第10節「復路の逆転」
翌朝。復路のスタートだ。
到着順に時間差で出発する。俺が一番。三時間半後にようやく二番手が出る。圧倒的なアドバンテージだ。
アルガンに跨った。黒い毛並み。額の白い星。昨日会ったときと変わらない------はずだった。
「よし、行くぞアルガン」
手綱を引いた。アルガンが動き出す。
『あれ......?』
いつもの爆発的な加速がない。アルガンはのろのろと歩き出した。脚の運びが重い。まるで泥の中を歩いているみたいだ。
「アルガン? どうした」
鞭を入れた。アルガンは走ろうとした。でも------いつもの半分も出ない。
『何かおかしい。昨日まではこんなじゃなかった』
体が重そうだ。筋肉は動いている。でも何か見えない重りを背負っているような走り方。息が荒い。苦しそうだ。
原因が分からない。怪我ではない。脚は引きずっていない。食欲はあった。朝の水もちゃんと飲んだ。なのに------走れない。
蹄の音が鈍い。地面にめり込むような踏み方だ。まるでアルガンの体そのものが重くなったかのような------。
『馬鹿な。体重が変わるわけがない。何かの病気か? それとも------』
エリカがいれば分かるかもしれない。あのめがねで見れば、アルガンに何が起きているか一目瞭然だ。でもエリカはここにいない。
『くそ。考えている場合じゃない。とにかく前に進むしかない』
アルガンを励ましながら走った。無理はさせたくない。でも止まるわけにもいかない。
草原を抜けた。山道に入る。ここからが本番だ。復路は騎馬で山を越えてゴールに向かう。道は狭く、勾配がきつい。
アルガンの脚がさらに鈍った。上り坂が堪えている。普段なら駆け上がれる斜面で、何度も立ち止まった。
『三時間半のアドバンテージ。エリカは3時間あれば十分だと言っていた。でもこのペースじゃ------』
一時間が経った。普段なら二十キロは進めるはずだ。半分も来ていない。
二時間。
後ろを振り向くと遠くに粉塵が見えた。
『嘘だろ......もう追いついてきたのか』
『エリカの作戦が......崩れていく』
拳を握った。手綱を持つ手に力がこもる。アルガンは必死に走っている。苦しいはずだ。それでも止まらない。この馬は根性がある。
気性が荒いだけじゃない。アルガンは強い馬だ。
* * *
最初の競技者が後方に見えた。豆粒のような影。でも確実に近づいている。アルガンとの速度差は歴然だった。
昼前。山腹の開けた場所に差し掛かった。
後ろから聞き慣れた声が飛んできた。
「カイト!」
振り返った。タクファーだ。風のメドルに跨り、猛スピードで迫ってくる。
「よくここまで持たせた!」
タクファーは笑顔だった。俺の横に並ぶ。風のメドルの脚が力強く地面を蹴っている。放牧民最速の馬は健在だ。
「アルガンの様子がおかしい。昨日から------」
「分かっている。見れば分かる」
タクファーの目が鋭くなった。アルガンの走りを一瞥しただけで、何かを察したようだ。
「原因は後で調べる。今は------走れ。お前のペースでいい」
「でも------」
「お前が止まったら、血の約定は負けだ。お前はゴールしろ。俺が先に行って道を切り開く」
タクファーは拳を突き出した。俺もそれに応えた。拳が当たる。硬い音がした。
「必ずゴールで待ってるからな」
風のメドルが加速した。砂埃が舞う。あっという間にタクファーの背中が小さくなっていく。
放牧民最速。伊達じゃない。
風のメドルの脚は圧倒的だった。タクファーが馬と一体になって駆ける姿は------美しかった。
『頼む、タクファー------』
その背中を見送った直後------。
別の蹄の音が迫った。
「よう、異世界人」
ボルカだ。鉄の牙の精鋭馬に跨っている。不敵な笑みを浮かべていた。
俺のアルガンの状態を見て------全て分かっているような顔だった。
『こいつ------何か知ってるのか?』
「その馬じゃ無理だな。諦めろ」
ボルカは鼻で笑った。減速すらしない。俺の横を風のように通り抜けていく。
「待てよ------!」
叫んだ。でも追えない。アルガンにはもう、あの速度は出せない。
ボルカの背中が遠ざかる。タクファーを追うように、山道の先へ消えていった。
一番手がタクファー。二番手がボルカ。
俺は------三番手。
いや、三番手ですらない。このペースでは後続にもまた抜かれる。
『くそっ......!』
拳を握った。歯を食いしばった。
でも------走るしかない。止まったら終わりだ。
『頼む、アルガン。もう少しだけ------』
山頂が近づいてきた。風が強くなる。道幅が狭い。片側は岩壁。もう片側は断崖。
崖道に入った。
遠くから------風に乗って、馬のいななきが聞こえた気がした。
嫌な予感がした。




