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第7節「悠久の神殿」


 王宮を出た。


 外の空気が肌に触れる。澄んでいる。人間界の空気とは密度が違う。一呼吸で体の奥まで届くような透明さだ。


 セレナ女王が先頭を歩いている。フローシャンテリアがその半歩後ろに並ぶ。母娘の背中が似ていた。背筋の伸ばし方、歩幅、微かに揺れる銀髪。血は争えない。


 俺たち三人は少し後ろを歩いた。


 王宮の敷地は広い。庭というより森だ。白い石畳の道が木々の間を縫うように続いている。古木が多い。幹が太く、枝が天蓋のように空を覆っていた。木漏れ日が石畳に模様を落とす。風が吹くたびに模様が揺れた。


 エリカが小声で呟いた。


 「この木、樹齢何年くらいかしら」


 「千年とかじゃないか?」


 「もっとかもしれないわ」


 指先でそっと幹に触れていた。学者の目だ。こういう時のエリカは止まらない。


 「見えてきたぞ」


 女王が足を止めた。


 木々の向こうに建物があった。白い石で作られている。王宮とは雰囲気が違う。華やかさがない代わりに、時間の重みがある。壁は苔むし、柱には蔦が絡んでいた。だが朽ちてはいない。千年の風雨を耐え抜いた、静かな強さがあった。


 「ここは賢者、聖人たちが眠る墓じゃ」


 女王の声が低くなった。敬意を込めた声。


 「千年以上の歴史がある」


 入口に立った。石の扉は開いている。中から冷たい空気が流れてきた。地下の匂い。土と石と、かすかに甘い花の残り香。


 中に入る。


 薄暗かった。目が慣れるまで少しかかる。壁に精霊界の古い文字が刻まれていた。読めない。だが一文字一文字に力がある。千年分の祈りが染み込んでいるような——そんな気がした。


 所々に光の結晶が埋め込まれている。王宮のものより淡い。ほとんど消えかけだ。それでも千年間、ずっと灯り続けてきたのだろう。消えかけの光が、逆に歴史の重さを語っていた。


 石の棺が並んでいた。


 大小様々。装飾が施された豪華なもの。何も刻まれていない簡素なもの。名前が彫られた棺。風化して文字が消えかけた棺。数えきれない。何十——いや、百を超えるかもしれない。


 足音を立てるのが申し訳ないくらい静かだった。ゼファーは自然と歩幅を狭め、音を殺している。こういう場所の作法を知っている人だ。


 フローシャンテリアが小声で言った。


 「幼い頃、祖母に連れられて来たことがあります」


 声に懐かしさが混じっていた。


 「怖くて泣いたのを覚えています。祖母に『ここに眠る方々は怖くない。皆、世界を愛した方々じゃ』と言われました」


 女王がちらりと娘を見た。孫と同じ言葉を覚えている娘に何かを感じたのだろう。だが何も言わなかった。ただ、少しだけ目を細めた。


 奥へ進む。棺の間を縫うように歩いた。光の結晶がぽつぽつと道を示している。松明の代わりだ。人間界なら蝋燭を使うところだが、精霊界では千年持つ結晶を使う。文化が違う。


 ふと、エリカが足を止めた。


 「この棺\...\...花が供えてある」


 言われて見ると、一つの棺の前に白い花が置かれていた。まだ新しい。誰かが最近ここを訪れたのだ。千年前に眠った人を、今も想う誰かがいる。


 なんだか胸が熱くなった。


 空気が変わった。奥に行くほど冷たさが増す。壁の文字も古くなっていく。最初は読めそうだった文字が、だんだん見たこともない形に変わっていった。天井が低くなり、通路が狭くなる。圧迫感がある。千年の重みが物理的にのしかかってくるようだった。


 「この辺りは創建当時の区画じゃ」


 女王が振り返らずに言った。


 「五千年以上前。精霊界がまだ若かった頃の方々が眠っておる」


 五千年前。途方もない時間だ。


 「ここじゃ」


 女王が足を止めた。


 他より少し大きな石櫃があった。装飾は控えめだが、石の質が違う。白くて滑らかだ。千年経っても艶を失っていない。周囲の棺が苔むしているのに、この石櫃だけは清潔を保っている。誰かが手入れをしているのだろう。


 側面に文字が刻まれていた。


 「賢者ソルジュ」


 エリカが声に出して読んだ。めがねの効果で精霊界の文字が読める。


 石櫃の上に、小さな石板が置かれていた。手のひらほどの大きさ。薄い灰色。確かに一行だけ、文字が刻まれている。


 「『我は人を癒すものにあらず、人々から愛されし幸せ者なり』」


 エリカが読み上げた。女王が先ほど暗唱した言葉と同じ。千年前の賢者の言葉が、石板に刻まれてここにある。


 だが——俺の目を引いたのは文字じゃなかった。


 石板の四隅。小さな紋章が刻まれている。


 見覚えがある。


 いや、見覚えどころじゃない。毎日見ている。


 俺は首から下げた勾玉を取り出した。手のひらに載せる。石板に近づける。


 心臓がうるさい。静かな神殿の中で、自分の鼓動だけが響いている。


 紋章を見比べた。


 ——同じだ。


 アマルの紋章。勾玉に刻まれているものと、寸分違わぬ紋章が石板の四隅に刻まれていた。線の一本一本、曲がり方、交差の角度。全部同じ。


 「これ\...\...」


 声が震えた。自分でも驚くくらい。


 エリカが石板を覗き込んだ。勾玉と石板を交互に見る。二度、三度。目が見開かれていく。


 「同じ紋章\...\...」


 エリカの声も震えていた。だが次の瞬間、震えは消えた。確信に変わったからだ。


 「ソルジュは末裔に関係がある」


 断言。推測じゃない。データが揃った時のエリカの顔だ。迷いがない。


 ゼファーが腕を組んだ。石板と勾玉を見比べ、深く頷いた。


 「間違いなかろう」


 フローシャンテリアは石板を見つめたまま動かなかった。目が潤んでいる。泣いているのではない。何かが自分の中で繋がり始めている。祖母の言い伝え、足首の痣、そして千年前の賢者。点と点が線になっていく。そういう顔だった。


 女王は一歩引いて、俺たちを見ていた。何も言わない。ただ、かすかに微笑んでいた。千年前の賢者と、目の前の若者たちが繋がった瞬間を、見届けるように。


 神殿の薄暗い空気の中で、勾玉が淡く光った気がした。


 気のせいかもしれない。


 でも——手の中の勾玉が、少しだけ温かかった。


 千年前の賢者ソルジュ。その人が使っていた杖が盗まれた。そしてフローシャンテリアの足首には覚醒前の痣がある。


 繋がっている。全部、繋がっている。


 あとは——この繋がりの先に何があるのか。それを知る必要があった。


 「戻ろう」


 女王が静かに言った。


 「ソルジュの伝承を、改めて話そうではないか」


 神殿を出た。外の光が眩しかった。世界樹が風に揺れている。さっきまでと同じ景色。でも、俺の中では何かが変わっていた。


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