第10節「息子のタクファーに預ける」
ゼファーの目が、俺たちを射抜いている。
逃げられない視線だった。嘘をついたら即座に見抜かれる。そんな確信がある。
「我がクランには古い言い伝えがある」
ゼファーが低い声で言った。
「『異世界人の訪れには気をつけよ。彼らは災いをもたらす』と」
空気が凍った。エリカが隣で息を呑んだのが聞こえた。
災いをもたらす。俺たちは、この世界では歓迎されない存在なのか。
ゼファーが続ける。
「過去に何度か、異世界から人が来たという記録がある。その度に争いが起き、血が流れた。クランの古老はそう語り継いでいる」
沈黙。
テントの外で馬がいなないた。焚き火の爆ぜる音が遠くから聞こえる。
------覚悟を決めるしかない。
ポケットに手を入れた。指先に触れる、滑らかな石の感触。勾玉だ。淡い翡翠色。エリカには見えている。ゼファーにはまだ見せていない。
取り出した。
「俺はこの勾玉で転移してきました」
掌の上の勾玉を、ゼファーに見せた。テントの灯りを受けて、ほのかに光っている。
「『アマルの世界』っていう本に書いてあった通りに。俺は------多分その『末裔』ってやつなんだと思います」
言った。口に出したら、案外すんなり出てきた。
ゼファーの眉が動いた。
「末裔......? なんだそれは」
知らないらしい。末裔という概念そのものが、この世界には伝わっていない。
「えっと......神様の、子孫みたいなもので......世界を救うために集まらないといけなくて......」
言えば言うほどフワフワしている。自分でもよくわかっていないことを説明するのは難しい。
「十二人の仲間を探して『始まりの地』に行かなければならないんです」
エリカが補足した。
「私たちの世界に『アマルの世界』という古い書物がありました。そこに書かれていた通りの現象が起きて、気がついたらこの世界に転移していたんです」
さすがエリカだ。要点を整理して伝えている。
ゼファーは黙っていた。
長い沈黙だった。
勾玉を見つめている。鋭い目が、石の表面をなぞるように動いた。何かを考えている。何かを------思い出そうとしている。
やがて、ゼファーは目を閉じた。深い溜息をついた。
「......わからん」
正直な言葉だった。
「末裔というものが何なのか、俺にはわからん。アマルという神の名も聞いたことがない。お前たちの話が真実かどうか、確かめる術もない」
突き放すような言葉。だが、その声には怒りがなかった。
ゼファーが目を開けた。
「だが------お前たちがタクシマルを救ってくれたのは事実だ」
視線が少しだけ柔らかくなった。ほんの少しだけ。
「恩は返す。それがクランの掟だ。すぐに追い出したりはせん」
テントの入口が開いた。一人の男が入ってきた。三十代前半。ゼファーに似た体格だが、顔つきはもう少し穏やかだ。目元にタクシマルの面影がある。
「タクファー」
ゼファーが名を呼んだ。息子だ。
「この二人の面倒を見てやれ」
「はい、父上」
タクファーは俺たちを見て、にこりと笑った。温かい笑顔だった。ゼファーとは違う。穏やかで、人を安心させる笑み。
「タクシマルを助けてくれたそうですね。ありがとうございます」
「いえ------」
「この草原には野盗や獣が多い。二人だけで旅をするのは危険だ。当面は我々と行動を共にしなさい」
ゼファーがそう言って立ち上がった。それが結論だった。議論の余地はない。クランの長が決めたことだ。
「テントを用意させる。今日は休め」
それだけ言って、ゼファーはテントの奥に消えた。
タクファーが外に案内してくれた。夜の空気が冷たかった。見上げると、満天の星。二つの月が出ていた。白い月と、少し小さい青い月。日本では見たことのない空だ。
「カイト兄ちゃん!」
小さな影が飛びついてきた。タクシマルだ。寝ていたはずなのに起きている。目をこすりながら、俺の脚にしがみついた。
「遊ぼう!」
「もう夜だぞ。寝ろよ」
「やだ! 遊ぶ!」
三歳児の全力の抵抗。振り払えない。というか振り払う気になれない。
「タクシマル、カイトさんたちは疲れているんだよ」
タクファーが笑いながら息子を抱き上げた。タクシマルは不満そうに唇を尖らせたが、父親の腕の中では大人しい。
「明日な」
俺が言うと、タクシマルの目がぱあっと輝いた。
「約束!」
「約束」
------異世界で最初にした約束が、三歳児との「明日遊ぶ」だった。
テントに入った。小さなテントだが、毛皮の敷物が敷いてあって暖かい。灯りは獣脂の蝋燭が一本。
エリカが隣に座った。膝を抱えている。
しばらく黙っていた。外から風の音が聞こえる。焚き火の匂いがテントの布を通して届く。
「ゼファーさん」
エリカが小さな声で言った。
「何か、引っかかるの」
「引っかかる?」
「あの人------カイトと同じ雰囲気がする」
「俺と同じ?」
「うまく言えないけど......勾玉を見た時の目。知らないって言ってたけど、何かに反応してた。確信はないけど------」
エリカがこちらを見た。蝋燭の灯りが揺れている。
「もしかしたら、末裔かもしれない」
末裔。
ゼファーが。
「......マジで?」
「だから確信はないって。でも、あの人の前に立った時------カイトの覚醒の時と似たものを感じた」
俺は天井を見上げた。獣皮の天井。風に揺れている。
十二人の末裔を探す旅。その最初の手がかりが、こんなに近くにあるのか。
「明日からどうする?」
「まずはクランの生活に馴染むことよ。いきなり『あなた末裔ですか?』って聞くわけにいかないでしょ」
「......そりゃそうだ」
エリカが笑った。小さな笑い。異世界に来て一日。食べ物にありつけて、寝る場所を得て、もしかしたら仲間が見つかるかもしれない。
まだ何もわからない。でも------悪くない。
テントの外で風が鳴った。草原の匂いがした。
二人の異世界での生活が、始まろうとしていた。
**第5章「放牧民の世界」 了**




