第6節「おしゃべりしたいの」
「俺にも教えてくれよ」
言ってみた。エリカが言語を覚えたなら、俺にも教えられるはずだ。
「無理。私の頭の中の知識をどうやって渡すの」
「......だよな」
「だよね」
冷たい。が、正論だ。
「じゃあ俺もかけてみる」
「は?」
エリカの手からめがねを取った。ピンクのフレーム。キラキラのラインストーン。子供用だから小さい。こめかみに食い込むのは同じだった。
「似合わねえ......」
自分でもわかる。鏡がなくてよかった。
「あっは------ちょ、やめ------あははは!」
エリカが腹を抱えて笑い出した。顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべている。
「そんな笑うか?」
「だって------あはは------紺のブレザーにピンクのめがね------似合わなすぎて------」
「うるせえ」
「それで合言葉は?」
エリカはにやにやしながら、幼児言葉で「おりこうさんになあれ!よ」
無視して、エリカがやったのと同じように目を閉じた。
「おりこうさんに------なあれ!」
------何も起きなかった。
静寂。風が草を揺らす音だけ。
「............」
「............」
もう一度。
「おりこうさんになあれ!」
何も。光らない。温かくもならない。めがねはただのプラスチックだった。
エリカが地面に膝をついた。肩が震えている。
「あっはははははは!!」
今度は声を上げて笑い転げた。草の上をごろごろ転がっている。学年トップの秀才が草まみれだ。
「ハァ、ハァ......お腹痛い......あっはは......」
「......覚えてろ。エリカ」
めがねを外した。
結論。このめがねは俺には反応しない。なぜかはわからないが、エリカにしか使えないらしい。
「つまり俺は言葉が通じないまま?」
「そういうことね」
エリカが涙を拭きながら立ち上がった。まだ口元がにやけている。
「私が通訳してあげるから安心しなさい」
得意げだった。めちゃくちゃ得意げだった。鼻が天井に届きそうなくらい。
------まあ、頼りにするしかない。
「もう少し情報を集めたいわ。さっきは市場の周りしか見てないから」
エリカはそう言って、丘の上に歩き出した。ここからなら町全体が見渡せる。
木の根元に立って、エリカがポーチからめがねを取り出す。
「......もう一回かけるのか」
「当たり前でしょ。まだ情報が足りないのよ」
めがねを手に持って------止まった。
俺がいる。
あの発動ワードを、俺の前で言わなきゃいけない。
「......カイト」
「ん?」
「後ろ向いて」
「なんで」
「いいから後ろ向いて。耳もふさいで」
エリカの顔が赤くなっている。
『ああ......あれを聞かれたくないのか』
理解した。「おりこうさんになあれ」。確かに、十五歳の女子が言うには恥ずかしいセリフだ。
でも------もう聞いてるんだけど。
「さっき市場で聞いたぞ。おりこうさんに------」
「言うなあああ!!」
スネを蹴られた。
全力で。
「いっっっっ------!!」
片足を押さえてうずくまった。痛い。骨にきた。
「後ろ! 向いて! 今すぐ!」
「わかった! わかったから!」
慌てて背中を向けた。両手で耳をふさぐ。草の上にしゃがみ込む。スネがじんじん痛む。
------背後から、小さな声が聞こえた。
「......おりこうさんに、なあれ」
光の気配がした。振り返ろうとして------
「まだ振り向かないで!」
「はい」
しばらく待った。風の音。エリカが何かを呟いている。情報を整理しているのだろう。
「......もういいわよ」
振り返ると、エリカはめがねを外してポーチにしまっているところだった。顔はまだ赤い。
「何かわかったか?」
「ええ。この町は商業都市サラザルク。北部最大の交易拠点で、定期的に交易日がある。今日がまさにその交易日らしいわ。どうりで人が多いと思った」
「へえ」
「それと、この世界の人々は『クラン』っていう氏族単位で生活してるみたい。遊牧民に近い文化。馬と弓を重んじるって」
すらすらと情報を並べる。めがねで得た知識だろう。便利すぎる。
「......いいなあ」
つい口に出た。
「何が?」
「俺もしゃべれるようになりたいなあ。お前だけわかるの、ずるいぞ」
「ずるいって何よ。私はあの恥ずかしい思いをして手に入れたの」
エリカが腕を組んだ。にやり、と笑う。
「ほほう! 神様はまじめに勉強をした人のみ救ってくれるのね!」
「......うぜえ」
「あら、もっと言ってほしい?」
完全に調子に乗っている。めがねの力を得たエリカは無敵だった。少なくとも本人はそう思っている。
「ほっ、ほっ、ほぉー」
エリカが腰に手を当てて胸を張った。
「そんなにしゃべりたい?」
煽りの極み。学年トップの秀才が異世界の丘の上で幼馴染を煽り倒している。
「おしゃべりしたいのぉー?」
------光った。
めがねが、ポーチの中で光った。
「え------」
エリカは不思議に思って、カバンからおそるおそるピンクのめがねを取り出した。
「そのめがねかけて、もう一度言ってみたら」
エリカは俺をひとにらみして、背を向けて眼鏡をかけた。ほとんど聞こえない声で言った。
「おしゃべるしたいの」
白い光がめがねから溢れ出した。さっきとは違う。光は一筋の線になって、俺に向かって飛んできた。
「うわっ------」
避ける暇もなかった。
光が額に当たった。
衝撃。痛みはない。でも頭の中に何かが流れ込んでくる。音のない洪水。文字の形。発音。文法。意味。
------言葉だ。
エリカが覚えたこの世界の言語が、そのまま俺の頭にコピーされている。
膝が折れた。後ろに倒れる。背中が草に当たった。空が見える。二つの太陽。橙と金の光。
エリカは後ろを振り向くと、大の字になってばったり倒れている俺を見つけ
「ちょ------カイト!? 大丈夫!?」
エリカの顔が覗き込んできた。逆さまに見える。
俺は------笑っていた。
わかる。今の言葉がわかる。「大丈夫」の発音。「心配」の意味。看板の文字。さっき聞こえなかった市場のざわめきが、意味を持った音に変わっている。
「......わかる」
「え?」
「エリカ。言葉、わかるぞ」
「嘘------」
エリカの目が丸くなった。
俺は草の上に寝転んだまま、笑い続けていた。空が広い。二つの太陽が眩しい。
「きもい......」
エリカが一歩引いた。
「仰向けで笑ってる男、きもい」
「うるせえ。嬉しいんだよ」
起き上がった。草が髪についている。払いながら、エリカを見た。
「今、お前、なんて言った?」
「え?」
「『おしゃべりしたいの』------」
「------言うなぁっ!!」
二発目のスネ蹴りが飛んできた。




