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第7節「王院図書館」


カイトが走っている頃------エリカは王都にいた。


         * * *


王院図書館。放牧民の都にある唯一の学術施設だ。


石造りの建物は草原の中で異質だった。テントと馬ばかりの王都で、ここだけが別世界のように静まり返っている。


「本当に遠くから見るだけですよ!」


隣を歩く男が念を押した。評議会メンバーのカガル。小柄で丸い体型。神経質そうな目をしている。ゼファーが頼み込んで、エリカの案内役を引き受けてくれたのだ。


「本に触っちゃいけませんよ! 棚に近づいてもいけませんよ! 息を吹きかけるのもダメですよ!」


「もちろん大丈夫です」


エリカはにっこり笑った。


『触る必要はないもの』


図書館の扉が開いた。中は薄暗い。羊皮紙の匂い。古い木の匂い。天井まで届く本棚が壁一面に並んでいる。数千冊はあるだろう。放牧民の歴史、風の勇者の記録、血の約定の法典。


カガルは入口付近の椅子に座った。


「私はここで待ってますからね。何か聞きたいことがあれば声をかけてください。でも本には触らないで!」


「はい。ちょっと見て回りますね」


エリカは本棚の間を歩き始めた。カガルの視線から外れた瞬間------立ち止まった。


『さて。やるわよ』


深呼吸。ポケットからピンクのめがねを取り出す。


かける。世界が変わる。


合言葉を言わなければならない。


「......おりこうさんになあれ」


小声で。最小限の音量で。カガルには聞こえていないはずだ。でも恥ずかしい。何度やっても慣れない。顔が熱い。


めがねが起動した。


本棚を見る。一冊一冊の背表紙が光って見える。中身が流れ込んでくる。触らなくていい。見るだけで知識が入る。これがピンクのめがねの力だ。


歴史書。法典。薬草図鑑。地図帳。風の勇者の過去百年分の記録。


情報が頭に溢れた。整理する。分類する。エリカの頭脳はそのためにある。


『血の約定に関する記述------あった。放牧民の最も重い誓約。破ると一族の名誉を失う。無効化する方法は......ない。少なくともこの世界の魔道具では』


『風の勇者の歴史------三百年以上続く伝統行事。過去に異世界人が参加した記録は......ゼロ。カイトが初めてってことね』


『神柱に関する記述------断片的だけどある。十二柱の神が世界を支えている。でも詳しいことは書かれていない。口伝で伝わっているのかしら』


本棚を一列ずつ見て回った。約三十分。図書館の知識を粗方吸い取った。


そのとき------奥に立派な扉があることに気づいた。


鉄の装飾が施された重厚な扉。鍵がかかっている。


「カガルさん。この扉の向こう側は何ですか?」


カガルが飛び上がった。


「き、禁書庫です! 絶対に入れませんよ! 評議会の許可が必要で------」


「入口から見るだけでも!」


「ダメです! 絶対ダメ!」


カガルは必死だ。汗をかいている。


エリカはふと思い出した。めがねでカガルを見たとき------この男の知識にやたらスイーツの情報が多かった。王都のお菓子屋の場所。営業時間。おすすめメニュー。異常な情報量だった。


「そういえばカガルさん」


声のトーンを変えた。世間話のように。


「王都に女性限定のスイーツが売っているお店があるとか」


カガルの目が変わった。


「......ご存知なんですか」


「ええ。でも私、女性なので入れるんですよね。一度行ってみたいなと思ってたんです」


カガルの顔が赤くなった。目が泳いでいる。葛藤している。


「......ほんと入口から見るだけですよ!」


 鍵が開いた。


禁書庫は小さな部屋だった。壁際に古い本が並んでいる。どれも年代物だ。エリカはめがねで部屋全体を見渡した。


数秒で全てを吸い取った。


古代の契約魔法。封印術の歴史。神話時代の文献。


『これだけの量を調べても------ナクナーレの巻物に該当する記述はない』


似た名前もない。似た効能の魔道具もない。血の約定を無効化する道具など、この世界のどこにも記録がない。


エリカは禁書庫を出た。カガルに丁寧にお礼を言った。スイーツ店の場所も教えた。カガルは満面の笑みだった。


「あ、あのお店は月曜が休みで、火曜の午前中が一番空いてて------」


「詳しいですね」


「い、いや! たまたま前を通りかかっただけで------」


カガルの顔が真っ赤だ。エリカは微笑んだ。悪い人ではない。


図書館を出る。日差しが眩しい。


『ナクナーレの巻物はこの世界のものではない』


結論は明確だった。


『この世界に存在しない道具を持ち込んだ。つまりあの謎の旅人は------異世界人だ』


縁日のフード男。ゼファーに巻物を渡した謎の旅人。同一人物。そして異世界人。


「これで全てつながった」


エリカは小さく呟いた。風が髪を揺らした。


『カイト。あなたが走っている間に、私は私の仕事をしたわ』


視線の先には草原が広がっている。その遥か向こうで、カイトが走っているはずだ。


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