第2節「カイトの決意」
夕食の匂いが漂っていた。
焼いた肉。香草のスープ。焼きたてのパン。風の草原クランの食事はいつも豪快だ。大きなテントの中央に焚き火があり、その周りに車座になって食べる。
俺はタクファーの隣に座っていた。エリカはその向かい。ゼファーは少し離れた場所で長老たちと話している。
「カイト、食え。今日の肉は格別だぞ」
タクファーが骨付き肉を差し出した。ありがたく受け取る。かぶりつくと脂が口の中に広がった。うまい。この世界の飯は本当にうまい。
『でも------のんびり食ってる場合じゃない』
今日の評議会の結果を思い出す。
星の遺跡への立ち入り------不許可。
ゼファーが評議会で「カイトとエリカを名誉ある客人として星の遺跡に案内したい」と申し出てくれた。長老カダールは腕を組んで黙っていた。カガルは「うーん」と首を傾げていた。
そこにガルダが立った。鉄の牙クランの長。大柄な体躯に鋭い目。
「風の草原クランの聖地に余所者を入れるだと?」
低い声がテントに響いた。
「星の遺跡は放牧民全体の宝だ。半年そこらで馴染んだ面をした異世界人に見せるものではない」
ゼファーの拳が膝の上で握りしめられていた。言い返したかったはずだ。でも------ガルダの言葉には一定の道理があった。余所者は余所者。それが放牧民の掟だ。
カンダール王が重い口を開いた。
「ガルダの申し立てには理がある。この件は保留とする」
保留。実質的な却下だった。
評議会が終わり全員が席を立ちかけた時。ガルダが振り返った。薄い笑みを浮かべて------こう言った。
「もっとも------名誉ある客人と認められれば話は別だがな」
一拍。
「風の勇者で優勝でもしてみるか? 半年馬に乗っただけの小僧に」
笑い声。ガルダの取り巻きが嗤った。嘲りだった。できるわけがない------そう言外に滲ませた挑発。
ゼファーの顔が険しくなった。帰り道で俺にこう言った。
「あれは罠だ。乗るな」
「罠?」
「ガルダはお前が勝てないと分かって言っている。血の約定を結ばせて------お前たちを追い出す口実にするつもりだ」
ゼファーの分析は正しい。百キロの過酷なレース。馬との絆が全て。半年の素人が勝てる見込みはない。
『分かってるけど------他に方法がない』
肉を噛みながら考えた。
星の遺跡に行かなきゃいけない。ゼファーの痣と同じ紋様がある場所。俺たちの旅の手がかりがある場所。エリカのめがね。タクシマルの救出。半年間の生活。全部を無駄にしたくない。
評議会は駄目だった。ゼファーの力では突破できなかった。正攻法は塞がれた。
なら------残る道はひとつだ。
口の中の肉を飲み込んだ。立ち上がった。
「ゼファーさん」
テントの中が静まった。全員の目が俺に集まる。
「俺、ガルダの条件------受けます」
沈黙。
「風の勇者に出場して------優勝する」
タクファーが最初に口を開いた。
「......カイト。気持ちは分かるが、あれはガルダの罠だ。父さんも言っただろう」
「分かってる」
「分かってないだろう。百キロだぞ。馬との絆が全てだ。お前が馬に乗り始めて半年そこらで------」
「だからやるんだ」
俺はタクファーの目を見た。
「正攻法は潰された。評議会も駄目だった。でも星の遺跡には行かなくちゃいけない。なら------ガルダの土俵で勝って、黙らせるしかない」
エリカが目を丸くした。口が半開きになっている。天を仰いだ。
『そのリアクション、ちょっと傷つくぞ』
ゼファーがゆっくりと立ち上がった。
俺を真正面から見据える。酒を飲んでいた時とは別人のような目だ。
「......カイト。ガルダと血の約定を結べば後戻りはできん」
「はい」
「負ければ------お前たちは何も要求できなくなる。黙って去ることになる」
「はい」
「それでもか」
「それでも」
ゼファーはしばらく黙っていた。焚き火が爆ぜる音だけが響いた。
「------分かった」
低い声だった。賛成でも反対でもない。ただ------覚悟を受け取った声だった。
「わしからガルダに伝える。明日、血の約定を結ぶ」
翌日。
朝靄がまだ残る中、王都グランドールの評議会の広間にガルダが現れた。
大柄な体。鉄の牙クランの紋章が入った革鎧。傲慢な目。立会人として放牧王カンダールと長老カダールが席についている。ゼファーは正装で俺の後ろに立っていた。
ガルダが俺を見下ろした。
「本当に来たか。小僧」
「約束ですから」
「約束?」
ガルダの口元が歪んだ。
「わしは戯れに言ったのだがな。まさか------本気で受けるとは」
嘲りだ。でも目は笑っていない。こいつは最初から分かっていた。俺が来ることを。
『こいつ------試してやがる』
カンダール王が口を開いた。
「双方、条件を確認せよ」
ガルダが一歩前に出た。
「条件はこうだ。カイトが風の勇者で優勝すれば、風の草原クランは異世界の二人を名誉ある客人と認める。星の遺跡への立ち入りを許可する」
一拍。
「ただし------負ければ、何も要求するな。二人は放牧民の国を去れ」
厳しい条件だ。負けたら全てを失う。
カダールが低い声で確認した。
「双方、異存はないか」
「ない」
ガルダが即答した。
「------ありません」
俺も答えた。声が震えなかったのは奇跡だ。
特別な紙に条件が書かれた。羊の皮で作られていて、独特の匂いがした。血判を押す。
ガルダが小刀を取った。自分の指先を迷いなく切り、紙に血を押しつける。赤い印。次は俺の番だ。
刃を指に当てる。冷たい。
「いてっ」
思わず声が出た。隣でエリカが溜め息をついた。
「......こんなので優勝できるの?」
「できる。たぶん」
「たぶん!?」
エリカが天を仰いだ。今日二度目だ。
「絶対無理ね!」
『いやまあ......俺もそう思うけどさ』
血がにじんだ指先を紙に押しつけた。赤い印が残る。
ガルダは黙って俺を見ていた。嘲りの表情は消えていた。代わりに------値踏みするような目。
「面白い小僧だ」
低く呟いて、背を向けた。
契約が成立した。
「カイトが風の勇者で優勝すれば、名誉ある客人と認め、星の遺跡への立ち入りを許可する」
たったそれだけの一文。でも血の約定は絶対だ。破れば一族の名誉を失う。
ゼファーは腕を組んだまま、一言も発さなかった。表情は読めない。でも------最後に小さく頷いた。それだけで十分だった。
『さて------どうやって勝つか』
馬術は素人。コースは百キロ。相手は放牧民の精鋭たち。
どう考えても無理だ。
でも------無理だからこそ面白い。
「エリカ」
「何よ」
「作戦、考えてくれ」
エリカは呆れた顔のまま、少しだけ口角を上げた。
「......最初からそのつもりよ」




