第4節「おりこうさんになあれ」
エリカが露店に向かって歩き出した。
手にはピンクのめがね。ラインストーンが二つの太陽を反射してきらきら光っている。武器にしては頼りない。というか武器じゃない。
「おい、何する気だ」
「あの子にあげる。それで何かもらう」
「いや、だから言葉が------」
「子供に言葉はいらないの。笑顔よ、笑顔」
自信満々に言い放った。が、その顔はすでに強張っていた。
エリカは露店の前にしゃがみ込んだ。女の子と目線を合わせる。黒髪を二つ結びにした五歳くらいの子。さっきからずっと足をぶらぶらさせていた子だ。
「ねえ、これ見て!」
ピンクのめがねを女の子の前に差し出した。満面の笑み------のつもりだろうが、目が笑っていない。緊張で頬が引きつっている。
女の子は、じっとエリカを見上げた。
見知らぬ変な服の女が、ピンクの何かを突きつけて、引きつった笑みを浮かべている。
------そりゃ怖い。
「このめがねをかけるとね、賢くなるのよ!」
エリカはめがねをかける仕草をしてみせた。さらに自分のこめかみを指差して「頭が良くなる!」のジェスチャー。必死だった。
女の子の目が潤んだ。
唇が震え始めた。
「あ、ちょ、待って------」
「うわああああん!」
泣いた。
盛大に。
店主が慌てて娘を抱き上げた。エリカに向かって何か言っている。怒っているわけではなさそうだが、困惑している。「何をしたんだ」という顔だ。
エリカが固まった。顔から血の気が引いている。
『......泣かせた。異世界に来て、最初にやったことが子供を泣かせること......』
隣にいた俺も焦った。
「エリカ、もういいって。戻ろう」
「待って」
エリカの目が変わった。
何かのスイッチが入ったらしい。やけくその、さらに向こう側だ。
エリカはピンクのめがねを------自分にかけた。
ド派手なピンクフレーム。キラキラのラインストーン。子供用だからサイズが小さくて、こめかみに食い込んでいる。学年トップの秀才が、異世界の露店の前で、ピンクのおもちゃめがねをかけている。
俺は見てはいけないものを見た気分だった。
クラスで一番成績のいい女。テスト返却日に「今回は97点だった、くやしい」と本気で悔しがる女。そのエリカが------おもちゃのめがねで------異世界の子供を笑わせようとしている。
『............』
言葉が出なかった。
エリカは女の子に向かって、両手を広げた。
「ほら! 見て! 面白いでしょ!」
満面の笑み。今度は本物だ。というか、もう恥ずかしさを通り越して開き直っている。目が据わっていた。
女の子が泣き止んだ。
ひくひくとしゃくり上げながら、エリカを見ている。ピンクのめがねをかけた変な女。目が赤い。鼻水も出ている。でも泣いてはいない。
エリカは両手を振って踊るような動きをした。変な顔をした。舌を出した。目を寄せた。
------何やってんだこいつ。
女の子が、ぷっと吹き出した。
「あ、笑った!」
エリカの声が弾む。調子に乗って、もっと変な顔をする。めがねを指で押し上げて、鼻の上でずらして、わざと斜めにかけた。
女の子がけらけら笑い出した。涙が頬に残ったまま、声を上げて笑っている。
店主も笑った。通りすがりの人が足を止めた。何だ何だと人が集まってくる。五人、十人------気づけば人だかりができていた。全員がエリカを見ている。指を差して何か囁き合っている奴もいる。
エリカの耳が赤くなった。首まで赤い。肩が小刻みに震えている。
『何やってるの私......異世界まで来て......道化師じゃない......穴に入りたい......でも入る穴がない......』
でも女の子は笑っている。止められない。
エリカは震える手でめがねを外し、女の子の前にかがんだ。目線を合わせる。女の子はもう怖がっていない。きらきらした目でめがねを見つめている。
------かけてあげたい。
でも言葉が通じない。「かけていいよ」を伝える方法がない。
エリカは日本語で話しかけた。通じなくていい。声のトーンで伝えるしかない。
人だかりの視線が背中に突き刺さる。笑い声が聞こえる。でもエリカは女の子だけを見ていた。
「ねえ、このめがね、すごいんだよ」
優しい声だった。さっきまでの道化とは違う。女の子に語りかけるような、柔らかい声。
「このめがねかけると、とってもおりこうさんになるんだよ」
めがねを女の子の顔にそっと近づける。女の子は目をぱちくりさせている。
「おりこうさんに------」
女の子の小さな手が、めがねに触れた。温かい指。
「------なあれ!」
------光った。
めがねが。
ピンクのフレームから、白い光が弾けた。




