第1節「調査開始」
宝物庫の扉が開いた。
冷たい空気が頬を撫でる。地下に続く石造りの部屋は薄暗く、松明の炎が壁を揺らしていた。
俺たちは中に足を踏み入れた。
カイト、エリカ、ゼファーさん、そしてフローシャンテリア。四人で宝物庫の調査を行う。昨日盗まれた覚醒具——「人々を癒す杖」の手がかりを探すためだ。
宝物庫には様々な品が並んでいる。古い書物、水晶の器、銀細工の装飾品。精霊界に伝わる宝の数々だ。
だが——何かがおかしい。
宙を漂う小さな光。妖精たちだ。普段は陽気に飛び回っているはずの彼らが、棚の隅や天井の梁にしがみついている。光が弱い。震えている。
『なんだ、あいつら\...\...』
妖精は精霊の下位に位置する存在で、精霊族と共に暮らしている。精霊界では、どこにでもいる。花の上、噴水のそば、窓辺。いつも楽しそうにきらきら飛んでいた。
それが——こんなに怯えている。
フローが足を止めた。
「妖精たちが\...\...こんなに怯えている\...\...」
その声は小さかった。だが確かに震えていた。
フローは膝を折り、棚の隅にしがみつく妖精たちに手を差し伸べた。指先に淡い光が灯る。
「大丈夫よ。ここにいるから」
一匹の妖精が、おずおずとフローの掌に降り立った。掌に収まるほど小さな体が、がたがたと震えている。
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
俺は近づいて、膝をついた。妖精の顔が見える。泣きそうな目をしていた。
妖精が口を開いた。かすれた声。
「悪しき\...\...悪しき気配が\...\...ここに、いた\...\...」
——悪しき気配。
「悪しき気配、って——」
フローが俺たちに振り返る。その顔は青ざめていた。
「妖精たちは、この宝物庫に何か恐ろしいものがいたと言っています」
恐ろしいもの。杖を盗んだ奴か。
「彼らがこれほど怯えるなんて\...\...一体、何者が\...\...」
フローの声が途切れた。答えは誰にもわからない。
ゼファーさんが壁に近づいた。
「カイト。こちらを見ろ」
壁に何かが刻まれていた。
三本の爪痕。深く、鋭く、石壁をえぐっている。人間の爪ではない。獣でもない。何か——もっと異質なもの。
爪痕の周囲に、黒い靄のようなものが漂っていた。触れてはいけない。本能がそう告げる。
「見たことのない紋様だ」
ゼファーさんが腕を組んだ。
「精霊界のものではないな」
エリカも近づいて、目を細めた。
「私も見たことがない。『アマルの世界』にも、こんな紋様の記述はなかったはず」
フローシャンテリアも首を横に振った。
「私も\...\...見たことがありません」
四人とも、手詰まりだった。
爪痕を見る。黒い靄を見る。何もわからない。妖精たちは怯えている。杖は消えた。犯人の手がかりはこの爪痕だけ。
沈黙が流れた。
松明の炎が、ぱちり、と弾けた。
エリカが溜息をついた。
「\...\...仕方ないわね」
鞄に手を突っ込む。取り出したのは——ピンクのめがね。子供用の、やたらキラキラした、あのめがねだ。
出た。
「後ろを向いて、耳をふさいで」
出たよ、このセリフ。
「\...\...いい加減慣れろよ、そのセリフ」
「慣れるわけないでしょ! 恥ずかしいんだから!」
「毎回やってんだから、もう俺たち見慣れてるって」
「見慣れてても恥ずかしいの! いいから後ろ向いて!」
ゼファーさんが苦笑しながら後ろを向いた。フローも、小さく微笑んで背を向ける。
「\...\...ゼファーさんまで素直に従ってんの、なんか面白いな」
「カイト! あんたも早く後ろ向きなさい!」
「はいはい」
俺も後ろを向いた。耳をふさぐ。
——が、聞こえる。
小さな声。
「\...\...おりこうさんになあれ」
『聞こえてんだよなあ、毎回』
背中越しに、淡い光を感じた。めがねが起動した合図だ。
しばらく待つ。
「\...\...もういいわよ」
振り返ると、エリカがめがねをかけたまま壁の爪痕を睨んでいた。いつもなら、めがねをかけた瞬間に情報が流れ込んでくるはずだ。
だが——エリカの顔が険しい。
「\...\...読めない」
「読めない?」
「印を読み取ろうとしても、黒い靄がかかったように見えない。何かで——遮断されている」
エリカがめがねを外した。その手が、微かに震えていた。
「今まで、めがねで読めなかったものはなかった」
エリカの声が低い。
「本も、魔道具も、建物の歴史も。全部読めた。放牧民の国でも、精霊界に来てからも——一度も」
めがねを握る指に力が入った。
「それが——読めない。黒い魔力が、壁みたいに立ちはだかってる」
エリカが俺を見た。その目には、珍しく焦りがあった。
「カイト。これは、今までとレベルが違う」
沈黙が落ちた。
妖精たちの震え。壁の爪痕。黒い靄。そして——めがねでも読めない何か。
『こいつは\...\...想像以上にやばいかもしれない』
俺は爪痕を見つめた。三本の溝が、松明の明かりに黒く光っている。
犯人は、俺たちが知らない何かだ。
精霊界の住人でもない。エリカの知識にもない。フローすら見たことがない存在。
宝物庫の空気が、じわりと冷たくなった気がした。




