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使徒がドジすぎて、巻き込まれた高校生が、破壊神と交渉してきます  作者: 松本正樹
第9章「風の歌を奏でん」
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第8節「旅立ち」


 夕方。草原が赤く染まっていた。


 二つの太陽が傾いている。大きい方が地平線に触れかけていて、小さい方はまだ空の真ん中。赤と橙のグラデーションが草原を塗り替えている。


 この世界で一番好きな時間帯だった。


 野営地の外れに、クランの全員が集まっていた。昨日の養子縁組と同じ場所。だが今日は白い円も正装もない。ただ------見送りのために。


 俺とエリカとゼファーが、皆の前に立っていた。


 ゼファーの手には静寂の弓。古びた木の弓。弦のない弓。


 タクファーが一歩前に出た。父と向き合う。


「父上。気をつけて」


 短い言葉だった。だが声が震えている。昨日の養子縁組の時より、ずっと。


ゼファーが頷いた。


「クランを頼む」


「はい」


 タクファーが右手を胸に当てた。草原の民の礼。ゼファーも同じ礼を返した。長から長へ。父から息子へ。


ソクタンがエリカの手を握った。


「体に気をつけてね。ちゃんと食べるのよ」


「ソクタンさん......ありがとう、本当に」


「またおいで。今度はゆっくりお茶しましょう」


 エリカが頷いた。唇を噛んでいる。泣くまい、と堪えている顔。


 ------そして。


 タクシマルが駆けてきた。


全速力。短い足をばたばたと動かして。顔がもうくしゃくしゃだ。


「カイト兄ちゃん! エリカねーちゃん!」


 俺は膝をついた。タクシマルと目線を合わせる。


「また会える?」


 小さな声だった。鼻が赤い。目に涙が溜まっている。


 三歳の子供に嘘はつけない。


「ああ、約束だ」


 嘘じゃない。絶対に戻ってくる。この草原に。


タクシマルの顔がぐしゃっと歪んだ。泣くのか------と思ったら、ぐっと唇を引き結んだ。


「嘘ついたら------千本の矢だからね!」


 ------千本の矢。


 三歳児の精一杯の脅し。百でも十でもなく、千。大きい数字を使えば怖いと思ったのだろう。


笑った。笑いながら、目頭が熱くなった。


「分かってるって」


 タクシマルの頭を撫でた。柔らかい髪。草の匂い。


「お前も強くなれよ。次に会う時は------俺より背が高くなってるかもな」


「なるよ! 絶対なる!」


 タクシマルが泣き笑いの顔で頷いた。涙がぽろぽろ落ちているのに、笑っている。子供は強い。大人よりずっと。


エリカがしゃがんでタクシマルを抱きしめた。


「タクシマル。お姉ちゃん、いっぱい勉強してくるからね」


「べんきょう?」


「うん。いっぱい賢くなって帰ってくるの」


「ぼくもべんきょうする!」


「えらい」


 ソクタンがタクシマルを受け取った。抱き上げる。タクシマルはソクタンの肩から手を振った。まだ泣いている。


 ------さあ。


 ゼファーが前に出た。


静寂の弓を構える。弦のない弓を、射る姿勢で持ち上げた。天に向けて。


夕日が弓を赤く染めた。


「旅人よ風を切り進め」


 ゼファーの声が、草原に響いた。


 ------弓が光った。


 俺は目を見開いた。覚醒の時と同じ光。だが色が違う。銀色だ。冷たく、鋭く、美しい光。


光が弓全体を包んだ。亀裂が消えていく。欠けた先端が蘇る。朽ちた木肌が滑らかに変わる。そして------弦が現れた。光そのもので編まれたような、銀色の弦。


光が収まった。


ゼファーの手の中にあったのは------別物だった。


古びた弓はどこにもない。代わりに、白銀の弓が佇んでいた。美しい曲線。柄には新たな文字が浮かんでいる。光を受けて、文字が呼吸するように明滅していた。


「名前が変わってる......」


 エリカが呟いた。めがねをかけていないのに読めたのか------いや、文字が光っているから肉眼でも見える。


「千射弓」


 千の矢を射る弓。


タクシマルの「千本の矢」が頭をよぎった。偶然だろうか。偶然にしては、出来すぎている。


『あいつの約束を、弓が覚えてるみたいだ------』


 ゼファーが弓を見つめていた。弦に指をかけ、軽く引く。ぴん、と澄んだ音が鳴った。洞窟の中で眠り続けた弓が、千年ぶりに歌った音だ。


その目に、深い感慨があった。


 光が------足元から湧き上がった。


 転移の光だ。俺たちの足元を覆うように、銀色の光が広がっていく。


『始まった------』


 振り返った。最後に見たかった。


タクシマルが手を振っていた。ぶんぶんと。泣きながら。


ソクタンが微笑んでいた。片手でタクシマルを抱き、もう片方の手を振っている。


タクファーが腕を組んで立っていた。泣いてはいない。だがその目が赤い。


クランの仲間たちが手を振っていた。声が聞こえる。「気をつけて」「また来い」「風と共に」------たくさんの声が重なって、もう聞き分けられない。


光が強くなる。景色がぼやけていく。


『この草原のことを------俺は絶対に忘れない』


 半年前、何もわからないままこの世界に来た。言葉も通じなかった。文化も違った。何もかもが初めてだった。


でも------家族ができた。仲間ができた。居場所ができた。


光に包まれる。足が地面を離れた感覚。浮遊感。


 最後に見えたのは------夕日に染まる草原と、手を振る小さな影。


 ありがとう。


 光が、全てを白く塗り替えた。


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