。風に身を委ねろ。それが韋駄天の核だ」
エリカが口を開いた。まとめに入る顔だ。
「つまり、スキルは最初は無自覚なのよ。体験して初めて発動する。理解して、やっと使いこなせるようになる」
俺を見る。
「カイト、あなたは今日『理解』した。学習能力というスキルの存在を。ここからは意識的に使える」
「意識的に?」
「そう。今まではたまたま見たものを無意識に学んでいただけ。これからは——狙って学べる」
エリカが人差し指を立てた。
「ただし。完全な再現は難しいかもしれない。ゼファーさんの韋駄天は長年の鍛錬があるもの。一度見ただけで同じ速度は出ないと思って」
「ついていければ十分だ」
ゼファーさんが言い切った。
——狙って。
つまり、ゼファーさんの韋駄天を「狙って」見れば——再現できる可能性がある。
俺は立ち上がった。
「分かりました。やります。明日、ゼファーさんの韋駄天を見せてください」
ゼファーさんが頷いた。
「いいだろう。出発前に中庭で見せる」
エリカが全員を見回す。
「決まりね」
声が明るい。さっきまでの重い空気が、完全に消えている。
「カイトとゼファーさんがサルーラ村に向かう。私とフローシャンテリア様は王宮に残って、ゼルとの交渉に使える情報を調べます」
フローシャンテリアが背筋を伸ばした。
「私も図書館で狡猾について調べます。古い文献に何か残っているかもしれません」
目に力が戻っている。さっきまでの自責の色は消えていた。自分にできることが見つかった——その安堵が伝わってくる。
——それぞれの役割。全員が動く。
エリカが俺の目を見た。真っ直ぐな視線。逸らさない目。
「信じてるわ」
声が静かだった。
「私にも戦い方がある。知識で、情報で、この戦いに貢献する」
『\...\...こいつ、こういうこと言う時だけ格好いいんだよな』
めがねの奥の目が、揺るがない。こういう時のエリカには、敵わない。
照れ隠しに視線を逸らした。
「分かった。任せた」
短く答えた。それで十分だった。




