第3節「宮崎の記憶」
「あ、そういえば俺、勾玉持ってる」
自分でも驚いた。忘れていた。五年間まるごと。
「え、本当?」
エリカの目が光った。さっきまでの読書トークとは別の——獲物を見つけた猫みたいな目。
「五年前にばあちゃんにもらったんだ」
「どこに?」
「たぶん押し入れ」
「たぶんって何よ。しまった場所くらい覚えてないの?」
覚えてない。だって五年前だ。
——五年前。あの夏。
記憶が勝手に巻き戻る。
十歳の夏休み。母さんの実家がある宮崎日向に帰省した。東京から飛行機で二時間弱。空港を出た瞬間、湿気が肌にまとわりついた。暑い。東京とは種類が違う暑さだ。
ばあちゃんの家は古い日本家屋だった。
庭には大きな柿の木。縁側から見える空は信じられないくらい広い。夜になると星が降ってくる。東京では絶対に見えない星の数だ。
蝉がうるさかった。朝から晩まで。でも三日もすると慣れる。人間ってすごいな、と十歳の俺は思った。
ばあちゃん——神崎正子。母さんの母親。小柄で穏やかで、笑うとしわくちゃになる。料理がうまい。特にチキン南蛮。
あの日は帰省の最終日だった。
「海斗。ちょっとおいで」
夜。縁側で星を見ていたら、ばあちゃんに呼ばれた。
仏間に入ると、線香の匂いが鼻をくすぐった。畳のい草と混ざって、なんだか眠くなる匂い。仏壇には曾祖母の写真がある。俺が生まれる前に亡くなった人だ。
ばあちゃんは仏壇の前に正座した。引き出しを静かに開ける。中から、布に包まれた何かを取り出した。
「これはうちの家に代々伝わるものだよ」
しわだらけの指が、丁寧に布をほどく。
中にあったのは、小さな勾玉だった。深い緑色。仏壇の灯明に照らされて、表面の細かい紋様が浮かび上がる。渦を巻くような、不思議な模様。
「お前に持っていてほしい」
ばあちゃんの声が変わった。いつもの穏やかな声じゃない。真剣だった。目もだ。何かを託す目。
『勾玉? どうすんのこれ!』
正直に言う。十歳の俺には価値がわからなかった。石だ。きれいだけど、石。ゲームの方がいい。
でも——ばあちゃんの目を見たら、断れなかった。
「......ありがとう、ばあちゃん。大事にする」
精一杯の笑顔で受け取った。手のひらに乗せると、ひんやりしていた。夏なのに。石ってこんなに冷たかったか? 紋様を指でなぞると、つるつるしている。古いのにまったく欠けていない。
「大切にするんだよ」
ばあちゃんが微笑んだ。しわくちゃの笑顔に戻った。
「いつか——必要になる時が来るから」
その言葉の意味は、わからなかった。
東京に戻って。勾玉は押し入れの段ボール箱に入れた。布袋に包んだまま。大事にすると言ったくせに、翌日にはもう忘れていた。ゲームの新作が出たからだ。十歳なんてそんなもんだ。
——それから五年。
「......カイト? カイト、聞いてる?」
エリカの声で戻った。
リビング。ケーキの残り。ジュースのグラス。テレビからはバラエティの笑い声。
「あ、ごめん。ちょっと思い出してた」
「で、その勾玉どこにあるの?」
エリカが身を乗り出している。好奇心が止まらないらしい。
「だから押し入れだって。たぶん段ボールの中」
「見に行こう。今すぐ」
エリカの目が本気だ。断れる空気じゃない。
母さんを見た。笑っている。いつも通り——のはずだ。でもケーキを切る手が、ほんの一瞬だけ止まった。
一瞬。
また、あの目。遠くを見るような。
——気のせいだ。今日二回目だけど。
「母さん、ちょっとエリカと部屋行ってくる」
「はいはい。ドア開けておきなさいよ」
「そういう意味じゃねえよ!」
母さんが笑った。親父はもうテレビに夢中だ。
俺は立ち上がった。五年ぶりに、あの勾玉を探しに行く。




