第2節「言葉の壁」
町は、思ったより近かった。
草原を三十分ほど歩くと、土の道に出た。轍がいくつも刻まれている。馬車でも通るのだろう。道を辿ると、やがて建物が見えてきた。
木と石でできた建物。二階建てが多い。屋根は赤茶色の瓦で、壁は白い漆喰。窓に色ガラスが嵌まっている家もあった。
門のようなものはなかった。道がそのまま町の中に続いている。入った瞬間、音が変わった。
人の声。馬のいななき。鍛冶の金属音。何かを叩く音。怒鳴り声。笑い声。全部が混ざり合って、市場の喧騒が耳に押し寄せてくる。
そして------人。
大勢の人が通りを行き交っていた。
「すごい......本当に異世界だ......」
エリカが呟いた。
無理もない。行き交う人々の服装が、俺たちとは全く違う。革のベスト。毛皮のマント。刺繍の入った民族衣装。女性は腰に布を巻いていて、男性は革のブーツを履いている。髪色も様々で、赤毛や銀髪の人もいた。
対して、俺たちは制服だ。
紺のブレザーに灰色のスラックス。エリカはチェックのスカートに白いブラウス。どう見ても浮いている。通りすがりの男がこちらを見て、眉をひそめた。子供が指を差して何か言っている。聞き取れない言葉。
『......めちゃくちゃ目立ってるな』
通りの両側に露店が並んでいた。色とりどりの布を張った天幕の下に、商品が山積みになっている。革製品、金属の装飾品、布の束。食べ物の屋台もある。
匂いが飛び込んできた。
肉だ。串に刺した肉が炭火で焼かれている。脂が滴って、じゅうじゅうと音を立てていた。スパイスの匂いが混ざっている。嗅いだことのない香辛料。隣の屋台では丸いパンのようなものが積まれていて、焼きたての湯気が立っている。さらに奥には、見たことのない紫色の果物が山盛りになっていた。
------ぐう。
腹が鳴った。盛大に。
「......腹減った」
「私も」
エリカも同じだったらしい。考えてみれば、最後に食べたのは覚醒前の夕飯だ。あれから何時間経ったかもわからない。
「買おう」
「多分、ここの金、違うんじゃね」
自分で言って気づいた。
「この世界の通貨、持ってるわけないからね」
エリカが冷静に言い放つ。財布の中身は日本円。一万円札が一枚。千円札が数枚。こっちの世界じゃ紙切れだ。
「どうする?」
「......物々交換とか?」
ポケットを探る。スマホ、財布、ハンカチ、イヤホン。それだけ。
スマホを取り出した。画面を点ける。電波は当然ゼロ。バッテリーは残り四十二パーセント。充電する手段もない。
「これ売れるんじゃないか?」
スマホを掲げてみせた。
「異世界の珍しい道具ってことで------」
「電波もなくて充電もできない板を?」
「......板って言うな」
正論だった。でも他に売れそうなものがない。
しかし、それ以前の問題があった。
隣の露店の店主がこちらに声をかけてきた。太った中年の男。日焼けした顔に人懐っこい笑み。何か言っている。
------聞き取れない。
一語も。
完全に未知の言語だった。語順も音の響きも日本語とも英語とも違う。母音が多い気がするが、それだけ。身振り手振りで「見ていけ」と言っているのは雰囲気でわかるが、言葉そのものは全く理解できない。
「あ、えっと......サンキュー?」
とりあえず英語で返してみた。店主はきょとんとしている。通じていない。
エリカが横から何か言おうとしたが、口を開けたまま閉じた。二人とも言葉が出ない。
店主は不思議そうに首を傾げた。もう一度何か言って、手を振った。「まあいいや」という感じだった。
気まずい沈黙。
二人で露店を離れる。俺たちの後ろで、店主が隣の店主に何か言って笑っていた。たぶん「変な格好の奴らが来た」とでも言っているのだろう。
「......どうする?」
エリカに聞いた。
「どうしようもない」
珍しく弱気な声だった。
------言葉が通じない。
金もない。言葉もわからない。服装は浮いている。
異世界は楽しいだけじゃなかった。俺たちは完全に、よそ者だ。




