第1節「宝物庫」
光が収まった。
足元が硬い。草原じゃない。石だ。冷たくて、滑らかな石の床。
目を開けた瞬間、息が止まった。
薄暗い空間に、無数の光が浮かんでいる。棚に並ぶ結晶が淡い光を放ち、壁を青白く照らしていた。宝石。金の器。見たこともない形の道具。どこからか、甘い花の香りが漂ってくる。
放牧民の国の草原とは、何もかもが違う。あっちは風と土の匂いだった。ここは——花と、石と、もっと古い何かの匂い。
『——どう見ても普通の場所じゃない』
俺はゆっくりと周囲を見回した。天井は高い。石造りの壁には紋様が刻まれ、奥へ奥へと棚が続いている。結晶の一つが俺の顔を照らした。青い光が揺れる。綺麗だが、なんか怖い。
宝物庫だ。
誰がどう見ても、宝物庫。それもかなり本気のやつ。
どこかの、とんでもない場所の宝物庫に転移してしまったらしい。
「転移の座標は選べんのか」
ゼファーが低く呟いた。弓、千射弓を構え、警戒している。
「だがよりによってこんな場所とは」
完全に同意だった。草原とか、森とか、せめて人のいない場所に出てくれれば良かったのに。宝物庫って。泥棒と間違えられるやつだろ、これ。
「すごい\...\...」
隣でエリカが目を輝かせていた。
棚に並ぶ結晶に、一歩、また一歩と近づいていく。まずい。あの目は知ってる。図書館で珍しい本を見つけた時と同じ目だ。止まらないやつ。
「おい、触るなよ」
エリカの手が伸びる。指先が結晶に吸い寄せられるように。
「絶対触るなよ」
俺の警告が聞こえてるのか聞こえてないのか。たぶん後者。
指先が、結晶に触れた。
——ビィィィィィン!!
鼓膜が破れるかと思った。
耳をつんざく警報音。結晶が一斉に赤く明滅し、宝物庫全体が震えるように光り出す。
「触ったー! お前触ったなー!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
エリカが両手を振り回して謝っている。謝ってる場合じゃない。
足音が聞こえた。複数。しかも速い。
バンッと扉が開いた。
銀色の鎧。長い耳。人間離れした顔立ち。
精霊族——たぶん衛兵だ。剣を抜いている。その数、六人。七人。八人。まだ増えてる。
全員、顔が整いすぎている。モデルの撮影現場に迷い込んだ気分だ。場違いなのはこっちだけど。
あっという間に囲まれた。
剣先が喉元に突きつけられる。刃が結晶の光を反射して、ぎらりと光った。衛兵が何か叫んだ。聞いたことのない言葉。抑揚が独特で、歌みたいに聞こえる。
ただし内容は確実に「動くな」系だ。
「わかんねえって! 言葉通じてねえ!」
俺は両手を上げた。敵意はない。泥棒じゃない。たまたまここに落ちてきただけだ——ジェスチャーで必死に伝えようとしたが、そもそも「たまたま宝物庫に落ちてきた」をどうジェスチャーで表現しろと。
ゼファーが一歩前に出た。
背筋を伸ばし、堂々と胸を張る。クランの長としての威厳。放牧民の国では、これで大抵の相手が黙った。
——しかし言葉は通じない。
ゼファーが重々しく何かを語りかける。たぶん「我々は敵ではない」的なことだろう。声に力がある。態度も立派。だが衛兵たちには意味不明の異国語でしかない。
偉そうな不審者。
それが今のゼファーだった。
『やばい。完全に不法侵入者扱いだ』
言葉が通じないって、こんなに詰むのか。放牧民の国ではエリカのめがねのおかげで最初から会話ができた。あれがどれだけありがたかったか、今になって痛感する。
衛兵の一人が腕を掴みにきた。連行される。これは牢屋コースだ。
「待って!」
エリカが声を上げた。
ポーチからピンクのめがねを取り出す。
あ。
「後ろ向いて。耳もふさいで」
出た。定番のやつだ。
「そんなこと言ってる場合じゃ。。。」
「いいから早くやって!」
俺とゼファーは即座に背を向けた。この流れはもう慣れている。衛兵たちが怪訝な顔をしたが、知ったことじゃない。
エリカが深呼吸する気配。
「——おりこうさんになあれ」
背中越しに、淡い光が瞬いた。
沈黙。
それから数秒。
「おしゃべりしたいの」
「もういいよ」
振り返った。
エリカがピンクのめがねをかけている。ピンク。子供用の。キラキラしたやつ。精霊界でもやっぱりピンク。
「ぷっ\...\...やっぱ似合わねー」
堪えきれなかった。
「——っ!
人がせっかく精霊語を覚えてあげたのに!ていうか一秒で笑わないでくれる!?」
エリカの悲鳴が宝物庫に響き渡る。結晶がびりびり震えた気がする。
衛兵たちの剣先が、わずかに下がった。
殺気が消えていた。代わりに浮かんでいたのは——困惑。こいつら、何やってんだ? という顔。
『\...\...まあ、そうなるよな』
エリカが衛兵に向き直った。精霊語で話し始める。「私たちは異世界から転移してきました。侵入するつもりはなかったんです」
衛兵の反応は冷たかった。
「異世界だと? 馬鹿を言うな」
「言い訳は牢で聞く。三人とも来い」
やっぱりそうなるか。異世界から来ましたって言って「はいそうですか」って信じるほうがおかしい。俺だって逆の立場なら信じない。
衛兵が俺の腕を掴んだ。力が強い。見た目は細いのに。ゼファーにも二人がかりで——
「待ちなさい」
声が響いた。
凛とした、透き通る声。宝物庫の警報音すら掻き消すような——いや、違う。声に合わせて、警報が止んだのだ。
衛兵たちの動きが止まる。全員が振り返り、道を開けた。
奥の通路から、一人の女性が歩いてきた。
銀色の長い髪。淡い緑色の瞳。白いドレス。年は俺と同じくらいか、少し上か。その周囲を、小さな光の玉が漂っている。三つ。五つ。いや、もっと。光の玉が彼女を取り巻くように浮かんでいた。ホタルみたいだ。でも、もっと温かい光。
足音がしない。石の床を歩いているはずなのに、まるで浮いているかのように静かだった。
衛兵たちが一斉に頭を下げる。
「王女殿下——」
王女。
空気が一瞬で変わった。張り詰めていた殺気が、彼女の存在だけで溶けていく。
その視線が俺たちを捉えた。穏やかで、けれどどこか鋭い。見透かすような目だった。
「この者たちの話を聞きましょう」
静かに、しかし有無を言わさぬ口調で——そう言った。




