第2節「歴史の部屋」
------大きな空間が広がっていた。
体育館くらいある。いや、それ以上かもしれない。松明の光だけでは全体が見えない。
空気が違った。洞窟の湿った冷気ではなく、乾いた静寂。何百年分の時間が詰まっているような、重たい空気だ。足を踏み入れた瞬間、自分たちの足音が丸い天井に反響して、ぐるりと空間を巡った。
だが、目を引いたのは広さじゃなかった。
壁だ。
壁一面に、びっしりと文字が刻まれていた。上から下まで。右から左まで。隙間なく。古代語、紋様、見たことのない記号------全てがぎっしりと岩を埋め尽くしている。
「うわ......」
声が漏れた。圧倒された。
そして天井を見上げて、息を飲んだ。
穴が開いている。無数の小さな穴。そこから光が差し込んでいた。細い光の筋が何十本も降り注ぎ、暗い空間を貫いている。
まるで------星だ。
天井に星空が広がっているように見えた。
「だから星の遺跡と呼ばれている」
タクファーが静かに言った。その声にも、敬意がこもっていた。
「綺麗......」
エリカが呟いた。光の筋が舞う埃を照らし、金色の粒が漂っている。
エリカはふらふらと壁に近づいた。文字に目を走らせている。
「すごい......紋様だけじゃない。絵もある。これ、狩りの場面? こっちは------祭りかな......」
指が壁をなぞりそうになって、寸前で止まる。触れてはいけないと本能で察したのだろう。
ゼファーが一歩前に出た。
「ここは『創始の部屋』だ」
振り返る。松明の光がゼファーの顔を照らした。いつもの厳しい顔。だが目だけが違う。深い感慨。
「風の草原クランの神話から現代までの歴史が、この壁に記されている」
ゼファーが壁に手を触れた。指先が文字をなぞる。
「驚くべきことに------この部屋は今も歴史を刻み続けている」
「えっ。誰が書いてるんですか?」
エリカが聞いた。
「誰も書いていない。勝手に刻まれるのだ」
------勝手に。
岩に文字が勝手に刻まれる。魔法なのか。それとも、もっと別の何かか。
タクファーが壁の一角を指さした。
「ここが比較的新しい。父上がクランを引き継いだ記録だ」
目を凝らす。確かに、そこだけ彫りが浅かった。周囲の深く風化した文字と明らかに違う。
「じゃあ......ガルダの不正暴露も、もう刻まれてるのか?」
「おそらくな」
タクファーが苦笑した。歴史は容赦なく事実を刻む。都合の悪いことも。
ゼファーが俺たちを見た。
「お前たちの話も、いずれここに刻まれるだろう」
その言葉に、背筋がぞくっとした。怖いんじゃない。なんだろう、この感覚。歴史の一部になるという実感。自分たちがやってきたことが、この壁に残る。
『......責任重大じゃねぇか』
俺は改めて壁を見回した。
文字の量が尋常じゃない。上の方なんか松明の光が届かない。天井近くまでびっしりだ。一文字一文字が小さくて、目を凝らさないと読めない。
というか------読めない。古代語だ。
エリカは壁から壁へ、忙しなく動き回っていた。目がらんらんと輝いている。完全にスイッチが入っている。
「ねえカイト、ここの文字体系、少なくとも三種類あるわ。時代ごとに変遷してる。これだけで論文が十本書ける------」
「落ち着け学者」
『これ全部読むのに何年かかるんだ......』
気が遠くなった。百年あっても足りない気がする。いっそ住み込みでもするか。
その時、隣でエリカがニヤリと笑った。
嫌な予感がした。
「任せて」
エリカがポケットからピンクのめがねを取り出した。フレームが松明の光を反射して、場違いなほどキラキラしている。
「全員、後ろを向いて」
出た。定番のやつだ。
「耳もふさいでね」
「はいはい」
俺は後ろを向いた。タクファーも慣れたもので、すぐに背を向ける。ゼファーだけが一瞬眉をひそめたが、タクファーに肘でつつかれて渋々振り返った。
『親父にそれやるか、タクファー......』
背後で、エリカが深呼吸する音が聞こえた。
すぅ------はぁ------。
溜めが長い。毎回思うが、どんどん溜めが長くなってないか。
耳をふさげと言われたが------正直、もう聞こえてしまっている。
小さな声。だが確実に聞こえた。
あの呪文。
俺は天井の星を見上げて、笑いをこらえた。
『......毎回よく言えるな、あれ』
背後で、かすかに光が生まれた気配がした。
星の遺跡の歴史が------今、エリカの頭に流れ込んでいるはずだ。




