第5節「ガルダの敗北」
翌日。昼。
王都グランドールの評議広間。天幕が張られた広場に、評議員たちが集まっていた。日差しが強い。砂と革の匂いが混じった風が吹き抜ける。
広間の奥に、放牧王カンダールが座っている。白髪を後ろに撫でつけた壮年の男。目が鋭い。その左右に評議員が並ぶ。十人。どの顔にも緊張がある。
------ただ一人を除いて。
ガルダが笑っていた。
椅子にふんぞり返り、太い腕を組んでいる。隣にはボルカ。父親に似た体格の大男だ。二人とも余裕の表情。勝者の顔だった。
『あの面------今日で最後だ』
俺は広間の入口に立っていた。隣にエリカ。後ろにゼファーとタクファー。
エリカが小声で言った。
「予定通りにね」
「ああ」
ゼファーが前に出た。堂々とした足取り。クランの長の威厳が背中に滲んでいる。俺たちもその後に続いた。
ガルダが俺たちを見て、にやりと笑った。
「おお、来たか。観念したようだな」
ゼファーは答えなかった。
広間の中央に立った。評議員たちの視線が集まる。カンダール王が口を開いた。
「双方、揃ったな。血の約定の履行に関する審議を始める」
重い声が広間に響いた。
ガルダが立ち上がった。
「王よ。審議も何も、結果は明白だ。うちのボルカが優勝。風の草原クランの者は最下位。約定に従い、家畜の半数と草原の使用権を頂くぞ」
評議員たちが互いに目配せする。誰もが、この結論を予想していた。
だが------。
ゼファーが口を開いた。
「ガルダよ。約定の履行の前に、確かめたいことがある」
「今更なんだ」
「血の約定では------昨日の競技でうちのクランがお前のクランより順位が高ければよいのだったな」
「そうだ。うちのボルカが優勝者だ。異存はあるまい」
ゼファーはまっすぐガルダを見据えた。
風が止んだ。天幕の布が垂れ下がる。広間の全員がゼファーを見ていた。
そして------言った。
「うちのクランの者は最下位だった。だから我々のクランの勝ちだ」
広間が静まり返った。
一瞬の沈黙。評議員の何人かが眉をひそめた。意味が分からない------という顔だ。
それからガルダが噴き出した。
「はっ------何を言っておる! 最下位で勝ちだと?」
ガルダは腹を抱えて笑った。大げさに。周囲に聞かせるように。
「お前の父同様、お前もとうとう気が狂ったか?」
父------ゼフト。その名を出した瞬間、ゼファーの目が細くなった。だが声は変わらない。鉄のように平坦だ。
「評議会の皆の者」
ガルダは評議員たちに向き直った。
「この勝敗は明白。約定は行使される」
だが------評議員たちは頷かなかった。
ゼファーが何かを仕掛けてくる。それを感じ取っていたのだ。十年以上この評議会に座ってきた者たちには、空気の変化が分かる。
ゼファーの目に、静かな炎があった。
「連れてこい」
一言。
広間の入口が開いた。タクファーが一人の男を引きずってきた。小柄な男だ。青い顔をしている。足がもつれている。
ガルダの笑みが凍った。
目を見開く。明らかに動揺していた。
「ガルダよ」
ゼファーの声は平坦だった。
「この者はお前のクランの者か?」
ガルダは一瞬だけ男を見た。そして視線を逸らした。
「さあな。わしは知らん」
「そうか。ならば構わんな」
ゼファーは評議員に向き直った。
「この者に------正義の泉水を飲ませたい。許しを請う」
広間がざわついた。正義の泉水。飲んだ者は嘘をつけなくなる。放牧民の裁きにおける、最終手段だ。
評議員の一人が銀の器を持ってきた。透明な水が入っている。見た目はただの水。だがこの世界では------これ以上の証拠はない。
男------ジールの前に差し出された。ジールは震えていた。ガルダを見た。助けを求める目。だがガルダは目を合わせない。
ジールは観念したように、泉水を飲んだ。
俺が前に出た。
「------俺が質問します」
カンダール王が俺を見た。異世界人の少年。この場にいること自体が異例だ。だが王は俺の目をじっと見つめ------頷いた。
「許す」
俺はジールの前に立った。心臓が速い。だが声は落ち着いていた。エリカと何度もシミュレーションした。質問の順番。一つずつ外堀を埋める。逃げ道を塞いでから核心に踏み込む。
エリカの言葉が頭に響く。『最初の三問で事実を確定させて。感情的にならないで。淡々と追い詰めるの』
分かってる。
「お前の名前は何だ」
「......ジール」
「お前は鉄の牙のクランの一員か?」
「はい」
ジールの声は平坦だった。泉水が効いている。嘘をつく余地がない。
