第4節「鉄の牙の策謀」
同じ夜。草原の反対側で、別の火が燃えていた。
* * *
鉄の牙クランのテントは風の草原クランとは雰囲気が違う。
赤い布が垂れ下がり、獣の骨が飾られている。中央の焚き火は小さく、暗い。その奥に二つの影があった。
クランの長------ガルダ。そしてその息子、ボルカ。
「何としても優勝しろ。負けることは許さん」
ガルダの声は低い。圧がある。鉄の牙のクランは実力主義だ。長の息子だからといって甘やかされはしない。
「承知しております、父上。しかし------」
ボルカは膝に拳を置いたまま言った。体格は父に似て大きい。肩幅が広く、腕が太い。しかし目には父にはない迷いがあった。
「タクファーと風のメドルは現代最強のコンビです。容易ではありません」
「ならば容易にしろ」
「......父上」
「星の遺跡の管理権がかかっている。あれを手にすれば鉄の牙は十年は安泰だ。お前はそれを背負えるのか。背負えないのか」
ボルカは拳を握りしめた。黙ってうなずいた。
「ふむ。どうしたものか」
ガルダが腕を組んだ。焚き火の炎が揺れた。
そのとき------テントの入口がめくられた。
「ガルダ様。何かお困りですかな?」
フードをかぶった男が立っていた。顔は見えない。声だけが響く。丁寧な物言い。しかしどこか芝居がかっている。
ボルカが即座に腰の刀に手をかけた。
「貴様は誰だ」
ガルダが低く問うた。
「ただの旅人でございます。ですが------」
男は一歩踏み出した。
「私の望みを聞いてくださるなら、あなたの望みを叶えましょう」
「ふん。怪しい男だ。護衛を呼ぶぞ」
「お待ちください。まずは私が味方であることを証明いたします」
男はテントの外を指さした。
「入口の右側に立っている護衛。あの男の懐にメモが入っています。取り出してごらんなさい」
ガルダが目配せした。ボルカが外に出て、護衛の懐を探る。
羊皮紙の切れ端が出てきた。
「------『謀略中、気をつけろ』」
ボルカが読み上げた。護衛の顔色が変わった。
「こ、これは------」
「評議会の監視つきで下手には動けないでしょう。しかし------あなたの部下の中に裏切り者がいては困りますな」
ガルダの顔が険しくなった。護衛が引っ立てられていく。
「......それで。何をしてほしい」
ガルダの声から警戒が薄れていた。完全にではない。しかし話を聞く気になった。
男は懐から何かを取り出した。
リンゴだった。
赤くて大きい。しかしどこか不自然だ。色が濃すぎる。重そうに見える。
「風の草原クランから出場するカイトという少年。その馬に、復路が始まる前にこのリンゴを食べさせてください」
「リンゴを......? それだけでいいのか」
「ええ。それだけで結構です」
ガルダは目を細めた。
「見返りは何だ」
「タクファー殿を------復路の崖から突き落としてみせましょう」
沈黙が落ちた。ボルカの目が見開かれた。
「馬鹿な。あの崖は騎手が全速力で駆け抜ける場所だ。どうやって------」
男は答えず、テントの外に目を向けた。
遠くに繋がれた馬がいる。三十歩は離れている。男は足元の小石を拾い上げた。指で弾いた。
石は一直線に飛んだ。馬の前足のすぐ横の地面に当たった。驚いた馬が前足を上げ、いなないた。
「たやすいことでございます」
男の声は穏やかだった。
ガルダはしばらく黙っていた。焚き火の炎が揺れる。やがて口を開いた。
「いいだろう。ただし------監視をつける。お前が裏切れば、即座に殺す」
「もちろんです。ご自由に」
男は頭を下げた。フードの奥で、口元だけが笑っていた。
* * *
テントを出た男は、草原を歩いた。月明かりが道を照らしている。
少し離れた岩陰に、もう一つの影があった。小さな影。丸い体。
観察者ルー。
「見事な計略であろう。恐れ入ったか?」
男------デイブはフードを脱ぎながら言った。得意げな顔だ。鼻が高い。
ルーは冷たい目で見上げた。
「その言い回しは、くそデブ、甘えん坊野郎には全く似合わない」
「うっせー! ちょっとくらいかっこつけたっていいやん!」
声が裏返った。さっきまでの丁寧な物言いはどこにもない。
「だいたいお前なあ、俺がせっかくいい感じにキメたのに------」
「キメてないです。ガルダの目、完全にバカにしてました」
「嘘つけ! 絶対ビビってたって!」
デイブは地団駄を踏んだ。フードが脱げかけている。丸い顔が月明かりに照らされた。さっきの切れ者の面影はどこにもない。
「大体さあ、護衛のメモを見抜いたのとか、石投げとか、めっちゃすごかったやろ?」
「メモは昼間のうちに覗いてたでしょ。石投げは的を外してました。馬の足に当てるつもりだったのに地面でしたよね」
「......細かいこと気にすんなよ」
デイブはしょんぼりした。巨体が縮む。
ルーは溜め息をついた。
「......で。リンゴの効果は」
「ああ。重力のリンゴだ。食った馬は体が三倍重くなる。半日は持つ」
「それをカイトの馬に」
「そう。復路でまともに走れなくなる。あとは誰かが勝つだけだ」
デイブは夜空を見上げた。星が光っている。
「まあ------本当の目的は別にあるんだけどな」
小さく呟いた。ルーには聞こえていた。しかし何も言わなかった。
二つの影は、夜の草原に消えていった。




