第11節「タクファーの落馬」
崖道を進んだ。
風が強い。アルガンの脚が震えている。道幅は馬二頭がやっとだ。片側は切り立った岩壁。もう片側は------数十メートルの断崖。落ちたら助からない。
慎重に進む。アルガンの足取りは相変わらず重い。でも崖道では速度より安定が大事だ。一歩一歩、確実に。
そのとき------前方に異変が見えた。
馬が一頭、崖道の真ん中で暴れていた。
風のメドルだ。
タクファーの馬。前足を上げて、いなないている。手綱が垂れている。鞍の上に------誰もいない。
『タクファーがいない------!』
血の気が引いた。
アルガンを急かした。鈍い脚で、それでも駆けた。風のメドルに近づく。馬は怯えている。目が血走っている。何かに------怯えている。
風のメドルの脚に赤い傷があった。何かが当たった痕だ。小石か。それとも------。
崖の縁を覗いた。
タクファーがいた。
崖の途中。枯れ木の枝に片手でぶら下がっている。大きな体が崖面に張り付いている。顔が汗で濡れていた。歯を食いしばっている。
片腕が変な方向に曲がっていた。折れている。もう片方の手だけで------必死に枝を握っている。
枝がきしんだ。折れかけている。
「タクファー!」
叫んだ。崖に声が反響した。
タクファーが見上げた。苦痛の中に------驚きがあった。
「カイト......来るな......お前まで落ちるぞ------」
「何があった!」
「分からん......風のメドルが急に跳ねた......何かが脚に当たった......」
風のメドルの脚の傷。意図的に何かを当てられたのだ。誰かが------タクファーを狙った。
「ボルカは......来なかったのか」
「ボルカなら......通った。俺を見て......走り去った」
タクファーの声がかすれた。怒りではなかった。諦めに近い何かだった。
一瞬、岩壁の上に目をやった。風が吹いていた。草が揺れていた。
フードを被った影が、一瞬だけ見えた気がした。
目を凝らした。もう何もいない。風と草だけだ。見間違いかもしれない。でも背筋が冷たくなった。
考えている暇はなかった。枝がまた、きしんだ。
『あの枝------もたない!』
俺は手綱を引いた。アルガンを止めた。
一瞬------ほんの一瞬だけ、頭をよぎった。
『止まったら負ける』
血の約定。負ければ風の草原クランから追い出される。星の遺跡にも行けない。エリカの作戦も、半年間の努力も、全部無駄になる。
でも------。
タクファーの顔が見えた。崖の縁から。片手でぶら下がっている。目が合った。
迷いは消えた。一秒もなかった。
俺はアルガンから飛び降りた。
着地した瞬間、膝に衝撃が走った。でも痛くない。体は動く。
アルガンの手綱を岩に結びつけた。アルガンが鼻を鳴らした。不安そうだ。
「待ってろ。すぐ戻る」
走った。崖の縁へ。全速力で。
そのとき------遠く後ろから蹄の音が聞こえた。後続の競技者だ。
『構わない』
順位なんてどうでもいい。
ゼファーの言葉を思い出していた。
馬から降りた瞬間に、優勝のチャンスは消えた。分かっている。血の約定。エリカの作戦。全部水の泡だ。星の遺跡への道も閉ざされる。
でも------目の前で仲間が落ちるのを見捨てて勝つ奴は、勇者じゃない。
そんなのは俺じゃない。
崖の縁に這いつくばった。下を覗く。タクファーの顔が見えた。苦痛に歪んでいる。枯れ木の枝がきしんでいた。折れかけている。
「タクファー! 手を伸ばせ!」
「カイト------馬鹿、お前まで落ちるぞ------!」
「いいから伸ばせ!」
崖の縁に体を固定した。足を岩の隙間に突っ込む。腕を伸ばす。
「タクファー! 手を掴め!」
タクファーが見上げた。
「カイト------馬鹿......お前まで------」
「いいから掴め!」
枝がまた、きしんだ。




