第2節「エリカの調査報告」
タクシマルが寝息を立て始めた。タクファーが息子を抱き上げ、奥のテントへ連れていく。
小さな寝息が遠ざかる。テントの中が静かになった。
ランプの炎が一段低くなった。夜が深まっている。
「------私からも報告があります」
エリカが口を開いた。
テントの隅に座っていたエリカが、すっと前に出る。声の調子が違う。さっきまでの柔らかさが消えて、いつもの「分析モード」に切り替わっていた。
『この声の時のエリカは止まらない』
俺は姿勢を正した。ゼファーも視線をエリカに向ける。
「競技会の間------私は王院図書館に行っていました」
「図書館?」
「はい。ナクナーレの巻物のことが、ずっと引っかかっていたんです」
エリカはゼファーを見た。
「ゼファーさんから巻物の話を聞いた時、私------違和感があったんです。『過去の出来事をなかったことにする』なんて、あまりにも強力すぎる。この世界の魔道具にしては------規格外です」
ゼファーが眉を寄せた。
「それで図書館を?」
「はい。めがねを使って、片っ端から調べました」
エリカの目が光る。ピンクのめがね------あの恥ずかしいデザインの魔道具。物に触れればその来歴が分かる。本なら中身を一瞬で把握できる。
「禁書庫を含め、王院図書館のほぼ全ての蔵書を調べました」
『ほぼ全てって------あの図書館、何万冊あると思ってんだ』
だがエリカは涼しい顔だ。データ収集は彼女の得意分野。むしろ楽しかったに違いない。
「結果------何の情報も得られませんでした」
エリカはそこで一度言葉を切った。
沈黙。俺はつい聞き返す。
「見つからなかったのか?」
「ええ。何万冊調べても、ナクナーレの巻物に関する記録は一つもなかった」
エリカが人差し指を立てた。
「でも------それこそが答えなんです」
ランプの炎が揺れた。エリカの影がテントの壁で大きく動く。
「これだけの蔵書に、一行の記述もない。製法も、伝承も、類似品の記録も------何もない」
エリカの声がはっきりと響いた。
「あの巻物は、この世界のものではありません」
ゼファーの顔が強張った。
「異世界の......?」
「はい」
エリカは頷いた。迷いのない目だった。
「つまり------あの巻物を持ち込んだ『謎の旅人』は、この世界の人間ではない。異世界から来た者です」
テントの中の温度が下がった気がした。風が入り込んだわけじゃない。空気が変わったのだ。
エリカは続けた。
「そして------私、気づいたんです」
俺を見た。まっすぐに。
「カイト。あの男のこと、覚えてる?」
「あの男?」
「元の世界で、あなたに嫌がらせをしていた男。噴水に落とされた時にぶつかった------フードの男よ」
記憶が蘇った。あの日。噴水に突き落とされた。ぶつかった男の顔は見えなかった。だが------。
「あの旅人と似ている------いえ。同一人物だと私は考えています」
頭の中で点と点が繋がる音がした。
あの男。十五年間、俺に災難をもたらし続けた存在。こっちの世界にもいた。そして------ゼファーに巻物を渡した。ガルダに重力のリンゴを渡したのも、おそらくあいつだ。
「全部------繋がってたのか」
「ええ。元の世界でもこの世界でも、あの男はカイトの邪魔をしている。目的は一つ。あなたたちを星の遺跡に行かせないこと」
エリカの目が鋭くなった。
「つまりあの旅人こそが------言い伝えの『この世を惑わす異世界人』です」
エリカの声が、静かに響いた。
『------逆だったのか』
ゼファーが呻いた。
「わしらは------間違えていた」
大きな手で顔を覆う。
「異世界人の災い------それはお前たちのことではなかった。あの旅人の方だったのか」
エリカが小さく頷いた。
「はい。伝承を逆手に取ったんです。先に『異世界人は災いをもたらす』と吹き込んでおけば、本当の異世界人------カイトたちが来た時、自動的に排除される。よくできた仕掛けです」
『よくできた------って、お前な。褒めてどうすんだよ』
思わず心の中で突っ込んだ。だがエリカの分析は正しい。俺たちがこの世界に来た瞬間から、あの男の罠は張られていたのだ。
タクファーが戻ってきた。話の途中だと悟ったのか、静かに座る。
ゼファーは顔から手を離した。
「......あの男に、わしは騙されていた」
低い声だった。怒りではない。自分への失望だ。
「ゼファーさん」
俺は言った。
「騙されてたのは俺も同じです。十五年間ずっと------あいつの嫌がらせに気づけなかった」
ゼファーが俺を見た。
「でも今、分かった。エリカのおかげで」
エリカが少し照れたように目を逸らした。
「......データを集めただけよ。結論はみんなで出したの」
『出してねえよ。全部お前が出しただろ』
だが------それを言ったらエリカは怒る。確実に。
ランプの炎がちりちりと音を立てた。夜はまだ長い。そして------問題は片付いていない。
謎の旅人の正体は分かった。だが、ガルダとの血の約定。俺たちの約定。二つの問題が、まだ残っている。
エリカの目が、静かに光っていた。
『こいつ------まだ何か考えてるな』
俺の勘は、だいたい当たる。




