第5節「アマルの印」
二日後の夕方。
チャイムが鳴った。玄関を開けると、エリカが立っていた。
「......おう」
言葉に詰まった。
目の下のクマがすごい。紫色。メイクか何かかと思うレベルだ。髪もいつもよりぼさぼさしている。几帳面なエリカが髪を整えずに外出するなんて、よっぽどだ。
「お前、顔やばいぞ。クマすごい」
「......うん」
「何があった」
「徹夜しちゃって......あの本、気になって朝まで......」
『アマルの世界』か。
「お前、バカだろ」
「バカって言わないで」
エリカが部屋に上がりながらあくびをした。大きい。猫みたいに口が開く。
「知的好奇心よ」
「好奇心で死んだ猫がいたぞ」
「猫は九つの命があるから大丈夫」
「お前は一つしかない」
部屋に入ると、エリカはリュックから二つのものを出した。ひとつは分厚い本。『アマルの世界』。図書館の蔵書ラベルが貼ってある。もうひとつは——
「あ、それ」
ピンクのめがね。縁日でエリカが買った子供用のやつだ。いとこへのプレゼントだったはずが、結局エリカがずっと預かっている。
「これ、返すわ。前に預けたでしょ」
「いいよ。いとこの誕生日とっくに過ぎたし、もう捨てていいって」
「そんなことできないわよ。ちゃんと返す」
「だからいらないって」
「じゃあ後でお母さんに渡しておくわ。」
几帳面だ。異常なまでに。エリカはめがねをリュックに戻した。結局また預かったまま。
——まあいいか。
「で、本題」
エリカがあくびを噛み殺しながら本を開いた。付箋が何枚も貼ってある。黄色、青、ピンク。色分けまでしてある。二日でこれか。
「ここ。見て」
差し出されたページには、一面の図解が広がっていた。中央に大きな紋様が描かれている。渦を巻くような複雑な線。それを囲むように、古い文字のような記号が並んでいる。
ページの上部に見出し。
——「アマルの印」。
「覚醒具に刻まれる神聖な紋様よ。この本ではそう説明されてる」
「覚醒具?」
「末裔を覚醒させるための神器。前に話したでしょ。選ばれた存在が目覚めるためのアイテム」
エリカがリュックからもうひとつ取り出した。布袋。俺の勾玉だ。
本の図解の横に並べた。
「......同じだ」
見比べるまでもなかった。勾玉の表面に刻まれた紋様と、本に描かれた「アマルの印」。渦の巻き方。枝分かれの角度。中心の丸い結び目。寸分の狂いもない。
完全に一致していた。
「偶然だろ」
言ったのは俺だ。反射的に。
「偶然でこの複雑な紋様が一致する確率は〇・〇〇一パーセント以下よ」
エリカの目が据わっている。クマの下から覗く瞳は、眠さを突き抜けて鋭い。
「渦の旋回数が七。枝分かれが十四箇所。中心結節の形状が六角。全てが一致してるの。偶然でこうなる組み合わせを計算すると——」
「わかった。わかったから」
「偶然じゃ——」
大きなあくびが割り込んだ。
「——ない」
台無しだった。結論の直前にあくび。
「......お前、今日もう寝たほうがいいんじゃ」
「まだ話の途中よ」
エリカが目をこすった。充血した目。でも諦める気配はない。
「この紋様が一致するってことは、カイトの勾玉はただのお守りじゃない。少なくとも、この本の作者は同じ紋様を知っていた。つまり——」
エリカが本を閉じた。まっすぐ俺を見る。
「この本はフィクションじゃないかもしれない」
窓の外が暗くなり始めていた。秋の夕暮れは早い。部屋の隅に影が伸びる。
『......まさか』
俺はそう思った。思ったけど、口には出さなかった。
代わりに勾玉を手に取った。深い緑色。ひんやりと冷たい。いつも通りだ。
いつも通り——のはずなのに。
なぜか、心臓がほんの少しだけ速くなっていた。




