第5節「魔道具」
光が弾けた。
白い光だった。めがねのフレームから溢れ出して、エリカの顔を包み込んだ。一瞬だけ。まばたきひとつぶんの短さ。
「エリカ!?」
声をかけた。返事がない。
エリカは立ったまま動かなくなっていた。目が見開かれている。でも焦点が合っていない。どこか遠くを------いや、全部を見ているような目だった。
口が半開きのまま。呼吸が浅い。
「おい、エリカ!」
肩を掴んだ。体が冷たい。汗をかいている。
反応がない。
何が起きている。光が出て、それから------
エリカの瞳が、左右に細かく揺れていた。何かを読んでいるような動き。高速で。止まらない。唇が微かに動いている。声にならない声で、何かを呟いている。
------知識が入ってきているのか。
わからない。でも、これがただの縁日の景品じゃないことだけはわかった。勾玉が転移を起こしたように、このめがねにも何かの力がある。
周囲の人だかりがざわめいている。光を見た人もいたのだろう。指を差す者。後ずさりする者。店主が娘を抱き上げて二歩下がった。
変な服の女が、ピンクのおもちゃめがねをかけて、子供を泣かせた挙句、光って固まっている。
------客観的に見たら完全にヤバい奴だ。
「エリカ! 戻ってこい!」
両肩を掴んで揺さぶった。がくがくと首が揺れる。
「------っ」
エリカの目に、焦点が戻った。
まばたき。もう一度まばたき。俺の顔を見て、周囲を見回して------
人だかり。
十数人の見知らぬ顔が、全員こちらを見ている。好奇心。困惑。警戒。笑い。色々な視線が混ざっていた。
エリカの顔が、みるみるうちに赤くなった。耳の先から首筋まで。紅葉みたいに。
『死にたい。穴があったら入りたい。異世界まで来て何をやってるの私......』
------心の声が顔に出ていた。
「あ、あの、これは、その------」
エリカが人だかりに向かって何か言おうとした。日本語で。当然通じない。笑い声が大きくなった。
「逃げる!!」
エリカが俺の手首を掴んだ。
ものすごい力だった。火事場の馬鹿力。万力みたいに手首が軋む。
「え、ちょ------」
引きずられるように走り出す。露店の間を縫って、人混みをかき分けて、通りを全力疾走。後ろから店主が何か叫んでいる。
そして------
「うわああああん!」
女の子の泣き声が追いかけてきた。
もらえると思っていたピンクのめがねを、変な女が持ったまま走り去ったのだ。二度目の号泣。
『......ごめん!』
心の中で謝りながら走った。エリカは振り返りもしない。全速力だ。泣いている子供を置き去りにして逃走する学年トップの秀才。
------絵面がひどい。
通りの端を曲がり、路地を抜け、石垣を跨いで------町の外に出た。
草原が広がっていた。大きな木が一本、丘の上に立っている。その根元まで走って、ようやくエリカが足を止めた。
膝に手をついて、肩で息をしている。俺も同じだ。
「......はぁ......はぁ......」
「......はぁ......」
しばらく二人とも喋れなかった。
風が吹いた。木の葉がさらさらと鳴る。汗が乾いていく。二つの太陽は少し傾いて、草原を橙色に染め始めていた。木陰は涼しかった。走り続けた体に、風が気持ちいい。
先に口を開いたのはエリカだった。
「......わかった」
「何が」
「全部」
エリカがめがねを外した。ピンクのフレームが、汗で曇っている。
「このめがね------おそらく『アマルの世界』にあった魔道具よ」
「魔道具?」
「さっき光った瞬間、目に見えるもの全部の知識が頭に入ってきた」
エリカが自分のこめかみを指で押さえた。まだ少し痛いらしい。
「店主の顔を見たから、あの人が使ってる言葉がわかる。看板の文字を見たから、読み方がわかる。商品を見たから、名前も素材も産地もわかる」
指を折りながら列挙する。興奮が抑えきれないらしい。
「......マジで?」
「マジで。あの串焼きの肉はガルーダ鹿の腿肉で、スパイスはガランの実を粉にしたもの。一本三ギル。この世界の通貨はギルっていうの」
覚えたてのことを一息で並べた。目が輝いている。さっきまで死にそうな顔だったのに。知識を得ると元気になるのは、こいつの昔からの癖だ。
「『アマルの世界』では魔道具と合言葉で魔道具が発動するの」
「......お前、すごいな」
「すごいのはめがね。私じゃない」
エリカはめがねをまじまじと見つめた。子供用のピンクのおもちゃ------にしか見えない。だけど、これが俺たちをこの世界で生きていけるようにしてくれた。
「それと------この町の名前もわかった。サラザルクっていう商業都市。北部で一番大きな交易拠点らしいわ」
「サラザルク......」
繰り返した。異世界の地名。初めての手がかりだった。




