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第8節「賢者ソルジュの伝承」


 セレナ女王の私室に戻った。


 神殿のひんやりした空気から、光の結晶の温かさに包まれる。体が少しほぐれた。でも頭の中は全然ほぐれていない。アマルの紋章。ソルジュ。杖。全部が頭の中でぐるぐる回っている。


 椅子に座ると、女王が茶を用意させた。琥珀色の液体だ。花の香りがする。一口飲んだ。甘くて、ほんの少し苦い。疲れた体に染みる味だった。


 「さて」


 女王が口を開いた。


 「ソルジュについて、もう少し話をしようかの」


 エリカが身を乗り出した。案の定だ。


 「ソルジュに関連するものは、他にありますか。文献とか、記録とか」


 「それがの」


 女王は首を横に振った。


 「ソルジュ殿が記述されている歴史書はないんじゃ。あまりにも古い時代での、記録が残っておらん」


 五以上前。紙も魔法の保存技術も今ほど発達していなかった時代。記録が残っていないのは仕方ない。


 「では、なぜソルジュという名前が残っているんですか」


 エリカの質問は鋭い。記録がないのに名前だけ残っている。確かにおかしい。


 女王は少し微笑んだ。懐かしそうな顔だ。


 「実はの、おとぎ話に出てくるんじゃ」


 『おとぎ話?』


 「この国の子供なら誰でも知っておる物語じゃよ」


 フローシャンテリアが「あっ」と声を上げた。


 「もしかして\...\...『光の賢者さま』ですか」


 「そうじゃ」


 フローシャンテリアの表情が一気に明るくなった。懐かしいものを見つけた子供の顔だ。


 「寝る前に祖母がよく聞かせてくれました。大好きなお話でした」


 「お前の祖母は語り上手じゃったからの」


 女王の目が遠くなった。一瞬だけ。すぐに俺たちに向き直る。


 「フロー。お前が語ってみなさい」


 「私が、ですか?」


 「お前のほうが上手に語れるじゃろう。妾は結末だけ引き受ける」


 フローシャンテリアは少し照れたように微笑んだ。それから姿勢を正し、語り始めた。


 「昔々——世界が混乱していた時代のことです」


 声の質が変わった。語り部の声だ。柔らかいのに、芯がある。


 「人々は傷つき、苦しんでいました。争いが絶えず、大地は荒れ、誰もが明日を恐れて暮らしていたのです」


 下位精霊たちが集まってきた。フローシャンテリアの周りにふわふわと漂う。光の玉が増えていく。まるで物語を聞きに来たみたいだった。


 「そこに一人の賢者が現れました。名前はソルジュ」


 さっき石櫃で見た名前だ。千年前の石板に刻まれた名前が、おとぎ話の主人公でもあった。


 「賢者は傷ついた人々を一人一人訪ねて回りました」


 フローシャンテリアの瞳が光っている。本当に好きなのだろう、この話が。


 「村から村へ。町から町へ。どんなに遠くても、どんなに危ない道でも、賢者は歩き続けました。そして傷ついた人を見つけるたび、こう唱えたのです——」


 フローシャンテリアが一拍置いた。下位精霊たちの動きが止まる。


 「——『すべての命に光あれ』」


 その言葉が、部屋に響いた。


 柔らかい声だった。だが重い。千年前から語り継がれてきた言葉の重みだ。


 「すると不思議なことに、人々の傷は癒え、心も穏やかになったのです。賢者は国中を旅しました。どこへ行っても同じ言葉を唱え、癒しを与えました」


 フローシャンテリアが微笑んだ。物語の中の幸せな場面。


 「やがて、世界は平和を取り戻しました」


 語りが終わった。ここからは女王の番らしい。


 女王が引き継いだ。声のトーンが変わる。低く、厳かに。


 「世界に平和が訪れると、賢者は言ったのじゃ」


 女王は目を閉じた。暗唱する。千年分の記憶を辿るように。


 「『我の役目は終わった。我は朽ちるも、この杖は残り——再び我らの末裔を覚醒させるであろう』」


 心臓が止まりかけた。


 エリカが息を呑んだ。ゼファーの目が鋭くなった。


 三人は顔を見合わせた。


 同じことを考えている。間違いない。


 覚醒の言葉——「すべての命に光あれ」。


 覚醒具——「人々を癒す杖」。


 そしてソルジュの遺言——「再び末裔を覚醒させるであろう」。


 全部繋がった。


 「それって\...\...」


 俺が口を開いた。


 「つまり\...\...」


 エリカが続けた。


 「間違いない\...\...」


 ゼファーが頷いた。


 三人同時に叫んだ。


 「覚醒具だー!」


 声がでかすぎた。下位精霊たちが一斉にびくっと跳ねた。女王が目を丸くしている。フローシャンテリアもぽかんとしていた。


 『\...\...ちょっと叫びすぎたか』


 咳払いをした。落ち着け。王女と女王の前だ。


 「セレナさま、すみません。取り乱しました」


 「いや、構わんよ」


 女王が苦笑した。フローシャンテリアはまだ状況を理解していない顔だ。


 エリカが説明する。いつもの冷静な声に戻っていた。


 「末裔は覚醒具を使って覚醒します。カイトの覚醒具は勾玉。ゼファーさんの覚醒具は風のさかずき。どちらも覚醒の言葉を唱えることで覚醒しました」


 エリカがフローシャンテリアに向き直った。


 「おとぎ話の中にあった『すべての命に光あれ』——おそらくこれが覚醒の言葉です。そして『人々を癒す杖』が覚醒具」


 一拍置いた。


 「フローシャンテリアさん。あなたの覚醒具は——」


 フローシャンテリアの顔が変わった。理解が追いついた瞬間。


 「『人々を癒す杖』\...\...」


 声が掠れていた。


 ——盗まれた。


 自分の覚醒具が。千年前から自分のために残されていた杖が。誰かに持ち去られた。


 フローシャンテリアの顔から血の気が引いた。唇が震えている。下位精霊たちが不安そうに彼女の周りを飛び回った。


 部屋が静まり返った。さっきの「覚醒具だー!」の叫びが嘘みたいだ。


 重い沈黙。


 俺は立ち上がった。


 「取り戻す」


 全員が俺を見た。


 「杖は絶対に取り戻す。フローシャンテリアさんの覚醒具だ。盗んだ奴がどこにいようが、追いかけて取り返す」


 考えるより先に口が動いていた。いつものことだ。でも——後悔はしなかった。


 フローシャンテリアが俺を見つめた。潤んだ瞳。驚きと、ほんの少しの希望。


 「\...\...ありがとうございます」


「あと、私のことはフローとお呼びください」


 小さな声だった。でも、しっかりと聞こえた。


 エリカが腕を組んだ。


 「まずは犯人の手がかりを探しましょう。宝物庫に残された痕跡がある。そこから辿れるはず」


 ゼファーが頷いた。


 「急ごう。時間が経てば足取りが消える」


 女王は黙って俺たちを見ていた。やがて、静かに口を開いた。


 「\...\...お前たちに、この国の宝を託す」


 その一言に、信頼があった。


 窓の外では世界樹が風に揺れている。三つの月がうっすらと空に残っていた。昼の月。精霊界の空は、昼でも月が見える。


 旅の目的が、一つ増えた。


 末裔を探す旅。そして——盗まれた覚醒具を取り戻す旅。


 精霊界の物語は、まだ始まったばかりだった。


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