「お前はガルダの命令を受けて、風の勇者の崖の反対側に行ったのか」
「......はい」
「そこで何をするようにガルダから言われた?」
「監視です」
「何を監視するように言われた?」
「男が------石を投げるところを」
広間が揺れた。評議員たちの表情が変わる。
「お前は事前に、なぜその石を投げるのかガルダから聞かされていたか?」
「はい」
「なぜ投げた?」
「タクファーの馬にあてるためです」
タクファーが拳を握った。俺の隣で、体が震えている。
「あててどうするのかガルダから聞いたか?」
ガルダが叫んだ。
「やめろ!」
椅子から立ち上がる。だが評議員たちの視線がガルダを射抜いた。動けない。
ジールは目を閉じた。そして------。
「タクファーを落馬させるためです」
「それは成功したのか?」
「......はい」
広間がどよめいた。
俺は続けた。止まるわけにはいかない。
「さて。ボルカは落馬したところを見ていたか?」
「はい」
「最後の質問だ。ボルカはタクファーを助けようとしたのか?」
ジールが沈黙した。長い間。だが泉水の力には逆らえない。
「------いいえ」
「「「おおっ」」」
その場にいた者たちが、一斉に声を上げた。評議員が立ち上がる者もいた。ガルダの顔が蒼白に変わる。ボルカが後ずさった。
ゼファーが評議員に向かって声を上げた。
「放牧民の掟により------競技中に危険に遭った者を、知りながら助けなかった者は失格となる。ボルカは崖に落ちたタクファーを見ていながら助けなかった。これは重大な盟約違反だ」
ゼファーの声が広間を貫いた。
「よってボルカの失格を申請する」
ゼファーはボルカに目を向けた。
「ボルカよ。もし不服があるなら------正義の泉水を飲んで証明せよ」
ボルカは動かなかった。うつむいたまま。唇を噛んでいる。
沈黙が答えだった。
カンダール王が立ち上がった。広間が静まる。王の威厳が空気を支配した。
「タクファーは最下位。ボルカは失格である」
王の声が響く。
「よってこの血の約定により------財産の譲渡はなくなった。異論のある者はおるか?」
誰も声を上げなかった。
ガルダはうずくまっていた。両手をついて、うなだれている。さっきまでの余裕は跡形もない。
俺は一つ前に出た。
「王よ。もう一つよろしいでしょうか」
カンダール王の声が降りかかった。
「なんだ。申してみよ」
「その男に------もう少しだけ質問があります」
「許す」
俺はジールの前に戻った。ジールはまだ泉水の効果の中にいる。
最後の質問だ。
「十年前------ゼファーの父ゼフトに、ガルダが麻薬を盛ったのを知っているか?」
広間の空気が凍りついた。
ゼファーの肩が微かに震えた。十年間。ずっとこの真実を求めていた。
ジールが答えた。
「......はい」
「朦朧としているゼフトに、無理やり血の約定を交わさせたのがガルダでいいか?」
「はい」
静寂が落ちた。
評議員たちの顔に怒りが浮かんだ。十年前の約定------それは放牧民の歴史に刻まれた恥だった。長老を騙し、不正な約定を結ばせた。これほどの罪はない。
俺はカンダール王に向き直った。
深く息を吸った。そして------言った。
「王よ。以上です」
短い一言。それだけで十分だった。
カンダール王が深く頷いた。
「------聞き届けた」
管理官たちがガルダを引き立てた。ガルダは何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
広間を引きずり出されていくガルダの背中を、俺は見ていた。
ゼファーが俺の隣に来た。何も言わない。だが------その目には光るものがあった。
十年。
父を奪われてから、ずっと背負ってきたものが------今、降ろされた。
俺はゼファーの背中を見た。大きな背中だ。その背中が、ほんの少しだけ軽くなったように見えた。
エリカが隣に来た。小さく息を吐いている。
「------上出来よ。カイト」
「お前の台本通りだろ」
「台本じゃないわ。質問リストよ」
『同じだろ、それ』
だが今は素直に言おう。
「ありがとな。エリカ」
エリカが少しだけ目を見開いた。それから------ふっと笑った。
「どういたしまして」
広間を出ると、風が頬を撫でた。昼の日差しが眩しい。
だが------まだ終わっていない。ガルダとの約定は片付いた。だがもう一つ。俺たちとゼファーの血の約定が残っている。
星の遺跡への道は------まだ半分しか開いていない。




