第5節「エリカの違和感」
会議室に移った。
重い扉を閉めると、廊下の喧騒が遠くなる。石壁に囲まれた部屋は薄暗い。天井が高い。窓から差し込む光が、長テーブルの上で白く揺れていた。
四人が席についた。
誰も口を開かない。
さっきの男の顔が、まだ頭にこびりついている。あの目。あの薄笑い。衛兵を殺した時の、何も感じていないような顔。
——あいつらは本気だ。
手紙の文面が脳裏を過る。
『杖を返してほしければ、10日後、異世界から来た娘を一人で寄越せ』
冗談じゃない。エリカを渡すなんて、絶対にありえない。
だけど——どうする?
拳を握りしめた。答えが出ない。
フローシャンテリアが口を開いた。
「\...\...杖を取り戻す方法を考えなければ」
声が小さい。いつもの穏やかさとは違う。どこか震えている。
「でも、エリカさんを危険にさらすわけには\...\...」
フローの視線がエリカに向いた。真っ直ぐな目。そこにあったのは——心配だった。杖のことじゃない。エリカのことを、本気で心配している。
俺でもそれは分かった。
だけど——エリカの反応が、少し変だった。
エリカはフローをじっと見つめていた。瞬きもしない。目を細めて、まるで何かを読み取ろうとするように。
数秒。
エリカの表情がゆっくり変わっていく。最初は驚き。次に戸惑い。そして——柔らかくなった。見たことのない顔だ。
「フロー様」
エリカが言った。声が優しい。
「ありがとうございます」
フローが目を丸くした。
「え\...\...? 私、何も\...\...」
「私のことを心配してくださっているんですよね」
エリカが微笑んだ。
「なんとなく、分かりました」
『なんとなく?』
俺は首を傾げた。なんとなくって何だ。
フローも困惑している。目が見開かれたまま、言葉を探すように口を動かした。
「\...\...どうして、分かったのですか」
「それは\...\...」
エリカが口ごもる。自分でも分かっていないらしい。眉を寄せて、自分の手を見つめた。
「分からないんです。でも——見えたんです。フロー様の言葉の裏に、すごく温かいものがあるのが」
『見えた?』
言葉の裏が見えるって、どういうことだ。
フローは黙っていた。驚いた顔のまま、エリカを見つめ返している。
沈黙が落ちた。
二人の間に、何か不思議な空気が流れている。俺にもゼファーさんにも入れない、女同士の——いや、違う。もっと深い何かだ。
エリカの目が、少し揺れた。
『\...\...私、どうなってるんだろう』
——小さな呟きが聞こえた気がした。聞こえたのか。それとも、表情で読み取ったのか。分からない。でも、エリカが戸惑っているのは確かだった。
こういう空気は苦手だ。
沈黙が重い。
『\...\...よし』
「おーい」
俺は手を挙げた。
「二人とも大丈夫か? 急にしんみりして」
エリカの目がこっちを向いた。さっきまでの柔らかさが消えて、いつもの鋭い目に戻っている。
「空気読んで」
「読めねーよ、そんな高度な空気」
「高度って何よ。普通でしょ」
「普通じゃねえよ。急にありがとうとか言い出して、どうして分かったのとか——俺ついていけてないんだけど」
ゼファーさんが溜息をついた。
「お前は黙っていろ」
「ゼファーさんまで!?」
フローが口元を押さえた。肩が震えている。
——笑ってる。
エリカも、怒った顔のまま口角が上がっていた。ゼファーさんだけが、本気で呆れた顔をしている。
重い空気が、少しだけ緩んだ。さっきまでのどんよりした沈黙が薄まっている。
俺がやったことは空気を壊しただけだ。でも——こういう時は、壊した方がいい。重い空気のまま考えても、ろくな答えは出ない。
ゼファーさんが腕を組み直した。
「\...\...さて。考えるべきことは山ほどある」
全員の顔が引き締まる。
「あの使者——狡猾と名乗ったな。あれの実力は、我々の想定を超えている」
俺は頷いた。あの男、衛兵を片手で持ち上げていた。しかも、殺すことに躊躇がなかった。今まで戦ってきた相手とは、格が違う。
「妖精たちが恐れていたのも、あれの仕業か」
ゼファーさんの声が低い。
エリカが顎に手を当てた。分析モードに入っている。
「狡猾——ゼルの配下。少なくとも、あの使者一人で衛兵を全滅させる力がある。ゼル本人は、さらに上と考えるべきね」
「10日、か」
フローシャンテリアが呟いた。
さっきの柔らかい空気は消えている。四人の顔に、同じ決意が浮かんでいた。
——エリカは渡さない。杖も取り戻す。
どうやって。
まだ答えは出ない。でも、このメンバーなら何か見つかる。
ちらりとエリカを見た。さっきの「見えた」という言葉が引っかかっている。
あいつ、最近ちょっと変だ。
でも——今はそれどころじゃない。




