第4節「末裔では?」
やはり言おう。
そう決めたのは、ゼファーが湯船に戻ってきた時だった。
大きな体が湯に沈む。ざぶん。水位が上がる。ゼファーは岩に背を預けて、気持ちよさそうに目を閉じた。タクファーはその隣で静かに湯を楽しんでいる。
穏やかな空気。壊したくない。でも------聞かなきゃいけない。
『エリカに相談してからの方がいいか? いや------今しかない。風呂の外でお尻の痣の話なんてできるか? タイミングを逃したら次はいつだ』
覚悟を決めた。
......が、切り出し方が難しい。
普通に考えろ。温泉に入っている相手に「お尻を見ました」と言うのだ。日本だったら即通報される。異世界でもアウトだろう。
でも------知らないふりはできない。あの紋様は偶然じゃない。
「あの、ゼファーさん」
「何だ」
目を閉じたまま返事が来た。
「その......えーっと」
『「お尻の紋様を見たんですけど」------いや、ダメだ。変態だ。「裸を見てました」はもっとダメだ。どう言えば......』
「どうした。はっきり言え」
ゼファーの声に苛立ちはない。ただ実直に「言え」と言っている。この人はいつもそうだ。回りくどいのが嫌いなのだ。
「ゼファーさん。その......お尻の紋様って、生まれつきですか?」
沈黙。
ゼファーの目が開いた。ゆっくりとこちらを向く。
「......なぜそんなことを聞く」
低い声。警戒の色がある。当然だ。風呂で尻の話をされて嬉しい人間はいない。
「俺にも同じ紋様があるんです」
左腕を上げた。脇の下の痣を見せる。緑と青のグラデーション。湯気の中でかすかに光っている。
「ここ。見えますか」
ゼファーが身を乗り出した。目を細めて、俺の脇の下を覗き込む。タクファーも体勢を変えた。二人の視線が痣に集中する。
数秒の沈黙。
「......確かに同じだな」
ゼファーの声が低く響いた。眉間にしわが寄っている。
「色は違う。だが紋様は同じだ。わしのものと------まったく」
ゼファーの声に困惑が混じっていた。この人が困惑するところなんて初めて見た。
タクファーも眉を上げている。視線が父の臀部と俺の脇の下を行き来した。
やっぱりそうだ。
紋様の一致。覚醒者と未覚醒者の色の違い。これが偶然のはずがない。
エリカならこう言うだろう。「偶然の確率は0.0001%以下よ」------と。
「この痣は末裔の印なんじゃないですか」
声が震えそうになった。堪える。
「つまり------ゼファーさんも、末裔では」
長い沈黙が落ちた。
湯の音だけが響く。ぽちゃん、ぽちゃんと雫が岩を打つ音。風が湯気を運んでいく。
ゼファーの表情が固まっていた。
何かを考えている。何かと戦っている。
「馬鹿馬鹿しい」
ゼファーが湯船から立ち上がった。ざばん。湯が大きく跳ねた。
「俺が末裔だと? そんな御伽噺を信じろというのか」
背中を向けている。声は硬い。有無を言わさぬ威圧がある。
「でも------」
「この話はここまでだ」
ゼファーは湯から上がった。振り返らない。水滴が岩の上に落ちる。服を手に取り、一度も振り返ることなく脱衣場へ消えていった。
残されたのは俺とタクファーだけだ。
タクファーが困ったような顔をしていた。父の背中と、俺の顔を交互に見る。何か言いたそうだったが------結局口を開かなかった。
ただ一言だけ、小さな声で呟いた。
「......父は、急に変わることを嫌う。だが------間違ったことには背を向けない人だ」
それだけ言って、タクファーも湯を出た。
父を追いかけるように、静かに去っていった。
湯気が漂う。
静寂。
ゼファーは否定した。
御伽噺だと。馬鹿馬鹿しいと。はっきりそう言った。
立ち上がる直前。ほんの一瞬だけ------あの目が揺れていた。
鉄のように固い男。嘘を言わない男。その目が、揺れた。
『......ゼファーさん。あなた------自分でもわかってるんじゃないですか』
湯はまだ温かかった。
でも俺の心は少しだけ冷えていた。




