第3節「交易日の混乱」
黙っていても仕方ない。
言葉が通じなくても、身振り手振りなら伝わるかもしれない。テレビで見たことがある。海外の旅番組で芸人がジェスチャーだけで値切り交渉してた。あれだ。あんな感じでいける。
『......いけるか?』
不安はあったが、立ち止まっていたら飢え死にする。少なくともスマホは手元にある。この世界の人間が見たことのない道具だ。珍しさだけで買ってくれる奴がいるかもしれない。
「エリカ、ちょっと待ってろ」
「え、何する気------」
返事を聞く前に歩き出していた。
目をつけたのは、布や革製品を売っている露店だった。品揃えがいい。つまり、それなりに繁盛している店だ。金を持っている可能性が高い。
『よし。いくぞ』
店の前に立つ。店主は中年の男で、日焼けした腕が太い。革のエプロンをしている。鍛冶師か職人あがりだろうか。隣に小さな女の子がちょこんと座っていた。五歳くらい。黒い髪を二つに結んでいて、退屈そうに足をぶらぶらさせている。娘だろう。
店主がこちらに気づいた。
「あの、すみません! これ買いませんか!」
日本語で突撃した。通じないのはわかっている。でも声のトーンと態度で「売りたい」は伝わるはずだ。
スマホを両手で掲げる。画面を店主に向けた。
------真っ黒。
電源が切れていた。さっきバッテリー確認した時に消し忘れて、スリープに入ったらしい。慌ててサイドボタンを押す。画面が光った。ロック画面。壁紙はエリカと撮った文化祭の写真だ。
店主が目を見開いた。光る板に驚いている。
『お、反応した!』
これはいけるかもしれない。スマホを近づけて見せる。画面をスワイプ。ホーム画面が表示された。アプリのアイコンが並ぶ。
店主が何か言った。興味はあるらしい。手を伸ばしてくる。
「いいですよ、見てください!」
スマホを渡した。店主は裏返したり振ったりしている。スピーカーの穴を覗き込んだ。カメラのレンズを指で擦った。
『......扱いが荒い』
店主が画面を触った。アプリが起動する。電卓だ。数字が表示されると、店主はびくっと手を引っ込めた。隣の娘がくすくす笑っている。
もう一度画面に触る。今度は設定画面が開いた。日本語がずらりと並ぶ。店主は眉をしかめた。読めるわけがない。
俺はジェスチャーで説明を試みた。
スマホを指差す。次に自分の目を指差す。「見る道具だ」と伝えたい。
店主は首を傾げた。
写真アプリを開こうとしたが------電波がないせいか、クラウドの写真は表示されない。ローカルに残っている画像もない。画面は真っ白。
『マジか......』
音楽を再生しようとした。オフライン再生の曲が一曲もない。全部ストリーミングだった。
『全部クラウドかよ......』
結局、スマホはただの光る板でしかなかった。エリカの言った通りだ。
店主がスマホを返してきた。肩をすくめて、首を横に振る。万国共通のジェスチャー。「いらない」。
『最新機種なのに......十万円以上したのに......この世界じゃただのゴミか......』
膝から崩れ落ちそうになった。
後ろからエリカの声。
「だから言ったでしょ」
「......うるさい」
惨敗だ。完全なる惨敗。
とぼとぼとエリカのところに戻る。エリカは通りの端に座り込んでいた。膝の上にポーチを広げて、中身を一つずつ確認している。
「なんか使えそうなの、あった?」
「リップクリーム、ティッシュ、ヘアピン、財布、あとは......」
手が止まった。
ポーチの底から、何かを取り出す。
ピンク色の------めがね。
子供用の、ド派手なピンク色のめがね。フレームにキラキラしたラインストーンがついている。レンズは度なし。どう見てもおもちゃだ。
見覚えがあった。
「あ、それ------」
「うん。あんたが縁日で買ったいとこへのプレゼント。まだ渡してなかったから預かってたの」
そうだった。四月の縁日でエリカと一緒に射的をやった時、景品で取ったやつだ。いとこの誕生日が近かったから「持っててくれ」とエリカに渡した記憶がある。
「......こんなのが残ってたか」
「ねえ」
エリカがめがねを手のひらに乗せて、まじまじと見つめていた。
「これ、あの子にあげたら喜ぶかな」
「あの子?」
エリカの視線が、さっきの露店に向いた。店主の隣で、足をぶらぶらさせている女の子。
「めがねと引き換えに何かもらえないかなって」
「......ピンクのおもちゃめがねで?」
「他に何があるのよ」
それもそうだ。
エリカはめがねを握って立ち上がった。スカートの土を払う。その目には、覚悟があった。
------やけくそとも言う。




